第59話「一人で来いと言われたので、全員で来た」
驚愕に震える火山の前へ立ち塞がり、俺は剣を構え直した。
左腕は動かない。
右手には剣。
背後には、魔力を使い果たしかけた部下。
そして少し離れた地面には、先ほど俺が放り投げた社長が尻餅をついている。
「いたた……。社員が社長を投げ捨てる会社なんて、聞いたことないんだけど!?」
「緊急避難です。労災申請は後でお願いします」
「絶対に通すからね!?」
社長の抗議を無視し、目の前のハイオークへ意識を戻す。
隊長格が弾かれた大剣を持ち上げ、怒りに濁った咆哮を上げた。
「ニンゲン、コロス!」
「課長、下がってください!」
火山が杖を構えようとする。
だが、足元がふらついた。
ここへ来るまでに、相当数のモンスターを一人で焼き払ってきたらしい。魔力も体力も、すでに限界に近い。
「火山。残りの魔力は?」
「大きいのが……あと一発くらいです」
「十分だ。俺が道を作る」
「でも、その腕……」
「働かない左腕を心配する暇があったら、働ける右腕を見ろ」
俺は大剣を受け流し、ハイオークの懐へ滑り込んだ。
右足で膝を蹴り抜く。
巨体がわずかに傾いた瞬間、俺は火山から見て右側へ大きく跳んだ。
ハイオークたちの視線が一斉に俺を追う。
その認識へ、俺は別の像を重ねた。
俺が右へ走る。
さらに右へ。
十体、二十体と分裂した俺が、それぞれ異なる方向からハイオークたちへ襲いかかる。
「グガァ!?」
無数の棍棒と大剣が、存在しない俺の残像へ振り下ろされた。
隊列が崩れる。
大空洞の中央に、最奥へ通じる一本の直線が開いた。
「今だ、火山!」
「はい!」
火山が杖を両手で握り、深く息を吸い込んだ。
揺れていた瞳から迷いが消える。
「全部まとめて――吹き飛べぇッ!」
杖の先端に、白に近い炎が凝縮された。
放たれた火炎は広がらない。
一本の槍のように細く絞られ、隊列を崩したハイオークたちの中央を一直線に貫いた。
次の瞬間。
大空洞が、紅蓮の閃光に包まれた。
爆発的な熱風が吹き荒れ、ハイオークたちの重装甲が内側から赤熱する。巨体が次々と地面へ崩れ落ち、焦げた金属と肉の臭いが下水の悪臭を塗り潰していく。
最後まで立っていた隊長格へ、俺は剣の柄を叩き込んだ。
鈍い音と共に、巨体が倒れる。
大空洞に静寂が戻った。
「ハァ……ハァ……」
火山は杖に縋りつくようにして、その場へ膝をついた。
俺は剣を収め、彼女の前へ立つ。
「単独行動。無断離脱。上司への虚偽報告」
「……はい」
「会社員としては最低だな」
「……すみません」
火山が俯く。
泥で汚れた頬を、汗が伝っていた。
「だが、妹を助けようとしたことまで謝るな」
火山が顔を上げる。
「課長……」
「俺が怒っているのは、一人で行ったことだ。部下が危険な場所へ向かったのに、上司だけ安全な場所で待っていられるか」
「でも、私のせいで皆が……」
「まだ誰も死んでない。勝手に終わらせるな」
俺は火山へ右手を差し出した。
彼女はしばらくその手を見つめた後、強く握り返す。
「……はい!」
「感動的なところ悪いんだけど」
社長の声が割り込んだ。
振り返ると、社長は倒れたハイオークの首元を調べていた。
分厚い鉄製の首輪。
その表面には、細かな術式と製造番号が刻み込まれている。
「この首輪、ただの魔物用拘束具じゃないわね」
「何か分かるんですか?」
「旧型魔導従属端末。魔物を命令に従わせるための製品よ。数年前、安全基準違反で回収されたはずなんだけど」
社長が首輪へ触れた瞬間、赤い術式が一度だけ明滅した。
同時に、倒れたハイオークの額が突然裂けた。
まるで見えない刃物を突き刺されたように血が噴き出す。
「今の傷……俺たちは何もしてませんよね」
「ええ。離れた場所から、何かを移されたみたいね」
社長の表情から、普段の軽薄さが消えた。
「この首輪、モンスターを操るためだけのものじゃない。別の人間と生命情報を接続している」
「生命情報を……?」
「受けた傷や痛みを、登録した対象へ押しつける。そんなところかしら」
その時。
大空洞の壁に設置された古びたスピーカーから、耳障りな拍手が響いた。
『お見事、お見事。さすが炎姫と、そのお仲間さんや』
「新堂……!」
火山が杖を構える。
『けど、約束が違うやろ。炎姫一人で来い言うたはずや』
「犯罪者との約束に法的拘束力はありません」
社長が即答する。
『口の減らん女やなァ。まあええわ。炎姫だけ、この先へ来い。他の二人が一歩でも入ってみい』
正面の鉄扉が、重い音を立てながら左右へ開いた。
その奥に見えたのは、細長い通路。
そして壁に映し出された、監視映像だった。
鉄格子の檻に閉じ込められた二人の少女。
その頭上には、何十本もの鋭い氷柱が浮かんでいる。
『妹二人が、頭から串刺しや』
「卑怯者……!」
『戦いに卑怯もクソもあるかい。力は利用する者にだけ与えられた特権やろ?』
火山は唇を噛み締め、俺たちを振り返った。
「課長。社長。ここからは、私一人で行きます」
「駄目だ」
「でも!」
「お前を止めても、勝手に行くんだろ」
火山が言葉に詰まる。
俺は胸元につけていた小型通信端末を外し、彼女へ投げ渡した。
「命令は一つだ」
火山が端末を受け取る。
「妹二人を連れて、生きて帰れ」
「……了解しました」
火山は通信端末を耳へ装着すると、開かれた鉄扉の向こうへ歩き出した。
その背中が闇へ消えていく。
鉄扉が閉まり、俺たちと火山を完全に隔てた。
「本当に一人で行かせるの?」
社長が問いかける。
「まさか」
俺は倒れたハイオークの首輪を剣先で示した。
「俺は部下を信じています。ですが、犯罪者の言葉は一切信じていません」
「奇遇ね。私もよ」
社長は不敵な笑みを浮かべると、懐から薄型の魔導端末を取り出した。
画面には、煙道株式会社のロゴと、接続可能な従属端末の一覧が表示されている。
「社員を一人で戦わせるほど、うちはホワイトじゃないもの」
「そこはホワイトだから、と言ってください」
俺たちは同時に立ち上がった。
鉄扉の向こうで始まる決闘を、横から根こそぎ台無しにするために。




