第42話「部下の地元へ」
「ダメよ」
火山の地元への出張の提案をした。
だが、当然というか、分かっていたというか。社長の気迫の顔が、俺の眼前にまで迫る。
「なんでですか?」
「そんな経費がないし、わざわざ遠方まで行く必要ないでしょ?」
正直、正論だ。ぐうの音も出ない。だが、俺は捨て身の唯一のカウンターを持ち合わせていた。
「……なら、俺が全額出します。私費で行きます。それで文句ないでしょう」
「ダンジョン攻略課初の出張ね!楽しみ!」
社長の目が瞬時に据わり、先ほどまでの怒気は霧散し、代わりに胡散臭いほどキラキラとした笑みが張り付く。
ふざけんな、このクソ社長。
「え?てか着いてくるんですか?」
「はぁ!?当たり前でしょ!?え、私達チームなのよ!?」
「社長の旅費は……」
「煉夜くん持ちでしょ?決まりね。美味いもん食いまくるわよ!」
社長はカレンダーに、嬉々とした態度で、カレンダーに〇をつける。
「で、煉夜くん。フォロワー増えたの?」
「まぁ……50人くらい……」
「焼肉の予約もしときますか~」
「まだ決まったわけじゃないでしょうが!」
社長が鼻歌交じりでカレンダーに予定を書き込む傍らで、俺は溜息を噛み殺した。
「これでよし!さっさとIoTチームの言ってきてちょうだい!」
その真っ直ぐな言葉が、妙に心臓を抉る。
俺は視線をそらし、デスクに置いていたスマホを見る。
画面には、田中からのヘルプメール。
さて、と。出張の準備はそいつらに任せるとして、俺はまだ“残業”が残ってたな
結局、俺の私費で全員分を負担することになった。
ネクロス社の経費削減という大義名分は、社長の「美味しいものを食べたい」という本能の前では無力だったらしい。
◆
5月15日、朝。
東京駅から新幹線に乗り込み、そこからさらに在来線を乗り継ぐこと片道3時間。
車窓を流れる景色は、次第にビルの森から鮮やかな緑の山並みへと変わっていった。
「わぁ……。やっぱり空気、違いますね」
火山が窓ガラスに額をくっつけ、どこか懐かしげな顔で外を眺めている。
最上と璃々華も、いつもならケンカばかりしているくせに、今は珍しく窓の外に広がる田園風景を大人しく眺めていた。
ダンジョンが発生したというニュースはここでも流れているはずだが、街には不思議なほど静寂が漂っている。
「……えーっと。ここ、で合ってる?」
最寄り駅に降り立った俺たちは、そこそこに栄えたロータリーでタクシーを捕まえようと待っていた時だった。
「はいっ!ここが私の地元です……!」
火山が恥ずかしそうに言う。
しかし、その視線の先から、男が歩いてくるのが見えた。
タトゥーとジャラジャラと装飾を身に着け、ニヤニヤと俺達を見つめている。最上は俺の後ろに隠れ、結城は集団を睨む。
そして、俺達の前で、そいつらが止まった。
「姐さん!やっぱ帰ってきた!おかえりなさい!」
「……え?」
現れたのは、茶髪を短く刈り上げ、明らかに只者ではない雰囲気を纏った二十歳前後の男だ。
彼は火山の姿を認めると、まるでかつてのボスを迎えるかのように勢いよく頭を下げた。
「伸二……!なんでここに……!?」
「今日帰ってくるって、妹さんから聞きましたよ!いや~変わってなくて安心しましたよ!」
"姐さん"。
その単語を聞いた瞬間、俺は嫌な予感がして、そっと最上の顔色を伺った。最上もまた、璃々華も、社長ですら、目を白黒させて固まっている。
「……姐さん?火山センパイが……?」
「人違い、ですわよね……?」
「これはこれは皆さん!姐さんがお世話になってます!」
仁神と呼ばれた男が、頭を下げる。
俺は無言で、火山を見つめた。
火山は、これまでに見せたことのないような引きつった笑みを浮かべ、俺から必死に目を逸らしている。
「あ、あはは……!これにはちょっとした訳があって……!」
「色々あるんだな」
「ん?水臭いっすよ姐さん!伝説の不良の"炎姫の火山"の名が泣きますよ!」
仁神は、恥ずかしげもなく、からっと笑いながら言う。
伝説の不良――か。なるほど、だからあいつは、魔物を殺すことに一瞬の躊躇いもなかったわけだ。
「そ、それは言わないで……!」
顔が真っ赤になり、耳の裏までオーバーヒートさせて両手で顔を覆う火山。
安心しろ。誰にでも黒歴史はある。
「あの"冥竜"を壊滅させたときは……痺れましたね!」
「だから!過去の話は辞めて!」
「さ、姐さん!家まで送りますよ!」
タクシー代が浮いたのは、ラッキーだった。"炎姫"様様だ。
街は海のある程よい田舎、チェーン店などが多く存在する。
結局、俺たちは伸二たちが手配した少し型落ちのミニバンに分乗し、火山の家へと向かうことになった。
車内は、実に見事なまでの静寂に包まれている。
助手席で小さくなっている火山の背中からは、熱気が漂っているように見えた。後部座席では、最上と璃々華が、火山の後頭部を見つめている。
「……"炎姫"」
