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第四話 何もない日 その2

「次は、終点、永和町」


 そんな、無気力にも思える機械音を聞いた僕は、濡れた窓の先を眺めながら、


「……祈李君、どうしてるのかな」


 これからわかるというのにそんなことを考えつつ、バスが止まるのを前に、降りる支度をいそいそと始めた。


 それから暫くして、土砂降りの中、終点で立ち止まったバスから降りた僕は傘を広げ、彼女から遅れる事数日、生憎の空模様の中、僕は故郷へと降り立つ。


 水の壁越しに見える故郷を眺めて、変わりのないその様子に安堵を覚えると、それを元に少しの勇気を身に着けて、景気づけに大きく一歩踏み込んでから、僕は雨の中を歩み出した。



・視点 水野友寄


 あちこちにぬかるみと水溜まりのできた道を進んでいると、零れるように過去の記憶が呼び起こされる。両親との記憶、友人との記憶、兄との記憶。そして何より、責任から一度逃げ出した、あの日の記憶。


 そこまで思い出したところで、僕は改めて今年ここに来た理由を振り返る。そうだ、僕はその記憶から未だ滲む後悔の為に、ここまでやって来たのだ。そのために色々な準備をして、色々と人に連絡して、


「ああ、そういえば、あの人も来ているんだっけ」


 電話先を思い返す中で、彼女の顔が浮かんだ僕は、雨で掻き消されそうなくらいぼそりと、そんなことを呟いた。


 時折メールなどで連絡はとっていたけれど、彼女に直接会うのはあの日、久々に彼女がこちらに帰って来たとき以来だ。最後に見たあの顔を、どうしてか、今でも鮮明に覚えている。


「……今更だけど、あの人に何て言えばいいんだろうなあ」


 前に今年は帰るからと連絡したときは、ほとんど対話もなく電話を切られてしまった。まあ、最初は知らなかったとはいえ、あの人の立てていた計画を妨害するようにしたのは、他でもない僕だ。


 あの時、一足先に彼女に、祈李君に会いに行って、そして、共に過ごす日々という名の贖罪を手に入れた事に、後悔はない。


 あの人と同じくらいに、僕も彼女の為に準備していたのだから、何かを言われる筋合いは無い。無いとは、思っているのだけれど。


「…………そう簡単に、割り切れる話じゃないよなあ」


 適任を言うならば、どちらも適任ではないし、事実だけを言うならば、どちらが彼女を引き取ったところで、当人にはどちらにせよ変わりはないだろう。


 それでも、納得がいかないというのは、僕らの心の問題だ。


 正直に言うなら、愚直にぶつかるしかなかった僕よりも、彼女の方が良かったのではないかと今でも思う。でも、それと同時に、彼女は多分乗り越えることはできないだろうという妙な確信があったのも確かだ。


 結局、何をしたところでこんな風に悔んだり言い訳したりするのなら、せめて自分で何かを変えたかっただけなのかもしれない。


 だから譲るつもりはなかったし、これからも………ああいや、それは今はもう思っていないし、分からない。あの人は知らないが、だとしても、これから先についてを決めるのは、他でもない祈李君なのだから。


 そうして、思案を終えた僕は現実へと戻り、いつの間にか下がっていた顔をあげると、そこは、田園を抜けた先に在る筈の住宅地域だった。


 どうやら、あれこれと考えを巡らせている内に気づけば目的地の近くにまで来ていたらしい。と、それを認識したところで、そのせいか、唐突に収めたはずの緊張が蘇ってきた僕は少し立ち止まると、一つ、大きく息を吸う。


「…………、よし」


 そうして、身体の方は分からないけれど、少なくと心は落ち着いた僕が、再び歩き出そうとした、その時、


友寄ともき君」


 降り落ちる轟音の中、かつて何度か耳にしたその声が、僕の耳に届く。掻き消えて聞こえていなくともおかしくは無い声量だったものの、それでも、そうだろうという確信をもって振り返ると、誰も出歩かないような雨の中、傘を差したその人は、清美さんは、そこにいた。




 声を掛け、掛けられて反応して、互いに引き下がれなくなった僕達は仕方なしに合流して、二人で雨の中を歩いていた。


「…………」


「…………」


 暫く並んでいたものの、雨の音だけが耳に響いて、場には沈黙があるばかりで息苦しさは晴れはしない。そして、それにとうとう耐え切れなくなった僕は、彼女に話を振ることにした。


