第61話「損失は経営者が負え」
「ハハハハハッ!馬鹿が!」
新堂は迫り来る炎を前にして、両腕を大きく広げた。回避する素振りすら見せず、自ら紅蓮の業火を受け入れる。
「全部、妹どもに押しつけたるわ!」
凄まじい熱量が新堂の全身を飲み込む。同時に、檻の中にいる真昼と夏夜の首元で、赤い術式が激しく点滅を始めた。
「夕夏お姉ちゃん!」
夏夜が恐怖に目を閉じた。だが――何も起こらない。炎に包まれ、肉を焼かれているのは新堂だけだった。
「な……何でや……!?」
新堂の悲鳴が炎の中から響く。妹たちの首元にあった術式は赤から青へ変わり、音もなく砕け散っていた。オークたちの首輪も同様だ。契約対象、ゼロ。新堂は受けた損傷を、もう誰にも転嫁できない。
「勝手に人を社員登録するなんて、雇用契約以前の問題よ」
上方の点検通路から、社長の凛とした声が響いた。
「だから全員、たった今解雇しておいたわ」
俺は通路の格子を蹴り破り、貯水槽の中へ飛び降りた。続いて社長も降りようとする。
「ちょっと煉夜くん、受け止めて!」
「自分で降りてください!」
「左腕が使えないだけでしょ!右腕があるじゃない!」
仕方なく右腕一本で社長を受け止め、床へ下ろす。重い、という感想は飲み込み、俺は燃え盛る炎へ視線を戻した。
直後、火柱の中から白い冷気が爆発する。火山の炎が内側から凍結し、巨大な氷塊となって砕け散った。
「ふざけんなァッ!」
新堂が炎の中から姿を現す。高級スーツは焼け落ち、全身に重度の火傷を負っていたが、氷の魔力で皮膚を強引に冷却し、損傷の進行を押さえ込んでいる。
「俺は経営者やぞ!損失を下に押しつけて何が悪い!そのための部下やろが!」
「そんなわけないでしょう!部下も仲間も、あんたの盾になるためにいるんじゃない!」
「黙れぇッ!」
新堂が右腕を振るうと、無数の氷の刃が火山へ一斉に降り注いだ。俺は火山の前へ踏み込み、剣を横薙ぎに振るって氷刃を弾く。すべては防ぎきれないが、残る軌道へ偽の火山の幻像を重ねた。
氷刃は俺が作った残像を本物だと認識し、僅かに軌道を逸らす。
「火山、右だ!」
「はい!」
火山が横へ跳ぶ。氷刃が頬を掠めたものの、致命傷には至らない。
「また幻覚か……!本物がどれか分からへんのなら、全部凍らせたらええだけや!」
新堂が吠え、床一面へ白い霜が走った。濁った水が瞬く間に凍結し、巨大な氷柱が次々と突き出してくる。
「社長、妹たちを!」
「任せなさい!」
社長が端末を鉄格子へ接触させると、電子音と共に檻の鍵が解除された。
「二人とも、こっちへ!」
「姉貴は!?」
「煉夜くんたちがいる!今は逃げるわよ!」
真昼は夏夜の手を握り、開いた檻から走り出した。それを見た新堂の目が、獣のように吊り上がる。
「逃がすかァ!」
新堂は氷の足場を蹴り、妹たちへ一直線に飛びかかった。直接触れて、再び損傷転嫁の対象へ登録する腹だ。
「させるか!」
俺は新堂の前へ割り込む。だが、負傷した左側を正確に狙われた。新堂の掌底が左肩へ突き刺さり、砕けた骨が肉の内側で嫌な音を立てる。
「ぐっ……!」
「課長!」
吹き飛ばされながらも、俺は新堂の認識へ一つの像を植え付けた。逃げる真昼と夏夜、そのすぐ背後に俺が倒れている虚像だ。
俺を排除したと確信した新堂は、疑うことなく妹たちへ手を伸ばす。
「捕まえたでぇ!」
新堂の手が、夏夜の肩を掴んだ――ように見えた。
「残念でした」
実際の夏夜は、すでに三歩先にいる。新堂が掴んだのは、俺が作り出した虚像だった。
