第52話「どうすんだ」
「連実さん……昨日はスミマセンでした」
「仕方ないさ。いきなり連携ってのが無理がある」
火山家に帰ってリビングのドアを開けると、そこにはすでに最上が居た。
リビングの重厚なソファに深く身を沈め、消え入りそうな声で申し訳なさそうに頭を下げる最上。
ピリついた空気はないが、どこか気まずい反省会の気配が部屋の隅に漂っていた。
「あ、課長さん!おかえりなさい!」
そこへ、パタパタと小気味よい足音を立てて火山の妹、夏夜がやってきた。
「……おう」
「あれ?なんか元気ないですね?」
「まぁ蘇生直後だしな……」
「そうなんですか?」
「ああ、経験すればわかる。なんつーか、身体の芯から魂がズレてるみたいで、絶望的に元気が出ない」
――いつもだろ。と、心の中で、自嘲気味に自分自身につっこむ。
「てか、お姉ちゃんと一緒に帰ったんですよね?どうでした?」
夏夜は俺の深刻な疲弊をよそに、今度は野次馬根性を全開にして、目をきらきらと輝かせながら身を乗り出してきた。
「途中、余計なのが一人増えたけどな……。ま、いつも通り普通だ。何ニヤニヤしてんだ」
「ほら、道中でこう、二人の仲がグッと深まるようなラブロマンス的イベントとか、なかったんですか?」
黒歴史を白日の下に晒され、尊厳を粉々に破壊されたことならあった。だが、それをこの純粋な目の妹に言う必要はどこにもない。
「……特に、ない」
「ええ~?そりゃ期待しますよ~、つまんないの」
「おう、姉貴!おかえり!夕飯できたぞ!」
小気味よい包丁の音と、出汁のいい香りが漂うキッチンからひょっこりと顔を出したのは、エプロン姿の真昼だった。
「ありがと~!真昼!」
「ん?なんか元気ねーな……?課長さん、なんか言った?」
真昼は火山を一目見るなり、その僅かな変化を敏感に察知して怪訝そうに眉をひそめた。そして、犯人を極めつけるような鋭い視線で、俺をジロリと睨みつけてくる。完全に濡れ衣だ。
「何も言ってないと思うが」
「煉夜くん。ちょっと話があるんだけど!」
背後からかけられた声に振り返る隙もなかった。
俺は部屋着姿の社長にガシッと腕を掴まれ、ずるずると引きずられるようにして、薄暗い物置部屋へと連れ込まれた。パタン、と容赦なくドアが閉められる。
「煉夜くん」
「は、はい?」
詰め寄られ、背中が壁にぶつかる。……か、顔が近い。
ふわりと甘い匂いが鼻腔をくすぐる。こうして至近距離で見ると、悔しいがその容姿は本当に整っていて綺麗なんだけどな、と場違いな感想が頭をよぎる。
しかし、彼女の瞳の奥にある光は、およそ穏やかなものではなかった。
「うち、辞める気?」
「だ、誰から聞いたんすか……!?」
心臓が跳ね上がる。まさかどこかで立ち聞きでもされたか。動揺を隠せない俺を見て、社長はふっと不敵に目を細めた。
「私の勘が言ってるわ。思いっきり顔に出てる。図星でしょ?」
「……ただの勘かよ。相変わらずおっかねえな」
「で?なんで辞めるの?」
「まだ決まってないですって!ただ、将来のことをちょっと……」
「うちのどこが不満なのよ!アットホームで、風通しもよくて、最高に働きやすい職場だと思うんだけど!?」
大真面目な顔で胸を張る社長に、俺の引きつった顔からついに限界が吹き飛んだ。
「それ本気で言ってます!?まともに機械の電源すら入れられない近藤を、技術部の部長にしてたんですよこの会社は!?」
「結論から言うと、辞めることは許さない」
「辞めるっていうか、スカウト、されたんすよね」
「え?え?どこに?」
「KDC……凛華さんがやってるとこ……」
「はぁ!?アイツ――ッ!!」
「れ、連実さんッ……や、やめるんです、か……っ?」
ガチャリと物置のドアが開き、聞き耳を立てていた最上を先頭に、火山、夏夜、真昼の全員が雪崩のように部屋に入ってきた。最上に至っては、すでに目に大粒の涙を溜めている。
「お前ら……全員で盗み聞きしてたな!?」
「ほら!部下の純粋な涙を見なさいよ!それでも心があるなら辞められるっていうの!?」
「だからまだ決まってないって言ってるだろ!」
狭い物置部屋の中で大人たちが押し問答を繰り広げ、混沌が極まったその時。
