泡沫の夢を見る場所
大きな窓を吹き抜ける夜の風は虫除け香の甘くスパイシーな香りと残暑をはらんで、自分が生まれ故郷からはるかに遠い異郷にいると感じさせる。
ペーパーランタンの灯火が浮かぶ幻想的な中庭を臨むラトゥーチェ・フロレンスの特別室。
ヴィルヘルムとサミュエルという客人を迎え入れて賑々しく夜が更けていく。
娼館というのは古今東西、どこか淫靡で昏さが漂う場所である。だがラトゥーチェ・フロレンスはその雰囲気を一片も感じさせない。
とはいっても酒が供され、娼婦達に傅かれ、最終的に一晩二人で、人によっては複数人で泡沫の夢をみる場所であることは変わらないのだ。
「はい、どうぞ」
美女が黄色の皮を剥いて一口大に切った白い果実をフォークに刺してサミュエルの口元に差し出した。
「これが食べたくてリベルタまで来たんだ。おっと、1番の目的はお前達と出会うことだったんだが」
ラタンで作られ座り心地のいいクッションが置かれた長椅子に体を投げ出し、うつくしどころに囲まれてラカダンの実を食べさせてもらったサミュエルはこの上なく上機嫌に調子よく言った。
「買ってきてやったろ」
日焼けから一足先に回復したヴィルヘルムは寝込んだサミュエルのために、市場でラカダンを買ってきてやったのだ。
「ここで食うラカダンは別物だ! 黙ってろ!」
「海亀島にはラカダンだけではなく、メルシア本国にないフルーツがありますわ。お星様をどうぞ、あーん」
「おお! これははじめてだぞ! 酸っぱいが美味い! ラカダンと永久運動できちまうな!」
「あら、でしたら、ラカダンのチョコレートがけをおひとつどうぞ」
へらへらと鼻の下を伸ばすサミュエルの傍で、ヴィルヘルムは所在なく酒を啜った。
「ヴィル様もどうぞ」
「俺のことは構わんでくれ。あいつの付き合いで来ただけだ」
ヴィルヘルムに寄り添ったピンクブロンドの美女は鈴を振ったような声で笑った。
「あらやだ、アレックスにそっくり。つれないところまで似てるわ」
そこで女は我に返ったように上品な口調に戻して儚げな笑みを浮かべた。
「失礼しました。つい素が出てしまいましたわ。貴方が懐かしい風を運んできてくださったから」
「飾らない方が好ましい。しかし、兄貴に似てると言われたのははじめてだ」
「口元がよく似てるわ。あと雰囲気も」
思わず苦笑がもれた。
兄は貴種が服を着ているような男で、似ていると言われた事はほとんどない。
亡くした家族を思うあまり心を喪い、過去に揺蕩っていた最愛の人の幻想をそれ以上壊さないために……実のところはあさましくも身代わりとして成り変わるため、兄の真似をしていた事があるから、そのせいだろうか。
それともここで暮らしていた時の兄は別の表情をしていたのだろうか?
「兄貴はどんな男だった? ここでどんな風に暮らしていた?」
自分でも意図せず、問いが唇からこぼれた。
「そうね……」
聞かされた兄エリアスの姿は、庶民の生活にも溶け込み、まわりとも気さくに接する成り上がりの商売人だ。
自分の知る兄とはずいぶん違う。
商売はさておいて、彼女の語る兄はまるで、若く幼く世の中の不条理と恐れを知らず無邪気に市井におりて歩き回っていた過去の自分の姿のその先のようだった。
二〇年の隙間を埋める話は興味深くてリコリスと名乗る女と話し込んで時が過ぎ、気が付いたらサミュエルは囲まれていた美女達と別室に消えていた。
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