「何っ――」
「この負け犬!」
真昼が振り返り、錆びた鉄パイプを新堂の手の甲へ力任せに振り下ろした。
「ぐおっ!?」
「今だよ、姉貴!」
新堂の身体が僅かに仰け反る。その無防備な正面へ、火山が踏み込んだ。
杖も、魔法の炎も使わない。固く握り込んだ右の拳を、新堂の腹部へ深々と叩き込む。
「がっ……!」
鈍い衝撃音に続いて、火山の拳から至近距離で小さな爆発が起きた。新堂の巨体が宙を舞い、氷結した壁へ叩きつけられる。分厚い氷が蜘蛛の巣状に砕け散った。
「ハァ……ハァ……」
火山は拳を構えたまま、新堂を睨みつける。新堂は壁にもたれ、血を吐きながら歪に笑った。
「まだや……。これは、引き分け……」
「違う。昔のことは知らない。でも、今日は私の勝ち」
火山は新堂の胸倉を掴み、顔を近づけた。
「炎姫……!」
「それと、私には火山夕夏って名前がある。いつまでも昔の呼び方してんじゃないわよ」
最後に額へ重い拳を叩き込み、新堂の意識を完全に刈り取る。巨体から力が抜け、床へ崩れ落ちた。
貯水槽に、ようやく静寂が戻る。
「夕夏お姉ちゃん!」
「姉貴!」
二人の妹が駆け寄ると、火山はその場へ膝をつき、二人をまとめて強く抱き締めた。
「ごめん……。怖かったよね」
「遅いんだよ、馬鹿姉貴……!」
「でも、来てくれた……!」
三人の泣き声が、冷たい貯水槽に響く。俺はその様子を見届けてから、壁へ背を預けた。張り詰めていた力が抜け、左腕の痛みが一気に押し寄せてくる。
「課長」
落ち着きを取り戻した火山が、妹たちを連れて俺の前へ来た。
「勝手な行動をして、本当にすみませんでした」
「始末書は書いてもらう。救出にかかった経費も、時間外手当も、きっちり計算する」
「はい……」
「だが、生きて戻った。それで十分だ」
火山の瞳から、再び大粒の涙が溢れた。
「はい!」
「良い話にしてるところ悪いけど」
社長が新堂の端末を拾い上げ、画面をこちらへ向けた。
「こいつを雇った発注元、やっぱり企業ね」
端末には"引き抜き対象者および所属部署の排除"という依頼内容が表示されている。
「依頼主の名前は?」
「削除されてる。ただ、決済に使われた口座は、クロサワ・ダンジョン・キャプチャーの系列銀行を経由してるわ」
「KDCが……?」
「まだ証拠とは言えない。誰かが、わざとそう見せかけた可能性もある。けど、うちの社員に手を出した請求書は、必ず送りつけてやるわ」
「倒産寸前なのに、敵だけは増えていきますね」
「成長企業にはつきものよ」
「物は言いようですね」
軽口を叩き合った直後、社長の表情が急に強張った。両膝を内側へ寄せ、身体を小刻みに震わせている。
「……煉夜くん」
「何ですか」
「このダンジョン、トイレないの?」
「下水道全体が似たようなものでは?」
「最低。もう限界!」
社長は新堂も端末も放置し、凄まじい勢いで通路の奥へ走り去っていった。
「社長!一人で行動しないでください!」
「今だけは一人にしてぇ!」
緊張感の欠片もない絶叫が、下水道の奥へ遠ざかっていく。火山たちは泣き腫らした目で、僅かに吹き出して笑った。
俺は深く息を吐き、壁から身体を起こす。
負傷者多数、装備の損耗、ダンジョン内での無断戦闘、警察への事情説明、医療費と時間外勤務。処理しなければならない仕事は山ほど残っている。
それでも。部下も、その家族も、全員生きている。管理職としては、それ以上の成果など必要なかった。




