第4話「顔合わせ」
夢を見た。
幼い頃の夢だ。
休み時間のドッジボール。駄菓子屋の10円ガム。塩素の匂いが染みついたプール。
平凡で、どうでもよくて、それなのに妙に輪郭のくっきりした過去――
しかし、その夢の端で。
亡き祖母が、川の向こうから手を振り始めた瞬間、俺は気づいた。
(ああ、これ……走馬灯だ)
――
―――
――――
「うはっ!?……あ、生きてる……?」
俺はデスクに突っ伏したまま眠っていたらしい。顔を上げた瞬間、首がミシッと鳴る。
モニターの右下に表示された時刻を見ると、定時の開始時刻をとっくに超えていた。
まあ、この会社に"定時"があるかどうかは――限りなく都市伝説だが。
「あっ!起きたー!おはようございまーすっ!」
弾むような女の声。
同時に、いい匂いが鼻先を掠めた。コーヒーと柔軟剤が混ざったような香りだ。
視線だけ横へやる。
俺のデスク脇に、ひとりの女性が立っていた。
スーツに身を包んだ若い社員。
栗色の髪は肩口で揃えられ、手には紙カップのコーヒー。
背筋は真っすぐ、目はきらきらしていて、眩しい。まるで、闇そのものである俺を消滅させに来たような存在だった。
「……誰?」
「私、"火山 夕夏"っていいます!今日からダンジョン攻略課に配属になりました!」
「え、そうなの」
「はいっ!顔合わせミーティングだって社長が言ってて、『起こしてきて』って!」
最後の一言で、眠気は別種の冷や汗に変わった。
「は!?そんなの何も聞いて――」
慌ててメールを見ると、社長によってミーティングが設定されていた。
デスクで気絶したタイミングの後に、間違いなく送られている。
「やべっ……第一会議室!急ぐぞ!」
「はいっ!課長!」
椅子にかけていたジャケットを着直し、勢いよく立ち上がる。
第一会議室――たぶんこの会社で一番大きい会議室だ。
扉の前で息を整え、弊社ルールの"三回ノック"をかましてから、ドアを開けた。
「し、失礼します」
「しっつれいしまーす!」
俺と火山が入ると、社長が腕を組んで鎮座していた。
空気が重い。吸うだけでため息が出る圧だ。
横目で室内を見回す。
椅子は整然、資料も揃い、会議室だけがやけに準備万端。
なのに、人の気配が薄い。
そこで気づく。
……なんか、少なくないか?
「遅い!」
社長の低い声が飛ぶ。
「す、すみません……」
「ったく……十分の遅刻よ。ま、いいわ。さっさと座って」
「へい……」
席に着くと、社長はホワイトボードを指さした。
そこには『ダンジョン攻略課 顔合わせミーティング兼 業務内容説明』と、でかでか書かれている。嫌な字面だ。
「はい!顔合わせミーティング開始!まずは自己紹介!」
「ちょっと待ってください」
「なによ」
「人数、少なくないすか?」
「昨日言ったでしょ。割ける人材なんているわけないじゃないの」
「じゃあこの三人だけ!?」
「うん」
俺は天井を仰いで、頭を抱えた。
「安心しなさい!今は中途採用者を募集してるから!」
「来るわけねーだろ!」
反射でツッコむと、社長はむしろ楽しそうに頷いた。
「と、思うわよね?でも我が社は、素人でも入れて鍛える!ダンジョンに興味あるけど実力ない、って人を引き入れるのよ!」
「おおー!流石社長です!」
火山が手をぱんっと合わせて、目を輝かせている。
「火山ちゃんは私をよく理解っている!」
火山も社長も、同じテンションで会話している。
この場でおかしいのは、間違いなく自分だ。
社長は咳ばらいを一つ挟む。
「では、部長の私から!黒沢凛名!社長兼部長として今日からこの課でお世話になります!質問ある人ー?」
「はいはーい!」
火山が元気よく手を挙げる。
「なんでこの課を作ったんですかー?」
「いい質問ね!新規事業よ!」
「なんで新規事業を?」
「我が社は今、自転車操業なの。で、新規事業よ!今の時代はダンジョン資源、ダンジョン配信ってわけ!」
「既にレッドオーシャンでしょ……」
「次、火山ちゃん!」
俺の至極真っ当な懸念は、綺麗さっぱりスルーされた。
「はいっ!火山 夕夏、22歳!昨日までお客様相談室で働いてましたー!よろしくお願いしまーすっ!ちなみに昨日から何も食べてなくて、先輩が何かご馳走していただけると非常に助かりまーす!」
怒号と理不尽が飛び交う、あの“お客様相談室”の生き残りか。
