慈悲はない
本日2話目です。よろしくお願いします。
「こんな風に割れるの、普通ないって」
この娼館の雇われ支配人のディックが、ヴィルヘルムが真っ二つに割った皿をくっつけたり離したりしながらため息をついた。
「これね、アレックスが選びに選び抜いて誂えた東方青磁なんですよ」
アレックスは兄エリアスが庶民としてこの地ですごしていた時の名前だ。
この皿は予想通り、兄お気に入りの高級品だったらしい。
「これも借金につけますけど、前のと合わせたらただの雑用じゃとても返せない額なんで、明日から別の仕事をしてもらいます」
「待て待て、たかが皿一枚じゃあないか。こいつだって慣れない皿洗いで手を滑らせただけで、わざとじゃない」
サミュエルがディックの肩を馴れ馴れしく抱いて交渉をはじめた。
雑用で返せない金額を返せる仕事は危険なものか非合法なものに決まっている。前王と元公爵がその仕事を受けるわけにはいかないとサミュエルも思ったのだろう。
「かわいいかわいい弟のうっかりにきっちり金を請求する兄貴がどこにいる? エリアスだってきっと目をつぶってくれるさ。だからこれはツケないで……」
「ほんと遺憾ですけど、お二人の借金については一切合切減免無用、慈悲はないと言付っております」
慇懃に、しかしはっきりと圧を押し除けたディックが伝書鳥の手紙をサミュエルに手渡した。
そこには兄エリアスの綺麗な字で今伝えられた通りの内容が書いてある。
「兄貴のところに行かせた従者が、兄貴に不義理の詫びを入れてから、こちらに来る算段になっている。彼が来れば返せるはずだ」
「そうだった! オリヴェルが金を持ってくる。だからもう少し待ってくれ。雑用ぐらいはするから」
「ああ、なるほど。そのオリヴェルさんとやらの手紙も同封されてました」
したり顔でもう一枚同じサイズの手紙を渡されてサミュエルが丸まった紙を開いた。
目を眇め紙の位置を調整しながら小さな文字を追い始めた顔が引きつっていく。
横から覗き込むと丸い癖字が紙の上で踊っていた。
『さーせん! リベルタには行けません。俺はいま、旧都メルシュにいます。大公閣下が歓待してくださっているので、もうしばらくこちらで酒池肉林を楽しみます。お二人が恋しいけれど、見ないふりをします。皿洗いガンバ! 追伸、あの時食べられなかったラカダンや、リベルタのフルーツをたっぷり使った高級スイーツも堪能しました。美味しかったです』と、手紙にしたためられていた。
「オリヴェル! くそっ! エリアスのやつにたらし込まれやがって! エリアスもエリアスだ。拗ねて手を回すにしてもやりすぎだろ! そういうとこが陰険だっていうんだ!」
地団駄を踏むサミュエルを無視してヴィルヘルムは丁寧に頼み込んだ。
「先王と元公爵として人倫に悖ったり危ない橋を渡るような仕事は出来ん。子供に迷惑をかけたくない。恥を忍んで息子に手紙を書き、金を送ってもらうから少し待ってくれないか?」
苦笑したディックが、机の引き出しからこの諸島の地図を出して一つの島を指さした。
「さすがにお二人を食用巨大魚を獲る船に乗せたり、鉱山で働かせたりはできませんよ。頼みたいのは人探しです」
「人探し……?」
退位し、腕いっぱいに抱えていた責務を手放した。
在位中はそれを望んでいたはずなのに、実際にそうなってみたら引退後にやりたかった事一つ思い出せず、自身を見失っている。
自分を探しなおす道半ばの旅人が、他人を探すことになるのはなかなか皮肉だ。
ヴィルヘルムは、サミュエルに強引に連れ出された旅の始まりと、ここまでの旅路を思い返した。
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