第46話「悩む…」
『なんか連実さん、今日元気ないっスね』
その夜、俺は火山の実家の空いている物置同然の部屋に引きこもり、ノートパソコンの画面に向き合っていた。
昼間の大騒ぎの余韻も冷めやらぬまま、俺はいつも通り、リモートでIoTチームの緊急トラブル対応のヘルプに入っている。我ながら悲しい社畜の習性だ。
イヤホン越しに聞こえてきたのは、後輩の田中の抜けた声だった。
カタカタと、深夜の部屋に虚しくキーボードを叩く音だけが響く。
「いや、いつもだろ。お前らの仕様変更のケツ拭きをさせられてるんだから、元気がある方がおかしい」
『ハハハッ!まぁそうスけど!なんというか、いつも以上にこう……ガチで悩んでる感じがするんスよねー』
「……なんでもお見通しだな」
『まぁ、いつも一番近くで連実さんの死んだ魚の目を見てたんで、濁り具合で大体分かりますよ』
自慢気に言うことではない。だが、ブラックな戦場を共にしてきた阿吽の呼吸というやつか。
「ま、お前になら言ってもいいか。……結論から言うと、ヘッドハンティング的なことをされた」
『は!?どこから!?』
イヤホンが割れんばかりの田中の大声が響き、俺は思わず耳を塞いだ。
「声が大きい。……KDC……ってとこ」
『は!?はぁっ!?くっそ大手じゃないスか!?』
「そうなんだよ……。とはいえ、今の会社、特に社長には拾ってもらった義理があるし……。だけどさ、その、妹から直々のお願いってなると、無下にはできないだろ……」
『妹?』
あ、口が滑った。
俺が隠してきたプライベートの領域だ。
「ああ。……妹が、KDCにダイバーとして所属してたことが判明してな。それで今回、直々に俺をスカウトしに来たっつーか。一緒に働きたいって、頭を下げてお願いされたんだよ」
画面の向こうで、田中が息を呑む気配が伝わってきた。
マウスのクリック音がピタリと止まる。
『……まじスか……。え、じゃあ都市伝説じゃなくて本当に転職しちゃうんスか?……いや、連実さん居なくなったら、ワンチャン会社終わりますよ』
「ワンチャンどころか、既に泥船だ」
このままだとこの会社は一年後にはショートする、とは言えなかった。
「まぁ、そこは社長の経営手腕でなんとかなるだろ?俺一人が抜けたって回るようにするのが組織ってやつだ」
そう自分に言い聞かせるように言葉を返したが、胸の奥につかえた複雑なモヤモヤは、一向に晴れる気配がなかった。
『まぁアタシだったら義理もくそもなくこんな会社、辞めますけどね』
「だよなぁ……」
『決めるのは連実さんですけど、ワタシとしては辞めてほしくないかな。ただでさえ寂しんスから』
俺は正直、悩んでいた。
このまま転職すれば、社長や部下を裏切る形になるだろう。
だが、俺の心身は既に疲弊しきっている。過労死だって経験した。
何よりも、明日香からのお願いだ。妹からのお願いを無下にできるほど、俺はできた人間じゃない。
そして何よりも――。
『私も、またお兄ちゃんと……一緒に、潜りたいし』
昼間、真っ赤な顔をして俺の服の裾を握りしめていた、明日香のあの潤んだ瞳。
あんな風に切実な顔で頼まれて、妹からのお願いを無下にできるほど、俺はできた人間じゃなかった。
「どうすりゃいいんだよ……」
ポツリと溢れた独り言に合わせるように、机の上のスマホが震えた。
配信アカウントのフォロー通知。現在のフォロワー数は650人――社長の目標である5000人には、まだ遥かに遠い。
大手に転職すれば、こんな数字に一喜一憂することも、社長の無茶な納期に追われることもなくなる。
答えの出ない問いを抱えたまま、俺は暗い部屋で、青白く光る液晶をただ見つめ続けていた。
―
――
―――
深夜の限界作業中、ふと遠い昔の記憶が脳裏をよぎる。走馬灯じゃなければいいが、と自嘲気味に独りごちた。
15年ほど前、高校二年の時に親父が再婚した。
「今日からお前の妹になる明日香だ」
急にできた10歳も年下の妹。どう接していいか分からず、最初は互いに目も合わせない冷え切った距離感だった。
そんなぎこちない関係を一変させたのが、あの事件だ。
ある日、実家の近所に出現したダンジョンからモンスターが溢れ出し、幼い明日香が襲われた。
「きゃああああっ!!」
「――俺の妹に手を出すなッ!!」
無我夢中で割り込み、妹を庇って戦った結果はボロボロの辛勝。
