特別価格
夜更けまでリコリスと話し込みつつも同衾は断り、ヴィルヘルムは一人、たっぷりと睡眠を取った。
疲れもあったのだろうが、これほどぐっすりと眠ったのは久しぶりだった。
兄達がこの南の島で本当に穏やかに暮らしていたと他者の言葉で裏づけられたのも一因だろう。
大きく伸びながら寝台から身を起こしたタイミングで、部屋着の薄物を纏ったリコリスが下働きと共に飲み物と洗面用具を持って入ってきた。
「朝のお支度をお手伝いいたしますね。お風呂はどうします?」
「ああ、入る」
歯を磨き口を濯いで最低限の洗面を済ませ、レモンとミントの浮かんだ飲料を味わった後にベッドを出ると、すでに風呂の支度がととのっていた。
オクシデンス島で宿をとって気がついたのだが、兄の商会が専売している鉱山ポンプ式給湯風呂がメルシア本国以上に富裕層に広く普及しているようだった。
蒸し暑いこの気候だと、たしかに体を拭くだけでは気持ち悪い。
浴室に行き、髭だけは自分で剃って浴槽に入り、髪や体を洗うのはリコリスに任せる。
彼女のやり方は、昔のメルシア王宮の侍女のやり方を踏襲していてヴィルヘルムは苦笑した。
うっすらと感じていたが、ここの所作にはノーザンバラの謀略に晒される前の古き良きメルシア王宮のあり方が生きている。
「兄貴の教育が行き届いているな。子供の頃に戻った気分だ」
「あら、懐かしい気持ちになっていただけたの?」
「まあな」
風呂から上がった後は、リコリスに用意を頼んだ新品の衣服を身につけた。
この蒸し暑い気候を考えて作られた薄い生地の緩めの服は涼しさを感じられる仕立てで、とても着心地が良い。
近すぎず礼儀正しいリコリスに送られ、吹き抜けの階段を降りるとエントランスの隅、受付の中に遣手の女が座っている。
にこりと愛想よく微笑む女にヴィルヘルムは話しかけた。
「支払いを頼む。それと朝食を取れると聞いたんだが」
「ディフォリア大陸の各公爵領式の伝統的な物と、リベルタ大陸風、それとこの辺りの諸島風の食事のご用意ができますが、いかがしますか?」
「そうだな。なら諸島風で」
「かしこまりました。お支払いは全てあわせまして金貨三枚となります」
「……ああ、分かった」
金貨三枚。一般的な貴族の生活費三ヶ月分。
特別価格とかいう割引が入ってこの金額ならば相当高い。正直想定の倍である。
だが、法外ともいえない絶妙な価格だ。
メルシアの酒を飲み、王宮と同じレベルの世話を焼いてもらい、衣服も揃えてもらった。さらに朝食も込みならばと、ヴィルヘルムは納得の上で支払いを済ませるとサロンに移動した。
広い開口部から吹き渡る風は暑気があっても爽やかで、南国の緑と花々は朝から朗らかに色鮮やかで美しい。
まだサミュエルは起きていないようだったので、見晴らしのいい席を適当に選んで腰掛けた。
景色を眺めて一息ついたところで朝食のコーヒーが出され、甘くないラカダンを加熱してマッシュした物にじっくりと揚げ焼きした豚の皮をまぜたこの辺りの名物に目玉焼や塩漬け肉をつけ合わせた諸島風の朝食のプレートが提供される。
コーヒーは生産地が近いだけあって香り高く新鮮で、甘くないラカダンのマッシュはホクホクとした食感が良く、カリッとした豚の皮がアクセントを添え、飲み込めば程よい塩味が汗ばむ身体に沁みる。
メルシアでは味わえない異郷の味に舌鼓を打っていると、エントランスから悲鳴じみたサミュエルの声が聞こえた。
「さすがにこいつは間違いだろ! 酒樽開けたりしておらんし! というか、今回は記憶飛ぶほど呑んどらん!」
朝食の最後の一口を食べ切って口元を拭ったヴィルヘルムは立ち上がって受付に戻った。