ぽつりと、最上がその二つ名を呟いた。
「ひゃっ!?」
火山が変な声を上げて飛び上がる。
「炎の姫、ですのね。……確かに、火山さんの使う魔法は炎でしたわ。私と同じく、姫、だったんですわね」
「違っ、違うの璃々華ちゃん!あれはただの、その、周りが勝手に呼び始めただけで……!」
「へぇー、"炎姫"ねぇ。ねえ最上ちゃん、これPRに使えないかな?」
「……いけるかも、です……! か、かっこいいし」
バックミラー越しに見る火山の顔は、すでにトマト並みに真っ赤だ。
とはいえ、俺の中でいくつかのパズルがカチリと噛み合ったのも事実だった。
初陣のダンジョンで見せた、あの異常なまでの肝の据わり方。あの時感じた違和感の正体は、これだったわけだ。
「仁神は……今何をしてるの?」
火山が、気まずさを埋めるように、運転席の仁神に声を掛けた。
「……ああ、今は"煙道株式会社"っていう建設会社で働いてます。姐さんの部下だった奴らは、みんなそこにいますよ」
「え、私も入れてくれたらよかったのに」
「ははっ!会社が出来たのはつい最近ですからね。姐さんが地元を出て行って……半年後くらいですかね。知り合いに誘われて、それで」
「そうなんだね」
火山が嬉しそうに目を細める。
「てか、仁神だけでよかったー……大勢で来てたら終わってた……」
「ははっ!みんな仕事が忙しくて」
彼女が潜ってきた修羅場の回数は、普通の女子とは文字通り桁が違うのだろう。
俺は窓の外を眺めながら、そんなことを考えていた。
「……着きましたよ、姐さん!」
運転席の伸二が、軽快にブレーキを踏んだ。
車窓の向こうに見えたのは、どこにでもある、少し広めの庭が付いた一軒家だった。
「あ、姉貴!ほんとに帰ってきた!」
「おかえり!姉ちゃん」
「真昼!夏夜!ただいまーっ!」
駆け寄ってきた二人は、髪型こそ違えど、火山の面影を色濃く残す整った顔立ちをしていた。
真昼は、少し癖のある栗色の髪を肩のあたりで無造作に切りそろえ、活発そうなTシャツ姿。火山譲りの切れ気味な瞳は、今は嬉しそうに輝いている。
妹の夏夜は、艶のある黒髪をきっちりとした三つ編みにしており、まだ幼さの残る顔。少しおっとりした雰囲気だが、火山をそのまま小さくしたような形の良い眉が印象的だ。
真昼は高校生くらいで、もう夏夜は中学生くらいだろうか。
「ま、何はともあれ無事に到着したわけだし!煉夜くん、今日はこのまま火山ちゃんの実家にお世話になるのよね?」
「ええ、その予定です。……火山、急に大人数で押しかけて悪いな」
口では殊勝なことを言いつつ、俺は内心でガッツポーズを決めていた。
ただでさえ俺の私費全額負担というデスゲーム状態なのだ。新幹線代だけで消し飛んだ俺の財布にとって、ホテル代が浮いたのは神の慈悲に等しかった。
ありがとう、火山。
「いえ、それは全然大丈夫なんですけど……その、私の過去のせいで、皆さんを引かせちゃってたらどうしようかと……」
上目遣いで、おずおずとこちらを伺ってくる火山。
東京ではあんなに頼れる先輩なのに、今は完全に捨てられた子犬のようだ。
そんな火山に対し、最上が一歩前に出て、その手をそっと両手で握りしめた。
「引くわけ、ないじゃないですか……。むしろ……その、超かっこいい、っていうか……!」
「えっ、そ、そっち!?」
最上の予想外にリスペクトに満ちた熱い眼差しに、火山がパチクリと目を丸くする。
さらに、隣にいた璃々華も扇子で口元を隠しながら、上品に、しかしその瞳をごちそうを前にした猛獣のように輝かせて微笑んだ。
「同じ姫として、そのカリスマ性の秘訣、後でじっくりお聞きしたいですわ!」
結城が完璧な追撃をかけた。
どうやら二人は、引くどころか別のスイッチ――"地元の不良を何十人も従える最強の姐さん"という、年頃の少女特有のダークヒーローへの憧れに火がついてしまったらしい。
「てか、なんで結城開拓のお嬢様が居るのよ!?」
「今更!?」
俺は思わず大声で叫んでいた。
東京駅での待ち合わせから新幹線、果ては伸二のミニバンの中に至るまで、ずっと一緒に移動していたというのに。このクソ社長、本当に今まで気が付いていなかったのか。
「な、なんか……あまりにも自然に居たから気が付かなかったわよ……!そもそもあんた産業スパイでしょ!?スパイの分際でなんでうちの社員の実家に泊まろうとしてるのよ!野宿に決まってるでしょ、野宿に!」
「あら、心外ですわね。私、御社のビジネスパートナーでしてよ。 それに、このような素敵なお屋敷を前にして野宿だなんて、風情がありませんわ」
社長の猛抗議を、璃々華はどこ吹く風で、優雅に扇子をパタパタと仰ぎながら受け流す。お嬢様特有の鉄壁のスルー技術である。
「まぁまぁ……社長。いいじゃないですか。璃々華ちゃんも悪気があるわけじゃないですし、部屋は余るほどありますから」
火山が苦笑しながら、おろおろと社長をなだめていた。