だが、高校生だった俺は"妹を救った自分"に激しく酔ってしまった。
今思えばただの中二病だが、初めて自分のスキルを明確な目的のために使った瞬間でもあった。
最悪なことに、その成功体験が俺を「俺、最強なのでは?」と盛大に勘違いさせた。
それからは親に隠れて"黒い虚飾"としてコソコソ潜り続けたが、学業が疎かになってあっさりバレた。
探索者を毛嫌いする親父は烈火のごとく怒り、全能感に狂っていた俺と言い争いになった。
結果、俺は若気の至りと勢いに任せ、18歳の高校卒業と同時に実家を飛び出したのだ。
その後、明日香も高校進学を機に上京してきた。
どうやら当時の俺に憧れていたらしく、一時期は数回ほど一緒にダンジョンへ潜ったりもした。
だが、俺が探索者を引退してからは一気に疎遠になり、今に至る。
―――
――
―
「煉夜くん!何してるの!?朝よ朝!めっちゃ朝よ!」
「んえ?」
「何が『んえ?』よ。かわいくない!さっさと起きなさい!」
社長が仁王立ちで俺の前に立っていた。朝一番から見るには、あまりにも目に悪いハイテンションだ。
「へいへい」
「というわけで、今日もよろしく!あ、今日はみんなで行くから!あの結城開拓のお嬢様も一応連れてく。戦力と、あと売名目的で連れてくわ」
「あの人、人気あるんすか?」
「あるみたいよ。ほら」
画面の中で再生されていたのは、結城璃々華の切り抜き動画だった。
探索者らしからぬ上品なドレス姿のまま、ダンジョン内でモンスターに涙目でビビり散らかし、情けない悲鳴を上げながら逃げ惑っている。
……なるほど、庇護欲をそそるというか、歪んだ需要をガッチリ掴んでいるタイプの配信者というわけだ。
「なんか、社長にそっくりっすね。絵面が」
「はぁ?私にはね!優秀なタンクとしての素質があるのよ!」
「鎧が最強なだけじゃないですか」
「うっさいわね!いい?財力も強さなのよ!」
まあ、自爆覚悟の特攻なんて社長くらいにしかできないか。
俺が寝起きの頭でそんなことを考えていると、社長はフンと胸を張って、居間へと続く襖をガラリと開け放った。
「ほら、さっさと着替えて居間に来なさい!妹ちゃんたちがもう朝ごはん作って待っててくれてるんだから!」
「はーい」
襖の向こうの広い居間からは、地元の干物が焼ける香ばしい匂いと共に、賑やかな声が漏れ聞こえていた。
俺が渋々起き上がり、スーツに着替えて居間へと足を運ぶと、そこにはすでに朝食の卓を囲んだ攻略課の面々と、なぜか当然のように上座に陣取っている結城璃々華の姿があった。
「あら、おはようございます、連実さん。ずいぶんと遅いお目覚めですのね」
「……おはよう。今日の話は聞いたのか?」
「ええ。今回はわたくしの皆様とご一緒できるのでしょう?」
「まぁ、そうらしいが……。親父さんは大丈夫なのか?許可とか、その、会社のメンツとか」
結城開拓といえば大手だ。そこの令嬢が、うちのような弱小企業に混ざって攻略に参加するなど、普通なら上が許さないはずだ。
すると、璃々華はフフンと勝ち誇ったような笑みを浮かべ、手元にあったスマホを俺に差し出してきた。画面には通話中の文字。
「はい、これ」
『おー!煉夜ー!?聞こえるか?』
「智哉さん……!?」
スピーカーから響いてきたのは、やたらと声のデカい聞き覚えのある声だった。
『おう、娘が世話になるなー! コイツ、見ての通りのビビりなもんで、普通のモンスター相手だとすぐに日和っちまうんだけどよ」
「ええ……」
攻略課の面々からの視線を一身に浴びながら、俺は内心で盛大なため息を吐き、渋々と相槌を返した。
『おめぇんとこの……なんだっけ、あの火山のやつ?あいつと一緒なら試験の時に戦えたっていうもんだからよ。どうだ? うちからの派遣って形で、そっちで泥に塗れて頑張ってもらうってのは?』
「はぁ!?」
「はいっ!お電話代わりました、ネクロス・テック・ワークス株式会社・代表取締役の黒沢凛名です!智哉さん、娘様は私共にお任せください!うちの有能な連実の腕にかかれば、一流のダイバーとして泥の髄まで育て上げてみせます!」
俺が困惑して言葉を詰まらせた瞬間、横から疾風のような速度でスマホが奪い取られた。
犯人はもちろん、目を¥マークに光らせた我が社の社長である。
どうせ、タダで大手のお嬢様ダイバーを売名に立てて配信できるからだろ。