なるほど、この場にそぐわない異常なポジティブさは、地獄で鍛え上げられた鉄壁のメンタル筋肉によるものらしい。
一般人とは鍛え方の次元が違う。
「……なぁ。もしかして、相当な金欠なのか?」
「は、はい……!お恥ずかしながら……っ!」
俺の引きつった問いに答えるように、静かな会議室に彼女の腹虫がぐーっと盛大に鳴り響いた。本人は照れくさそうにエヘヘと笑っている。
俺は手元の資料の余白に、『火山夕夏 22歳 深刻な貧乏(要給食)』と静かにメモを取った。
「じゃあこのあとラーメンでも食べに行くわよ。課長のおごりでね! ラスト、課長!」
俺が奢るのかよ。
「えー……連実 煉夜、32歳。昨日までIoT部門でチームリーダーしてました。以上」
「え?終わり?」
「え?」
社長は、きょとんと首を傾げた。
沈黙だけが、やけに長い。
「気が利くひ・と・こ・と!」
「ど、どういう事ですか」
「いいから!」
背中に、他の社員の視線が刺さる。
逃げ場はない。
「……危険な業務になると思いますが、頑張りましょう」
「それだけ!?」
「それだけですよ!次行きましょ!」
ぱん、と社長が手を打つ。空気を切り替える音。
「じゃあ業務説明、連実くん巻きでお願い♡」
「俺ですか?」
「唯一の資格保持者でしょ、ほら前へ!」
鼻先に指を突きつけられ、俺は溜息混じりに口を開いた。
「……まず前提として、近年のダンジョン出現率は異常なペースで急増している。我が社が生き残るためには、そのダンジョンを攻略し、資源を回収し、さらに配信で小銭を稼ぐ。これがこれからの主な業務となる」
「はいっ! 質問です!」
火山が小学校の授業のような見事なキレで右手をピンと挙げた。
「確かダンジョンに入るのって、専用の国家資格が必要ってニュースで見ました! ちなみに私、そんな高尚なもの一切持ってません!」
「そうだ。昔は入るのに全員に資格が必要だったが、今は有資格者が一人いれば素人も四人まで同行できる。数ヶ月の修業も、今じゃ三日の試験でぽんぽん発行される始末だ」
「深刻な人手不足なんですね」
火山が神妙に頷く。
そこへ、社長がバンッ!と机を叩いて割り込んだ。
「臨戦態勢!ここからが大事なのよ!」
輝く瞳に嫌な予感が走る。
「今のダンジョン産業は攻略だけじゃない、主戦場は"D-Livers"よ!」
「あー、IGO公認の配信プラットフォームですよね」
「そう!配信、広告、投げ銭、企業案件!今やダイバーは半分インフルエンサーなのよ!」
社長が得意げに胸を張る。
「フォロワー千人から収益化されるから、とりあえずそれを目指すわ!」
「夢より先に労働時間が広がりそうなんですが」
「うるさい!」
社長がビシッと俺を指差す。
「蘇生保険の普及で死亡リスクも管理可能になった!今やダンジョンは災害対策であり、資源産業であり、エンターテインメントでもあるのよ!」
「テーマパークみたいですね!」
火山の目が、まるでアトラクションを前にした子供のようにキラキラと輝きだす。完全に社長のペースに巻き込まれている。
「間違ってないわ!」
社長は満面の笑みで親指を立てた。
間違っていてほしい。切実に。
「そしてぇ!ライバルが乱立するこのダンジョン業界において、我々には他社にない圧倒的な強みがあります!」
しっかり聞こえていたらしい。
社長は自信たっぷりに胸を張る。火山は「おおっ!」と目を輝かせて身を乗り出した。
いくらブラック気質でも、経営の嗅覚は確かだ。何の勝算もなくこのバブルに飛び込む女ではないはず。
淡い期待を抱く俺に向かって、社長は満面のドヤ顔で宣言した。
「二十四時間いつでも出動可能なことです!」
「待てええい!!」
「うっさいわね。なんか文句ある?」
「こっちの胃はズタズタですよ! コンビニじゃないんだから!弊社の公式HPにも『就業時間:9時から18時、残業代支給』ってデカデカと書いてあるでしょ!?」
社長はパッと表情を輝かせ、指を鳴らした。
「あ、それいいわね!採用!キャッチコピーは"ダンジョン攻略界のコンビニ"!」
「よくねぇよ!火山も何か言ってやれ!」
「社長!……おでんは冬以外でも出しましょう!」
真剣な顔で答えた火山に、俺は何も言わなかった。
俺は机を指で軽く叩き、意識を引き戻させた。
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