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第38話「アンチの正体」

 IoT部署の面々が証言してくれたおかげで、俺は一晩で釈放された。


 しかし、一件落着――なんて生ぬるい言葉は、俺の世界には存在しない。

 ましてや、平和にはならない。むしろ混乱を加速させてしまった。

 恩返しをしなければと、IoTチームの手助けに来ていた。


「終わらねぇな……」


 俺は項垂れるような声で、何故かIoTチームのオフィスに出社している自分を呪った。

 部長が居なくなったのにも関わらず、驚くほどにいつも通りのオフィス。


「もー!何回言うんスか!」


 カタカタとキーボードを叩きながら、後輩の田中が視線だけを向けてくる。


「……それより、昨日の騒動が嘘みたいだな」


 見渡せば、いつも通り、誰もが死んだような顔で仕事をしている。


「まぁ、部長がクビになったからって、クライアントも納期も待ってくれないスからね」

「それもそうだな」


 乾いた笑いすら起きず、ただサーバーの駆動音だけが響くオフィス。

 この変わり映えのない日常の裏で、俺にはどうしても確かめたいことがあった。


「なぁ、田中。一つ、聞いてもいいか?」

「なんスか?まさかダンジョンにビビって、こっちの部署に戻る気になりました?」


 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる田中に、俺はスマホの画面を突きつける。

 そこに表示されているのは、ダンジョン攻略課の配信画面。


「いや。……ずっと気になってたんだが。もし違ったらすまん」


 俺は画面に並ぶ、辛辣なアンチコメントの数々を指でなぞった。


「この“Unknown”ってアカウント、お前か?」


 田中のキーボードを叩く手が、ピタリと止まった。


「やだなぁ~違いますよ~!てか、なんでそう思ったんスか?」


 田中は視線を画面に戻し、おどけた調子で肩をすくめた。だが、そのタイピングの速度は明らかに落ちている。


「『元IoTの奴しかまともに動けてない典型的なワンマンで草』。それから、『社長が死んだなら課長の奴をIoTに返してやれよ』ってコメントな。俺、配信じゃ一度も自分が元IoT部署だなんて言ってねーのよ」


 少しの沈黙。


「へー……。じゃあ、クビになった近藤部長の嫌がらせでは?」

「いや、アイツは重度の機械音痴だ。あろうことかアイツは5月10日の配信をリアルタイムで見てすらいなかった。だが、“Unknown”は見てた。それに、ちょくちょく俺のことだけは評価しているような書き込みがある。近藤がそんなことすると思うか?」

「……それでも、アタシが犯人だって証拠にはならなくないですか?」


 田中は不機嫌そうに口を尖らせる。往生際の悪い後輩に、俺はとどめのログを突きつけた。


「極めつけは、二日前にDランクダンジョンを攻略した時のコメントだ。『他部署の備品壊すなよ』ってやつ。……俺たちが秘密裏に借りたドローン"迷宮ぴかり"が、他部署の備品だって事実を知っていて、あの時間に配信を見ていたIoT部署の人間は、お前だけだ」


 オフィスに、静かな諦めの溜息が落ちた。


「やべ……"ぴかり"が壊れたの見えて、部長に怒られると思ってつい……!あーあ、完璧にバレちゃったっスか」


 田中はガシガシと頭を掻くと、椅子の背もたれに深く体重を預けた。開き直ったような目でこちらを見上げてくる。


「で、どうするんですか?業務時間中のアンチ活動ってことで、部内で晒し上げでもします?」

「なーに言ってんだ。ただ気になったから確かめただけだよ。ネットでどんなコメントをしようが、そいつの自由だろ」

「そ、そうスか……」


 お咎めなしの言葉に、田中の拍子抜けしたような、どこかホッとしたような顔になる。


「ただ、あの悪質な初回コメント。あれだけはいただけないな。というわけで罰だ。なんであんなアンチ活動してたのか、本当の理由を聞かせろ」

「……こ、ここじゃ恥ずいんで、屋上行きましょう」


 俺達は凝り固まった体をほぐすように、同時に立ち上がった。


 ◆


 鉄扉を開けた先、どれだけ心が荒んでいようと空は青く広がっていた。

 初夏の風が、火照った体に心地いい。

 手すりから身を乗り出すと、霞む青空の向こうに、黒沢財閥の空中ビル群が薄く輪郭を覗かせていた。

 缶コーヒーを差し出す。田中はそれを両手で受け取り、小さく声を漏らした。


「で、なんであんなことしたんだ?」

「それは……」

「別に笑わねぇよ。言ってみろ」

「……連実さんを、ダンジョン攻略課に取られたからっス」

「ははっ!取られたって、まぁ……間違ってねーか。だが、一年って約束だ。また帰ってくる」


 思わぬ言葉に、俺は思わず吹き出してしまう。


「笑ってんじゃん……!」

「悪い悪い。……そんで?」

「れっ、連実さんは、いつでも頼れて、か、かっこいい先輩で……。アタシのことをいつも助けてくれるし、先輩後輩関係なく、対等に接してくれてたっス……!」


 田中は缶コーヒーを壊れそうなほど強く握りしめ、プルプルと身体を震わせた。

 伏せられた目元は見えないが、白い首筋から耳の後ろにかけて、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。


