第53話「公認イベント」
数時間後――。
火山家には、ドスンと暗い空気が流れて……いなかった。
「火山さんとお風呂に入るのはわたくしですわ!」
「い、いや、ワタシだ……!」
俺と火山の心配をよそに、二人の少女の関心はすでに“本日のリザードマン戦の査定結果”へと完全に戻っていた。
「ですが、貢献度が完全に折半だなんて納得いきませんわ! わたくしの華麗な電撃がなければ、あのボスは弱りもしませんでしたのよ!?」
「ハァ!? とどめを刺したのはワタシの短剣……!」
貢献度が高い方が、火山とお風呂に入って添い寝できる――という謎の勝負はまだ生きていたらしい。しかし、ギルドの査定結果は丁度半々だったようだ。
二人がフンスと鼻を鳴らしていがみ合っている最中、結城のポケットからひらりと一枚の布が落ちた。
「結城、なんか落ちたぞ? ハンカチか?」
俺が指さした先、床に落ちたのは小さな三角形の布地だった。
それを見た夏夜が、勢いよく立ち上がる。
「え、それ……!?お姉ちゃんの、パンツ――?」
「ええ! 火山さんのですわ!」
「は?なんでさも当然のようにパくってんだよ!?」
俺は咄嗟に叫ぶ。しかし結城は悪びれる様子もなく、胸を張って言い放った。
「……何を驚かれますの。わたくしは火山さんのご友人ですわよ? パンツの交換くらい嗜みますわ!」
俺は絶句した。
「こう……かん……?」
「ええ。ですから、わたくしのパンツを代わりに火山のタンスに入れて――どはァ!?」
次の瞬間、最上の“ブリーズ・ステップ”で強化された超加速の腹パンが、結城の腹部にクリーンヒットした。音を立てて吹き飛ぶ結城。
無自覚の変態なのか、コイツは……? 友達なら何してもいい訳じゃないはずだ。というか、等価交換にすらなっていない。
しかし、感心している場合ではなかった。俺はジト目で、結城を殴り飛ばした張本人へと視線を向ける。
「最上、お前が今ポケットにコソッと入れたやつ、出せ」
「チッ……ハ、ハイ……」
最上は、渋々ポケットから布地を取り出した。
「それ、火山に返してやれ」
「……ハイ」
最上が差し出したのは、先程床に落ちた、紛れもない火山のパンツだった。
どさくさに紛れて漁夫の利を得ようとするな。
「……お前らなぁ、少しは火山の心配とかないのか?」
俺の呆れた言葉に、腹を痛そうに押さえた結城と、バツが悪そうに視線を逸らす最上が口を開く。
「……げほっ、え? 火山さんが、負けるわけないですわ」
「そ、そうですよ。火山センパイが、これくらいでへこむわけ、ないですから」
「そうか、熱い信頼だな」
「若いっていいわねぇ」
背後から聞こえたお気楽な社長の声。
「窃盗は普通に犯罪ですからね?」
社長が緊張感なくお茶を啜った。
「あのー……。私、お風呂は二人と一緒に入っても全然構わないんですけど……」
火山が申し訳なさそうに干物の骨をむしりながら、ポツリと呟いた。
相変わらずガードが緩すぎる。こいつの全肯定スキルは、こういう修羅場の時ほど被害を拡大させるから恐ろしい。
「ダメですわ!火山さん、そんなことしたらこの引きこもりに何をされるか!」
「ワ、ワタシだって……! この泥棒に火山センパイの純情を汚されたくない……!」
互いに箸を突きつけ合って火花を散らし始める二人。
その様子を横目に、火山がさらに身を縮め、申し訳なさそうに俺の袖を引いて声を掛けてくる。
「あの、課長……私のせいで、なんだかすっごく大事になっちゃって、本当にすみません……」
「お風呂と添い寝の事か?」
「いえ!?賭けの事です!」
「あ、いや、お前が謝ることじゃない。悪いのは全部、人の人権をチップ代わりに使うあの黒沢姉妹だ」
俺が胃を抑えてため息をつくと、社長が干物の皮を齧りながら、不敵に笑って身を乗り出してきた。
「いいじゃないの煉夜くん!これ、大チャンスよ!あのゴミカス妹の持つ、最大手のトップダイバーと、うちの売り出し中の火山ちゃんが公式に決闘するのよ?勝てばこれ以上ない特大の宣伝になるわ!」
「……気楽に言わないでください。負けた場合はどうするんですか? 相手は泣く子も黙る黒沢財閥です。あの凛華社長の提示した条件を呑まなければ、それこそあらゆる手を使ってうちみたいな弱小、合法的に潰しに来ますよ」
冷徹にビジネスの現実を突きつける俺に、社長はフンと鼻を鳴らした。
「負けたらそこから考えるわよ!」
「経営トップの思考放棄やめてもらえます!?」
「とにかく! 決まったからにはまた特訓よ! 火山ちゃんをビシバシ鍛えなさい!」
「特訓はいいですけど……社長、フォロワーの方は大丈夫なんですか? 半月で5000人のノルマ、今やっと650人ですよ。そっちの納期も迫ってるんです」
「ちょっと煉夜くん、そんなこと言ってる場合ですか?」
「アンタが言わせてるんだろ!」
思わず声を荒げた俺を、社長はジト目でじっと見つめてきた。
「なによ、さっきから負ける前提で話して。私は自分の部下を信じるけど?」
「……ッ」
その言葉に、一瞬だけ言葉が詰まる。社長の脳天気な全肯定はいつものことだが、俺がここまで慎重になるのには、明確な論理的根拠があった。
「……俺は、明日香を知っている。アイツの本当の戦い方を知ってるから、だから言ってるんです」
その時、リビングのテレビの前にいた真昼と夏夜が、スマホを囲んで息を呑む気配がした。
「ねえ、これ……お姉ちゃんの対戦相手の、明日香って人の切り抜き動画……。めっちゃ強いじゃん……」
夏夜が震える手でスマホの画面をこちらに向ける。
そこから流れてきた映像は、昼間のダンジョンで見せた気怠げな姿とは一変した、文字通り「戦場を支配する圧倒的な武力」の記録だった。
画面の中で、明日香はスタジアムのような巨大な魔力結界のリングに立っていた。対峙するのは、フルプレートに身を包んだ屈強なプロダイバー。
カウントダウンがゼロになった瞬間、明日香の影から"漆黒の魔力"が爆発的に噴き出す。
突撃してきたプロダイバーの鉄壁の防御を、彼女は身の丈ほどもある大剣の一振り――"ナイトフォール・エッジ"の衝撃波だけで、盾ごと闘技場の壁まで吹き飛ばし、一撃で意識を刈り取っていた。
「な、なんですかこれ……。モンスターじゃなくて、ダイバー同士が戦っていますけど……?」
火山が、画面を覗き込んで驚愕の声を上げる。
「IGO公認で行われる、探索者同士の対人戦《PvP》のPRイベントだ。――通称、バトルイベント。現代ダンジョン産業における、eスポーツみたいなもんだな。IGOの公認と、そこで定められた厳格な安全規定内であれば、ダイバー同士の戦いが合法的に許されている」
「はえぇ……そ、そうだったんですね」
俺は画面の中で、大剣を肩に担いで不敵に笑う義妹の姿を見つめた。
「明日香は、その国内リーグのトップランカーだ。対人戦において、アイツは文字通り化け物なんだよ」
静まり返る火山家のリビング。
一週間後というデッドラインに向けて、攻略課に、かつてない本物の戦慄が走り始めていた。