「清美さん」


「何?」


 名前を呼んだだけだというのに既に高圧的な返事を返されて、僕は僅かに怖気づいたものの、それでは交わせる会話も進まないので、若干怯んだままで話を続ける。


「えっと、その、清美さんは……」


「何よ、そんな言い淀んで」


「いやあその、なんていうか……」


「大方、こんな雨の中出歩いてるのが珍しいって話でしょ」


「………ええ、まあ、その通りです」


 そこまで話して、遠慮がちでも変わらないなと悟った僕は、立ち上がった心を以て、真正面から話す事にした。


「私だって、出来るならこんな時に出歩きたくなんてないわよ」


「はあ、ならどうして?」


「こんな天気じゃないと、祈李が家にいないからよ」


「……その言い方だと、普段は家にいないんですか?」


「ええ。まあ、私も半分は綾音から聞いた話ではなんだけど。元々突然ふらっと出かけることはあったのが、最近は朝に出かけてそのまま夕方まで帰ってこないとかも多いらしくってね」


「ああ、だからわざわざ」


「そ、こんな土砂降りの中で出歩くのは、それこそ物好きしかいないでしょうから」


「それはまた、言えてますね」


「ええ、全くよ」


 湿り気の中、カラカラと音を立てて軽口交じりで語り合う。音が鳴るのは、話の種を空っぽの会話の内で転がしあっているから。


 自分でも、馬鹿らしいとは思う。でも、これが真正面から向き合うという事だ。譲ることも、引くこともせず、表面を取り繕いながら、それでも、静かなに争って。


「そういえば、友寄君の行き先は?」


「あれ、てっきり察してるものかと。ここまで同じ道を辿っておいて、こんな話までしてるんですから、一つしかありませんよ」


 だが、そこで止まり続けても、何も進みはしない。だから、僕は更にその先へ、一歩、足を踏み込む。


「……まあ、そうよね。ええ、勿論分かってたけど、念のためね?」


「…………心配しなくとも、貴方の用事の邪魔はしませんよ。僕にその権利は無いですし、それに、何を提案しようと、最後に決めるのは祈李君ですから」


「それでいいの? 貴方」


「構いませんよ。僕には今更そこで争う理由なんてありませんから」


 その言葉に、清美さんの目がほんの少し開かれたのを、僕は見逃さなかった。けどまあ、今はそれもどうでもいい。今最も大事なのは、これからの為に、現状を確認することだ。さっきの清美さんの言葉から一応確かめられはしたけれど、彼女に会ってみるまで、真実は分からない。ああ、だから早く……、


「貴方は」


「え、何ですか?」


「争う理由がないってことは、それはもう、贖罪と責任の為にあの子と関わる理由は無いって、貴方はそういうわけ?」


 そうやって問いかける清美さんの目には、はっきりと、誰が見てもわかるくらいに明確な敵意がこもっていた。まあ、さっきの発言はそうなると分かった上で言ったのだけれど。


 でも、だからってその勘違いは、少しだけ、腹が立つ。


「いえ、少なくとも今はまだありますよ。あの子の意志があったといえ、何もできなかった僕が綾音さんから彼女を引き取った以上の責任が」


「なら、何であんな風に言ったのよ。あれじゃあまるで――――」


「責は果たします。でも、贖罪はそれではもう払いません。僕は、別の道を通って願いを叶える」


「………何よ、それ。別の道って何よ。そんなもの、私達に在る筈がない。何もかもが終わった後に、できなかったことをあの子を通して果たして、それでやっと代わりになるかわからないような、そんなものの、はずなのに」


 それは、空っぽだなんて言えるはずの無い程に思いの詰まった言葉だった。


 ああ、その通りですよ。僕らは彼女を失った人の身代わりにして、贖罪という名の後悔の欲望を満たそうとしている。それで、出来なかったことを出来たのだと思おうとしている。

 

 意味はあるのかと言われたら、きっと意味はない。自己満足でしかない。彼らがいない世界で何とか僕ら生きていくための、身勝手な願望でしかない。


 ただ、僕は、


「僕は、兄さんを助けられなかった罪を彼女へ償うんじゃなくて、本人から、兄さんから託されたことを果たすことで、償う事にしたんです」


 その言葉とともに、僕は前を向く。目の前には、一軒の家の扉があった。


 傘を閉じて、僕は扉に指をかける。


 決意は、もう嫌というほどしたから。


 だから僕は、迷うことなく扉を開けた。

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