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第十二話 巡魂祭り その6

 無意識に感情を苛み、悦楽も嘲りも得ぬままにひたすら苦しみだけを与え続けるそれらに、抗う術を知らなかった。


 本能的な忌避を感じていたそれは、やがて普遍という理性を獲得することによって更なる嫌悪を私に抱かせた。


 そしてなにより、一度すべてを忘れ去ることで得た幸福が大きく膨れ上がっていくほどに、それを失うことへの恐怖、失われるのではないかという不安、失うことで訪れる孤独もまた相対的に膨れ上がり、喪失は起こってはいけないものへとなった。


 けれど、それを私が経験することはないだろう。


 私には、誰よりも私を理解してくれる素晴らしい友人が、絶望と罪禍にまみれた人生から拾い上げてくれた救い人がいるのだから。



――――【8月16日 巡魂祭り】――――


 太陽が沈み落ち、辺りをを暗闇が満たす中、私は祭り会場の熱気を背中に浴びながら、澄希さんと二人で静かな道を歩いていた。


「……あの」


「ん、どうかした?」


 声を掛けると、澄希さんは振り返る。その顔に狐面はなく、代わりにいつもの笑顔があった。


「いや、会場を出てもうずいぶん歩いたので、まだ着かないのかなあと」


「ああ、そういうことね。大丈夫、もう少しで着くから」


 そう言うと、澄希さんは再び前を向き、何処かへ向かって歩き出す。その先の闇に不安を覚えながらも、彼女の言葉を信じ、私もまた歩みを進めた。




 ふと、あたりを見回す。目が夜に慣れてきたからか少しばかり状況が見えているものの、田畑が広がるばかりのその景色は飽きるほどに見たもので、特段何かを覚えるものではない。


 一人ならば、音楽プレーヤーで退屈をしのぎながら足早に歩いていたと思う。けれど、彼女の背中を追い、無言で歩いていくだけのその時間には、どうしてかそんな感情は抱かない。


 それは、彼女の存在そのものが私にとって今でも非日常的なものであり、共に過ごすその一秒一秒が柔らかな喜びと安らぎを与えてくれるからだと、そう思う。


 どこへ行っても、何をしても不変だったはずの日々。それが、この夏のたった一つの出会いで劇的に変化するなど、嫌々バスに乗ってこの町を訪れた頃は想像もしていなかった。


 けれど、その全てが良いものかと言われれば、そうではないのだと思う。今まで総括していた評価が、より細かいものに変化した。


 悪意を向けている親戚や町の人々のその心には、私が考えていた以上の醜さが染みついていることに気付いた。


 一応両親の代わりになろうとしてくれていたのだと思っていた綾音さんは、結局私を、母の娘なのだとしか思っていないのだと分かった。


 ただの叔母でしかないと思っていた清美さんは、ともすれば私以上に母に取り憑かれ、縛られ、自らの人生を歩むことが出来なかった人なのだと、知ることが出来た。


『せめて、幸せに生きて頂戴ね』


 自分にはそうできないからと、無責任ににも思える言葉を思い返す。


 あの後、互いに言葉を交わさずに淡々とことを終えて帰ってしまったが、今思えばその言葉は、私に対してあの人が託した、人生の結論だったのかもしれない。


 あの人に同情するつもりも、まして生きた過程に心を痛めるつもりもないけれど、事実として、彼女もまた普通に成れず、苦しみ続けて生きてきた人間だった。


 自分で言うのもあれだけれど、私は生まれた時から選択肢が無かった。ただ流れのまま、ひたすらに課せられ続ける人生だった。


 その一方、彼女は多くを与えられ、変化させる術を知っていて、何より選択肢をいくつも抱えていた。


 けれど、それでも彼女は自らに宿る思いに生きた。逃れる機会、忘れ去る機会など幾らでもあったはずなのに。


 私は、愛がどんなものなのか、未だに理解していない。その力が、彼女がどうしてそこまで堕ちてしまう程のものなのかは知らない。


 ただ、それが与える苦しみや、狂わずにいられなくなってしまうその訳は、少しだけ知ることができたと思う。


 でも、それでも私は、彼女を許すことはない。


 それがどれだけ残酷で無慈悲なものだとしても、私が私である以上、あの人の願望を叶える器になるつもりはない以上、私が彼女に出来ることは、その愛がもう二度と成就しないのだと、はっきりと告げる事だけ。