「連実さんの隣には、いつもアタシが居たかったんス。……覚えてます?アタシが入社してすぐ、近藤部長の陰湿なセクハラとパワハラから、盾になって守ってくれたじゃないスか」

 「あー、そういや、そんなこともあったな」


 泥沼のIoT部署で、孤立していた新人の田中を、当時の俺が泥を被る形で庇い続けたのだ。

 あの頃から、近藤との確執は決定的になったのは確かだ。


「アタシ、そのとき……この人、本当に格好いいなって、思ったんス。だから、この人の下でなら、一生着いてこうって決めてたのに……!」


 田中の声が、少しだけ潤んで裏返る。


「なのに、社長とか、火山とかいう女が、連実さんを横から奪い取られた気がして……なんか、我慢ならなかったッス」

「さっきも言ってたな」

「しかも、配信でもかっこいいって人気だし……!ま、実際、かっこいい、けど」

「そ、それは……気恥ずかしいから弄るな」


 俺と田中は、気恥ずかしさをごまかすように缶コーヒーを一口飲んだ。


「それに、ちょくちょくシステムにバグ仕込んで、連実さんがヘルプに来るように仕向けたりしてた……」

「……あの謎のシステムエラー、近藤じゃなくて全部お前の仕業だったのかよ……」

「はいっ!すみません!」


 やけくそ気味に頭を下げる後輩を前に、俺は後頭部をポリポリと掻いた。

 まさかそんな理由で、あの地獄のような泥沼部署のバグ対応に呼び戻されていたとは。


「あのなぁ……」

「な、なんスか。怒るなら怒ってくださいよ」

「近藤への嫌がらせを仕込むなら、もっと上手くやれって話だよ。足がつきすぎだし」

「は、はいっ?」


 予想外の斜め上の指摘に、田中が目を丸くして顔を上げる。


「あ、あの……?今の、近藤部長の嫌がらせに聞こえました……?」

「ああ。近藤に俺を会わせてイライラさせたかったんだろ」

「え、え?話、聞いてましたよね?」

「聞いてたって。俺がお前を目にかけてたって話だろ?……なんかお前さ、俺の妹に似てんだよな。若干サバサバしてる癖にドジだし、なんつーか、放っておけねーんだよ」


 俺は苦笑交じりに言った。


「は、はぁ!?」

「え、どうした?」

「連実さん……その、恋愛とかって……したことあります?」

「……今、その話は関係ないだろ?いきなりどうした?」

「はぁ!?死ねッ!」


 田中の顔が、今度は怒涛の勢いで真っ赤に染まった。


「ちょっ!一応先輩だぞ、俺……!?」

「ったく……。ま、そういうところも、嫌いじゃないスけど」


 ぷいっとそっぽを向く田中。

 相変わらず騒がしい奴だなと思いつつ、俺は青空を見上げ、久しぶりにのんびりとした時間を味わっていた。


 ――だが、そんな俺たちの背後。

 屋上の重い鉄扉の陰に、顔を真っ赤にしてパニックを起こしている人物が一人。


 火山だった。


(やばいやばいやばい!どうしよ!?社長に『煉夜くん呼んできてー』って言われたから呼びに来ただけなのに……ナニコレ!?)


 火山はおずおずと、顔を覗き込ませる。


(い、意外と……煉くんってモテるの!?っていうかあの女の人誰ー!?……煉くんもなんか楽しそうだし……!ととと、とりあえず、ここは一度退避――)


 限界突破した脳内でアラートを鳴らし、火山が抜き足差し足で逃げ出そうとする。


 だが、その不審すぎる挙動を見逃すほど、俺の動体視力は鈍くない。


「おい、どうした?」

「ひぇっ!?い、いや!なんでもないです!その!社長が、下で、呼んでます!あ、私先に行きますねーっ!」


 あからさまに動揺しながら、火山は脱兎のごとく階段へ向かって走り出した。

 まるで、不審者から逃げるような猛スピードだ。


「おいおい、なんだあいつ」


 はぁ、今日も忙しくなりそうだな。

 苦笑しながら俺が歩き出すと、背後から田中が、いつものどこか気怠げな、だけど少しだけ柔らかい声をかけてきた。


「……ま、頑張ってくださいよ、連実さん。新しい部署でも」

「さっきも言ったろ?一年だけだよ。……まあ、だから。システムのことで困ったときは、いつでも呼べよ」


 そう言い残し、俺も小走りで火山の後を追うように階段を降りかける。


 ――そうだ。肝心なことを言い忘れてた。


 一瞬だけ足を止め、振り返らずに片手を挙げた。


「冷蔵庫にプリン入れといたから。食っといてくれ。ぴかりの礼だ」


 階段を降りていく俺の足音を見送る屋上。

 自分だけのために用意されていた、小さくて甘いご褒美。


 さっきまで複雑そうに沈んでいた田中の顔が、一瞬で、隠しきれない満面の笑みへと変わった。

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