第6話「F級ダンジョン」
全力で逃走する社長の背中を見送りながら、俺は淡々と現状を整理する。
現場は数日前にオフィスビル内に出現した、最低ランクのF級ダンジョン。初心者向けとはいえ、一歩間違えれば死ぬ異界だ。
……のはずなのだが。
「ぎゃあああああああ!! 来ないでえええええええ!?」
重すぎる特注甲冑を鳴らし、社長が無様に駆けていく。
追うのは、醜悪な緑の群れ――ゴブリンだ。
手足の長さに合わせた剣や、棘付きの棍棒を手にしている。
発生直後のダンジョンにしては装備が整いすぎだ。別に略奪品じゃない。ここでは、最初から奴らの方が”そういうもの”として優遇されている。
対する俺たちの装備は、錆びた胸当てに刃こぼれしたなまくら。
火山も同じ胸当てに、手には木製バットが一本。そして全員の手首には、死んだ瞬間に自動で死体回収を要請する義務化デバイス。
腰のポーチには、栄養バーと包帯と水筒。まさに最安値のスターターセットだ。
どう見ても、ゴブリンの方がよほどいいモンを持ってやがる。
「きゃっ!?ぐふぇっ!」
案の定、小石に躓いた社長が盛大にスライディングを決める。一斉に殺到するゴブリンども。奴らは俺たちには目もくれない。
「なんか……社長、めちゃくちゃモテますね……」
「ゴブリンは“高価そうなもの”に執着するからな。今の社長は歩く最高級デコイだ」
「ちょっとおおお! 助けてえええ!」
地べたを這いずり回り、無様に剣を振り回す社長。だが群れの進撃は止まらない。
俺は小さく溜息を吐き、隣の火山へ促した。部下を育てるのも中間管理職の業務だ。
「火山、奴らはモンスターとはいえ生き物だ。いきなりは気が引けるだろうが――」
「せいやぁぁぁあッ!」
彼女は魔法ではなく、手にした木製バットを構えて弾丸のように踏み込んだ。
社長に迫る先頭のゴブリンへ、鋭いスイングが炸裂する。ベキィッ!と嫌な音が響き、頭部をひしゃげさせたゴブリンが後方の群れごと吹き飛んだ。
とんでもない筋力だ。だが、安物のバットはその一撃で真っ二つに折れた。
「いたた……反動が……。あ!すみません、折れちゃいました!せっかく用意してもらったのに……!」
火山の手に残ったのは、無惨に折れた持ち手部分だけ。残りの半分は、ゴブリンの群れの中へと虚しく転がっていった。
一瞬の沈黙。獲物を失った火山と、一斉に武器を構え直すゴブリンたち。
「火山、魔法だ!いけるか!?」
「わ、分かりました!」
言いかけた俺の言葉を置き去りにして、火山が折れたバットを投げ捨て、一歩前へ踏み出した。掲げた指先、その一点に、淡い緋色の魔法陣が鋭く展開される。
「“ファイア・ボルト”ッ!」
刹那、放たれた灼熱の火線が通路を貫いた。最短、最速。悲鳴を上げる社長の側頭部をわずか数ミリで掠め、先頭のゴブリンの眉間を正確に穿つ。
「ギッ――」
断末魔さえ熱波に消える。一匹が塵に変わる間に、火山は既に次弾を放っていた。
「えいっ!えいっ!」
火のつぶてが散弾となって放たれる。
「うわっ、熱っ!?」
絶叫する社長の耳元を熱線が通り過ぎるたび、背後の個体が次々と爆ぜる。火山の魔法は、執刀医のような精密さで獲物だけを的確に間引いていった。
初戦闘、だよな?
