人を癒す島
「私達も……」
女に夜を誘われてヴィルヘルムは首を横に振った。
「妻帯者だ。不実な男だが、それぐらいの操と義理は立てないと妻に失礼だろう」
ヴィルヘルムの現在の妻はノーザンバラの皇女ではない。メルシア王家の武力の要で兄の懐刀でもあるフィリーベルグ公爵ケイン・シュミットメイヤーの姉、ベアトリクスだ。
リアムを守るための契約的な間柄で互いに恋愛感情も肉体関係もないが、罪深い自分にも寄り添ってくれた情けの深い人だからそれに応えるべきだと思っている。
「リアム君から聞いた印象と少し違うかも。リアム君といえばソフィアちゃんと結婚して王様になった話は聞いたわ」
すっかり砕けた口調で話された内容は初耳で、ヴィルヘルムは眉を持ち上げた。
「リアムが娼館に?」
「ソフィアちゃんと売られかけた時にケインさんに連れられて身支度に来ただけよ。みんな元気? 話を聞かせてくれないかしら」
それを聞いてヴィルヘルムは表情をゆるめた。
リアムはヴィルヘルムの妻がノーザンバラの皇女であった間、庶子として、ひどく軽んじられていた。
そして、それが原因でヴィルヘルムの年離れた従弟で、正統な血を笠に派閥を作っていたテオドールに嵌められて、ソフィア共々リベルタに売られかけた過去がある。
早い段階で護衛も追いついたが、密輸船に乗せられて一年近く王都を離れることにはなって、最終的にリベルタで大きな勢力を持つアレックス達の商会に保護されて過ごしていた。
「印象悪いだろう。俺は。彼らの話から受けた印象が正しいよ。聞かせるだけの話もないが、それでよければ。俺も彼らの話をもう少し聞きたい」
「嬉しいわ……ただ、この部屋は酒肴を差し上げる場所なの。部屋だけは移させてもらえないかしら」
よくよく考えれば高級娼婦が軽々しくその素を見せたり、他者の話をする事は考えづらい。
ヴィルヘルムの頑なな態度を見透かし、彼を個室に誘うために気を遣わせたようだ。
「ああ、気が利かなかったな。悪かった。移動しよう」
控えていた使用人に心づけを渡して部屋を移る。
兄が好んでいたというブランデーを勧められて頼み、それを酌み交わしながらリアムの話や、難しい身の上でヴィルヘルムとの確執の末に兄の養女になった娘レジーナの話に耳を傾ける。
「君の話す彼らは、とても穏やかで幸せそうだ」
「この島には浮世を忘れさせて人を癒して穏やかにする力があるの。貴方も疲れているように見える。少しここで休むといいわ」
リコリスはそう言って、にこりと笑った。
「なら、しばらくこの島で暮らしてみるのも悪くないかもな」
ヴィルヘルムは紙製のランタンの光が浮かぶ幻想的な中庭に視線を飛ばした。
メルシアでは聞くことができない鳥や虫の声が夜気にのって響いている。
長くここで暮らした兄は、娘は、そしてほんのいっときここを訪れた息子達はこの風景、この沁み入るような生き物の息吹に何を感じたのだろう。
しばらくこの島に滞在するのも悪くないと思ったヴィルヘルムだったが、本当にそうなるとは思っていなかった。
しかも、あんな形で。
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