第50話「ボス:ハイリザードマン」
ハイリザードマンの巨大な顎が、水中に浮かぶミスリル鎧の塊――社長の胴体へと容赦なく噛みついた。
「ボボァッ!?(うわっ!?)」
「最上、結城!今だ、流せ!」
俺の合図と同時に、二人が最大出力で魔力を込める。
地下湖の水面が激しく沸騰するほどの青白い電流が、糸を伝ってハイリザードマンへと炸裂した。社長の叫び声らしき振動が水底から伝わってくるが、今は無視だ。
だが、水煙の向こうで、巨躯は未だに健在だった。
「ギ、ギガァァァッ!!」
ボスは苦悶の声を上げ、体に巻き付いた電線を強引に引きちぎる。
鋼を越える硬度を持つ岩のような鱗――"ハイリザードマン"の皮膚は、外側からの電撃や物理攻撃を完全に遮断する文字通りの絶縁体だった。
最大火力の電撃を以てしても、奴をわずかに弱らせる程度にしかならない。
「うそ……!?わたくしの最大出力でも!?」
「チッ……外皮が固すぎる……!」
「ごーぶぼよおお!?(どーすんのよ!?)」
前線が再び絶望に染まりかける。
だが、脇腹を抑える俺の視界は、限界を超えて逆に冴え渡っていた。
「課長のスキルでなんとかなりませんか!?」
火山の言う通り、スキルを使うか?
ただでさえ水流で不安定な水中だ。リアリティのある幻を維持するには普段の数倍の集中力が要る。さっきの目眩の件もあり、今は極力使いたくない。
それに、一瞬のハッタリには使えても、この硬度を誇る化け物に致命傷を与える決定打にはなり得ない。
外側がダメなら。内側だ。
「最上、その短剣を貸せ!結城、この短剣の柄に、お前の糸をで巻き付けろ!」
「え、えっ!?は、はいっ!」
「わ、わかりましたわ!?」
璃々華からひったくるようにして受け取った高級そうな短剣。
その柄に、糸が瞬時に何重にも巻き付けられる。
「連実さん、まさか――」
「結城、俺の合図で最大電流を流せ」
槍で抉られた脇腹の痛みを気合いでねじ伏せ、俺は冷たい地下湖へと飛び込んだ。
水中、電撃で弱りつつも社長を貪り食おうとするハイリザードマンの懐へ肉薄する。狙うは無防備な口内だ。顎を強引にこじ開け、魔力糸の繋がった短剣を根元まで突き刺した。
「がばぜっ!(流せ!)」
陸の二人へ叫んだ直後、視界が真っ白に染まる。
口内から脳髄へ叩き込まれた数万ボルトの超高電圧に、ボスの巨躯が激しく痙攣した。即死だろう。
だが同時に、完璧な導電体である水中では、俺も例外ではなかった。
全身の神経が焼き切れる衝撃の中、ステータスウィンドウの【HP:230】が猛スピードで【0】へと急降下していく。
――連実 煉夜、二度目の殉職。
遠のく意識のなかで、俺は「一人だったらなぁ」と、ぼんやり思っていた。
◆
――翌日。
「ん……?」
消毒液の中で目を覚ます。
サウナカプセルのような"再生槽"――いつも慣れないな。この匂いは。
「なんで俺、ここでダンジョンなんか潜ってんだ?」
ガコン、と重い駆動音を立ててハッチが開き、溜まっていた液体が勢いよく排水されていく。
医療スタッフからバスタオルを引ったくるように受け取り、這い出るようにして再生槽を後にした。
「連実さん、蘇生手続きが完了しました。受付でサインを――」
しばらくして、諸々の解放手続きを終えてロビーに出る。
ずぶ濡れのスーツを着替える気力もなく、貸し出された無地のスウェットに身を包んだ俺は、ベンチに腰掛けてポケットからスマホを取り出した。
画面を点灯させた瞬間、網膜が焼き切れそうなほどの通知の嵐が液晶を埋め尽くす。
【火山】『課長!大丈夫ですか!?今どこですか!?』
【最上】『連実さん、すみませんでした』
【社長】『そろそろ蘇生完了でしょ?早く来なさい』
それだけではない。
IoTチームメンバーからの着信履歴も不気味なほど並んでいる。
「……あー、無理」
脳の演算領域が、完全にキャパシティをオーバーしていた。
メッセージは一切開かない。スマホの電源ボタンを容赦なく長押しし、画面を暗転させる。すべての連絡を、文字通り遮断した。
今、あの騒がしい奴らの顔を見たら、本当に脳の血管が弾け飛ぶ。
ロビーを出ると、外はすっかり帳が下りていた。
火山の実家へ戻る気にもなれず、重い足取りのまま、夜の闇が広がる海沿いの道へ進む。
暗闇の向こうから、冷たい潮騒の音が響いてくる。
昼間の激闘が嘘のように静まり返った夜の砂浜。俺は防波堤にぽつんと腰掛け、ただ黒い海を見つめていた。
なぜ、こんなに胸の奥が、今にも爆発しそうに痛むのか。
ただの過労や、脇腹を貫かれた痛みの名残じゃない。
今は、全てを捨ててただ、海を眺めていたかった。
死んだと思っていた自分の気持ちが――まだ、生き返ろうと足掻いているからなのか。
「ハァ……。何が最強だよ、みっともない」
自嘲気味に呟いた、その時だった。
「……ふん。やっぱりここにいた。昔から、お兄ちゃんは行き詰まるとすぐ海を見るよね」
「明日香……」
背後から響いたのは、昼間のダンジョンよりもさらに低く、どこか張り詰めたハスキーな声。
振り返ると、レザージャケットの襟を立てた明日香が、暗闇の中から俺をじっと見つめて立っていた。




