第54話「因縁の敵」
翌朝、引き裂くような悲鳴とともに、俺は跳ね起きるように目を覚ました。
物置部屋を飛び出してリビングの襖を乱暴に開け放つ。
「な、なんだ……!?」
目に飛び込んできたのは、凄惨な赤だった。
火山家のリビングに、ボロ雑巾のように血まみれになった男――仁神が、息も絶え絶えに倒れ伏していたのだ。
「仁神!?しっかりしろ、何があった!?」
火山が真っ青な顔で駆け寄る。
仁神は激しく血を吐きながら、俺の無地のスウェットの胸元を、震える手でぎゅっと掴み上げてきた。
「れ、煉くん……姐さん、すまねぇ……。不意を、突かれた……」
「落ち着いて話して、誰にやられたの!?」
火山が珍しくシリアスな声を張り上げる。仁神は濁った瞳を大きく見開き、掠れた声でその名を絞り出した。
「……"冥竜"だ……っ。ヤツらが、夏夜と真昼を……さらっていきやがった……」
「え……!アイツら、また復活したのか……?」
「お、恐らく……!でも、あいつらは……今はダンジョン攻略を 生業にしてるって……!クリーンになったはずなんだ……!」
火山の身体が、恐怖と衝撃で凍りついた。
「煉夜くん……なにそれ……?」
「"冥竜"。火山と因縁がある集団らしいですよ」
こうした、行政の目が届かない地方の裏社会に根付く勢力が急激に増えたのは、"異世界融合災害"直後、いわゆる"混迷期"のことである。
この時期、政府や自警組織は統治能力を大きく失い、その空白を埋めるように、ダンジョン利権や用心棒業、資源の密輸などを裏で支配する犯罪組織が各地で乱立した。
それらの組織は時代とともに姿を変え、表向きは企業として地域社会に根を下ろしながら、今なお地方の闇に深く食い込み、生き続けている。
なぜ、今になって?
数年間息を潜めていた裏組織が、なぜ俺たちが地方出張に来たこのタイミングで動き出した?
「自宅は奴らにバレてなかったはず……付けられていた……?」
火山が訝しげに呟く。
俺の脳裏に浮かんだのは、昨夜、高級車で玄関先に乗り込んできた、あの白いスーツの女の顔だった。
――KDCが、仕向けたのか……?
俺がこの会社に居続けると、こういう事が起きる。
そんなメッセージが込められている気がした。
大手企業が、こういった裏組織を完全には排除しない理由。
証拠を残さず、人件費が安く、いつでも切り捨てられる犯罪者集団。企業が直接手を下せない"探索者へのスカウトの強要"や"他社への嫌がらせ"を、彼らは下請け会社を経由して裏から外注するのだ。
俺は奥歯をガチリと鳴らした。
モンスターを倒して終わりの綺麗なダンジョンの世界。
その地下には、混迷期から100年経っても消えない利権と腐敗の泥沼が広がっている。
「課長、私……ッ!」
杖を握る火山の両手が、怒りと恐怖で小刻みに震えている。
その横では、最上が「センパイの邪魔をするヤツは、全員、敵……」と、前髪の奥の目を禍々しく据わらせていた。
「とりあえず警察と救急に連絡を」
「煉夜くん!どこ行くの」
「犯人捜しに行きます」
濁りきった目を向けたまま、スマホの電源を力任せに立ち上げた。
◆
「かっこつけて飛び出したはいいものの……本当にここか?」
スマートフォンに表示された地図と、目の前の近代的なオフィスビルを見比べながら、俺は思わず毒づいた。
最上、火山、結城の三人には仁神の方へ着いて行ってもらった。
火山は行きたがっていたが、こういう仕事は上司の仕事だと納得させ、
急激に立ち上げた株式会社冥竜の公式ホームページ。そこに堂々と載っていた本社住所を基にやってきたのだが、禍々しい裏組織の根城というよりは、新進気鋭のベンチャーのようなスマートな外観をしていた。