恐るべきセンスだ。未経験というのが嘘でないなら、彼女は間違いなく本物の"天才"だ。
……あの社長のスキル"プレデター・センス"のお陰だろうか。これは相当な食わせ物だと言わざるを得ない。
「おお!凄いぞ火山!そのまま右の死角も消せ」
「了解ですっ!」
淡々と作業をこなす火山の横顔は、もはや冒険者というより、熟練の害獣駆除業者に近い。
その足元では、唯一の生存者である社長が、涙目で「ひぃい……」と情けない声を漏らしていた。しばらくして、沈黙が訪れる。
「……え?た、倒したの?私が?」
腰を抜かして震えていた社長だったが、目の前で起きた異変に言葉を失う。
火山にやられたゴブリンたちの死骸が、まるで燃え尽きた紙炭のように端からサラサラと崩れ始めたのだ。
黒い灰が通路に舞い、数秒もしないうちに醜悪な肉体は跡形もなく“消失”した。
「思い知ったか!このクソ虫が!F×××ッ!死ねッ!」
社長が、遺ったゴブリンの遺留品を必要以上に踏みつける。
「社長、倒したのは火山です」
俺は、淡々と遺留品を拾い上げ、袋に詰めていく。
消滅の際に灰へと帰さず、現世に留まった部位や遺留物は、通称"ドロップ品"として扱われる。
「あ、そうなの?助かったわ火山ちゃん!さすが私の社員ね!」
「えへへ……私、意外と素質あるかもですっ」
火山は照れくさそうに肩をすくめたが、その視線は鋭く通路の奥を射抜いている。
「ねーねー、今、視聴者何人?バズってる!?」
「えーと……一人っすね」
「いいわ、初配信で一人は上々よ。さあ、稼ぐわよ!」
暗闇の奥から、汗ばんだ肌が冷たい岩肌に密着するような、生々しく湿った足音の合唱が迫ってきた。
水気を含んだその音は、無数の群れとなって混じり合い、刻一刻と近づいてくる。
「社長と課長!あれ!」
「無理無理無理無理!!また追ってくるってば!!」
悲鳴を上げる社長を無視し、俺は短く指示を飛ばす。
「火山!」
「了解です!任せてください!」
阿吽の呼吸。彼女が一歩、前へ踏み出す。掌が空を裂くように突き出された。
「“フレイム・ウォール”!」
爆ぜた炎が即座に壁へと変わり、通路を真っ二つに遮断する。
突進してきたゴブリンたちは急停止し、甲高い叫びを上げた。
「効いてる!すごいわ!煉夜くん、ちゃんと撮れてる!?」
「……火山一人じゃ持たない。俺も出ます」
社長の手元へ、カメラを放り投げる。俺は刃こぼれをした剣を静かに構えた。
正直、こういう泥臭い役回りは性に合わない。
炎の壁が揺らぎ、崩れ、消えた。その隙を、ゴブリン達は見逃さない。一斉に火山に飛びかかった。
「きゃっ!!」
その瞬間、俺は地を蹴って、火山の前に立つ。
「ギガヤッ!?」
剣を振るう。久々の手応えだった。
「すごいすごい!さすがね、見込んだ通り!」
――鈍い。
その感覚に、自分の中で“年齢”という言葉が落ちる。
「あれ……課長って、剣二本持ちでしたっけ?」
「さぁ?」
社長は楽しげに笑う。
やれやれ。できれば一生、縁のないままでいたかったが。
左手の剣を、あえて投げ捨てる。代わりに掌をかざす。淡い赤の魔法陣が展開する。
「……“フレイム・ストーム”」
炎の奔流が戦場を呑み、ゴブリンを一掃する。代償に、視界がわずかに揺れた。
一歩。
その隙間を裂いて飛び込んできた影を、右手の剣が無音で迎えた。首筋を撫でるように一閃。
鮮血が舞うより先に、左手が動く。逆袈裟の一撃が心臓を貫き、そのまま回転。三匹目の喉を断つ。
「――ふぅ」
呼吸ひとつ。身体の奥で、鈍っていた熱がわずかに灯る。
関節が軋む。背中に冷たい汗が流れる。全盛には、まだ遠い。
「あの、課長って、剣……」
火山が指差した先には、ついさっきまで確かにあった剣の姿が消えていた。
空白だけが、そこに残っている。ゆっくりと視線を落とす。
手にあるのは、一本の錆びた剣だけだった。火山は深いことなど何も考えず、ただ純粋に目を輝かせた。
「てか課長、あんな凄い魔法使えたんですね!私、尊敬しちゃいます!」
「……ま、まあな」
「あれ?でも課長のステータス、無属性のはずですよね?私の魔法より威力出てた気がするんですけど……!」
「さっすが!私が見込んだ男は一味違うわね」
背後から社長が、俺の背中を景気よくポンと叩いた。
「さあ、どんどん行くわよ!」
「はぁ……。お手柔らかにお願いしますよ」
社長は甲冑をカチャカチャと鳴らしながら、迷いのない足取りで奥へと進んでいく。
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