――ピンポーン。
鋭く、静かに、空気を切り裂くようにインターホンのチャイムが鳴り響いた。
全員の動きがピタリと止まる。
「はーい?」
予期せぬ来客に、夏夜がパタパタと玄関へ向かい、ドアを開ける。
「――どうも」
「え?ええっ?社長……さん?あれ、でもさっき物置に……」
夏夜が混乱した声を上げるのも無理はなかった。
「ん?ああ、私は姉の凛名ではなく、妹です。"クロサワ・ダンジョン・キャプチャー株式会社"の黒沢凛華と申します。連実煉夜さんはご在宅ですか?」
夕闇のグラデーションを背に受けて玄関口に立っていたのは、社長と酷似した、しかしどこか冷徹で、それでいてひどく可憐な雰囲気で、白いスーツを纏った女性だった。
「凛華ァ……!」
物置部屋から飛び出してきた凛名が、玄関先で妹の姿を捉えるなり、蛇に出会った猫のように威嚇の声を上げる。
「あら、お姉様。何年振りですかね?」
「なんでこんなとこにいんのよ!?」
「……ヘリで大阪に向かっている途中に、少し寄り道をと思いましてね」
さらりと恐ろしいスケールの移動手段を口にする凛華。
その背後、火山家の前には確かに不釣り合いな高級車が停まっていた。
「はーん?うちの煉夜くんを引き抜こうとしているそうじゃない?悪いけど渡すわけにはいかないわね」
「それを決めるのは煉夜さん本人ですよ?」
「うっさいわね!うちの煉夜くんは"ネクロス・テック・ワークス社"を愛しているのよ。そんなそうそう辞めるわけないでしょ?」
「そうなんですか?煉夜さん?」
凛華の、すべてを見透かすような冷徹な瞳が俺へと向けられる。
「ぐっ……!」
愛しているかと言われれば、ブラックな労働環境への愚痴しか出てこない。
詰まった俺の反応を見て、社長が悲鳴のような声を上げた。
「ええ!?ウソでしょ!?煉夜くん!?」
「明日香、入ってきなさい」
凛華が短く合図を送ると、白スーツの影から、見覚えのある人物が静かに一歩を踏み出した。
「明日香……!」
火山がその名を呼び、息を呑む。
「さっきぶりだね。兄貴、夕夏……」
気まずそうに、しかしその奥にどこか挑戦的な光を宿した目を向けてきたのは、先ほど別れたばかりの明日香だった。
「明日香から話は聞きました。そこにいる煉夜さんの部下、火山さんと今度、戦うそうじゃないですか」
「え!? そうなの火山ちゃん!?」
社長が裏返った驚愕の声を上げるが、凛華はそれを冷ややかに受け流す。そして、愉悦を孕んだ不敵な笑みを深め、俺と社長を交互に値踏みするように見つめた。
「……なのでどうでしょう。ここにいる皆さまで、少し賭けをしませんか?」
「え……?」
嫌な予感に、俺の背筋を冷たい汗が伝う。
「もし明日香が勝ったら、我が社が煉夜さんをいただく。というのはいかがでしょう? 逆もしかりです。――火山さんが勝てば、煉夜さんの引き抜きは綺麗さっぱり諦めて差し上げます。……もっとも、勝ち負けに関係なく、煉夜さんご自身が我が社へ来たいと仰るのであれば、私はいつでも両手を広げて歓迎いたしますけれど」
あまりにも身勝手、かつこちらの尊厳や労働基準法を完全に無視した理不尽極まりない提案に、俺は開いた口が塞がらなかった。ただの平社員を、会社の所有物か何かと勘違いしていないか、この姉妹は。
「上等じゃない!やってやろうじゃないの!」
だが、俺の常識的なツッコミが追いつく前に、社長が自信満々に凛華に向けて指を突きつけた。
「えっ!?し、社長!?」
「……ええ。構いませんよ。私、絶対に負けませんから」
今度は火山が、一歩も引かずに明日香を真っ向から睨みつける。
向けられた強い視線に、明日香もまた、不敵な笑みを深くして視線で応戦した。
バチバチと火花が散るような、かつてない身内同士の緊迫感が玄関口を包み込む。
勝手に自分の身代金を賭けられた俺は、頭を抱えながら、血の気の引いた声で呟くしかなかった。
「どうすんだこれ……!?てか、俺の人権……どこ?」
「あ、そうそう。一連の会話は全て録音済みですので、あしからず」
凛華は悪びれもせず、手元の録音機器を軽く振ってみせた。
これで外堀は完全に埋まった。言った言わないの水掛け論は通用しない。