「煉夜くん。おかしいと思わない?」
「何がですか」
振り返ると、当然のように俺の背後に張り付いていた社長が、いつになく真面目な顔で腕を組んでいた。
「彼らは誘拐をして、何を目的としているのかしらね。身代金も要求してないし、条件の提示すらまだよ」
「あ、確かに」
「単に火山ちゃんへの復讐か……。それにしては、手際がビジネスライクすぎるわ」
いつの間にか着いてきていた社長の指摘は、的確だった。
釈然としないままビルの自動ドアをくぐり、冥竜株式会社の受付へと足を踏み入れる。
そこはやはり、観葉植物が飾られたごく普通のクリーンな会社の事務所という感じの雰囲気だった。
応接室に通された俺たちの前に現れたのは、仕立ての良いスーツを着た、いかにもやり手の現代表取締役――福田さんだった。
「――"冥竜"。確かに我が社の基礎はかつてその名で呼ばれた裏組織ですが……」
現社長は、眼鏡の奥の目を哀しげに細めてお茶を啜った。
「現在の我々は違います。かつてのリーダーだった前社長は、色々と素行が悪く、数年前に警察に捕まってクビになったんですよ。それを機に、うちはあらゆる裏家業から足を洗い、クリーンなダンジョン採掘企業へと生まれ変わりました……社名も変更予定です」
「なるほど……?」
俺は目をキョトンとさせた。
提示された情報は、嘘だとは思えない。
「……ですが、今朝。我々のオフィスに、意味不明なFAXが届いておりましてね。恐らくは、今ここにいらした皆さま宛てのものです」
差し出された一枚の紙。
そこに印字されていたのは、執念深い憎悪がにじむ、たった一言の文字列だった。
『共々、滅びろ』
「うわ、なによこれ……?」
社長がまじまじと目を細めて、FAXの用紙を見つめる。
「今、その元リーダー兼元社長はどこに?」
「さぁ……?ただ、業界の黒い噂は耳にしますねぇ……」
「黒い噂……?」
「ええ。反グレまがいのことをまだ続けているとか。確か、現在は建築会社を買い取って隠れ蓑にしているとか……。そう、名前は――"煙道株式会社"」
「煙道株式会社……!?移動中の車内でその建設会社で働いてるって言ってたぞ……!じゃあ、今朝血だらけで倒れてた仁神は……!?」
脳に電撃が走る。
なら今朝、血だらけで倒れていた仁神は、本当に被害者だったのか?
よく考えたら、仁神は火山の家のリビングに、何故都合よく居座ることができた?知っていた?違う……知っていたら、まず連絡をするはずだ。
全ては、俺達と火山をここへ誘導するため。
そして、自分たちをクビにした会社と火山への復讐を果たすためだったのか。
「しまっ――嵌められた!」
俺が叫ぶのと、凄まじい爆音が響いたのは同時だった。
――ドゴォンッ!!!!
爆風と衝撃波が応接室のガラス窓を粉々に粉砕する。視界が真っ白な光に染まり、オフィスの天井が悲鳴を上げて崩落してきた。
俺は咄嗟に社長を突き飛ばして床へ伏せたが、身代わりになった左腕に重い瓦礫が直撃する。
「グッ……!」
「ゲホッ、ゴホッ! な、何事よ!?」
「煙に巻いてそのまま圧殺――これがお仕事の基本ですな」
「流石、岸夫! すげー大胆!」
「ブルーノ、集中してください。例の大企業案件ですからな」
立ち込める土煙の向こうから、冷酷な二つの足音が近づいてくる。
現れたのは二人の男。一人は剣を携え、もう一人は巨大な斧を肩に担いでいた。
「"炎姫"はどこだ?」
崩落の続くオフィスの中心で、ブルーノと呼ばれた大男の斧が、俺たちに向けて冷酷に構えられた。