 それが、彼女に対して、私の心に対して唯一の誠意だったから。


 だから、私は……



「祈李?」


 名前を呼ばれて、私はその意識を現実へと呼び戻す。


「はい、どうかしましたか?」


「あ、戻った」


「戻った?」


「ああいや、なんでもない。それよりほら、着いたよ」


 そう言われ、私は彼女の視線が向かう方を見る。そして、


「……はい?」


 眼前に見える山をみて、思わずそんな声を上げた。


「あの、すみません。山しか見えないんですけど」


「うん、だからそう言ってるよ」


「えっと、どういうことですか?」


「だから、ここが目的地ってこと。まあ、上らなきゃいけないけどね」


 そう言うと、澄希さんは闇が籠る山へ向けて歩みだす。


「え、本当に行くんですか!?」


「そりゃあ勿論。だって言ったでしょ?《《この町で一番きれいな花火を見せてあげるって》》」


 振り返り、月明かりに照らされた笑顔を私に向けながら、彼女は言う。それだけで、私の選択肢は一つになった。


「はぁ……わかりました」


 彼女にか、自分にか呆れた溜息を一つ吐き出すと、私は澄希さんと共に夜の山道へと踏み出した。




※※※※※※




「……もうすぐか」


 雲一つない夜空を見据え、私はそんなことを呟く。ただ一人が発した声は、何も残すことなく消えていった。


 それから少しだけ空を眺めた後、私は目線を戻し、明かりが灯る方へと足を踏み出す。


 一大イベントということもあってかなりの人数があの祭りを訪れていたが、それでもなお家にいる人々はいる。


 様々な理由が、その背景にはあるのだろう。だか、だからといって彼らがこの特別な日を特別なものとして過ごしたくないわけではない。


 それを知ってか知らでか、或いは一つの定番となっているからか、巡魂祭りの最後には、毎年花火が打ち上げられる。


 町を取り囲む山々と同じかそれ以上の高さにまで打ちあがるそれは、例え人口の光があろうとも、その美しさを町中に轟かせる。


 無論、私もこの町に生きる間に何度も見てきた。けれど、その美しさの本当の意味を知ったのは、つい最近の話。


 それは、お盆の終わりを告げる物。帰省を終え、遥かな世へと戻り行く先祖へ向けて、生者である私たちができる最上級の見送りの為に、燃えゆく儚き花は、盛大に空へ打ち上げられるのだ。



 場所も、生も死も関係なく、ただ同じ景色を眺める。それは、もう会えぬ者たちがつながりを感じる、唯一の術。


 二日前、私は死者が確かに存在することを、彼らが願うものを知った。だからだろうか、それがどれ程の価値を有しているのかを考えてしまう。


 互いに相手を思う。それだけの時間、それだけの事。でも、それだけで十分だ。


 一年に一度思い返す、忘れぬように思い返す。例え覚えているものがいなくなったとしても、今度は覚えていたものを生者が思い返す。


 そうして、過去は紡がれ、何かが永遠のものとなって残り続ける。生とも、死とも違うそれを何と呼ぶべきは、まだわからない。


 ただ、それには確かに意味があり、意義がある。


 だから人は、こうして今も在るのだろうと、なんとなく、そう思った。



 そんな、柄にもないことを考えていると、私はいつの間にか目的の場所、時雨家へとたどり着いていた。


 朝から彼方君に付き合っていたからか、体にはずいぶん疲労が溜まっている。早くお風呂にでも入って、ゆっくりと休もう。


 そう思い、家を囲う塀を過ぎ、扉に手を掛けようとした時、その視界に、一人の女性が映った。




 その人は、何かを大事そうに抱えながら、まだ黒い空を見上げていた。


「綾音さん」


 家に入るのをやめ、私は縁側に座るその人に声を掛ける。けれど、彼女は空を眺めたまま気づかない。


 仕方なく、私はもう一度名前を呼んだ。


「綾音さん」


「……あら、真那。おかえりなさい」


 私に気付くと、彼女はいつもの笑顔を私に向けた。


「……貴方一人?」


 隣を見て、朝出かけた息子がいないのに気付いたのか、私に尋ねる。


「彼方君は、友達と見るからってあっちに残りました。それで、元々その予定で付き添ってたので、自分だけ」


「ああ、そういう事。ありがとうね」


「いえ、これくらい全然。お世話になりっぱなしですから」


「そういえば、貴方一度も帰ってないわね」


「…すみません」


「別に今更気にしなくていいわよ。ああでも、ちゃんと帰るまでに一回は顔見せに行きなさいよ?」


「心配しなくても行きますよ」


「本当かしらねえ……」


 疑いの目線を向けられ、返答に困った私は話題を変える事にした。


「……そういえば、綾音さんはどうしてここに?」


「え?ああ、そうね。確かに気になるか」


「花火、ですか?」


「うーん、半分正解ってところね」


「半分?」


「花火を見るってのは正解。でも、一人じゃないわ」


「遥君ですか?」


「……いいえ、ここにはいない人よ」


 そう言うと、綾音さんは持っているそれを私に見せる。


「それは?」


「遺影よ」


「遺影というと、もしかして……」


「ええ、そう。あの子のお母さんの」


「仏壇には、無かった気がするんですけど」


「ええ。寂しいけど、祈李が嫌がるから、夏の間はしまってたの。でも、今日ぐらいは一緒にいようと思って」


 そう言うと、綾音さんは優しく写真の入った額を撫でる。そして、それに導かれるように、私はそこにいる人物を見た。


 写真に写る女性は、十代ほどだろうか。彼女の母親にしては若いなと思ったものの、その人が置かれていた状況を思い出し、きっと綾音さんが、その人の一番きれいだったことを残したのだろうと思う。


 そして、もう一度だけその顔を見た時、



「……あれ?」



 その、違和感に気付く。



 初めて見る写真。そのはずなのに、どうしてか、映る顔に見覚えがあった。



 そして、それが誰であったのかを思い出した頃、私の思考は、ひどく硬直した。



――だってそれは、狐面と共に見た顔だったから。




※※※※※※




「ほら、もう少しだよ!」


 体の奥からなる疲労の音と共に、その明るい声が耳に響く。


 あれから数十分、月明かりの下で山道を登り続けた私たちは、その頂へ至ろうとしていた。


 朝早く起きたのもあって、疲労と共に眠気が押し寄せ、若干フラフラとしながらも歩みを進める。


 そして、更に歩くこと数分、私達はようやくその場所にたどり着く。その達成感と共に、膝に手を置いて息をする。


「大丈夫?」


「……だいじょばないです」


「まあ、だよね」


「だよねって……」


「いや、うん。正直ちょっと無理させたとは思う。でもね、これだけは、どうしても見せたかったんだ」


 そう言って彼女は顔を上げて振り返る。そして、私も同じ方を見ようとした、その瞬間



――夜空に、花が咲いた。



「……」


 言葉が、でなかった。


 目の前に次々と打ちあがるそれは、黒く澄んだ空を華やかに彩り、その一瞬の輝きを見せつけて消えていく。


 名前や、どんなものなのかは知っていた。けれど、それを忘れてしまう程の美しさが、そこにはあった。


「この場所が、町で一番きれいに花火が見えるんだ」


 すっかり景色に見とれていた私の横で、澄希さんが言う。


「本当は、私だけの秘密の場所だったんだけど、祈李にだけは、見てほしかった」


 目の奥に、花火が映る。


 それは、きっと私の目にも同じものが映っていて。


 この町で、私と彼女の二人だけが、同じものを目に焼き付けている。


「……どう、祈李?」


 花火を見据えながら、澄希さんが私に聞く。


 私ももう一度目線を戻し、一つが打ちあがって消えるのを見届けてから、


「……綺麗です」


 素直に、そう呟く


「……そう。なら、良かった」


 それだけ言うと、彼女は声を出さなくなった。そして、私もまた、同じように沈黙し、ただひたすらに目の前の光景を眺め続ける。



 鮮やかな色が、目に宿る。



 鳴り響く轟音が、耳に残る。



 揺れる空気を、肌で味わう。



 夏の香りを、少し吸い込む。



 人生で、最も美しいその時間を、心で味わう。



 そして何より、その全てを、大切な友達と過ごしている事実を、私自身に、刻み込む。


 

 その瞬間、私は思う。


 来てよかった。この町に、戻ってよかった。


 この人と会えて、話して、音楽を聞いて。


 友達になって、全てを話して、それを受け入れてもらって。


 有りはしないんだと思っていた救いと幸福を、こんなにも知れて。


 これまでも、今も、そしてこれからも。澄希さんがいる日々を思い浮かべて。



「……澄希さん、私、これからも貴方と!」


 そう言おうと、横を向いて。




――けれど、その先に、澄希さんはいなかった。

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