第33話「帰路」
会議を終え、皆が帰った後に俺も帰路に就いた。
時刻は二十一時半――IoTチーム時代の泥沼生活を思えば、この時間に帰れるだけで奇跡だった。
「課長ーっ!」
振り返ると、火山が小走りで駆け寄ってくるところだった。
オフィスを出たのは三十分前のはずだが、なぜか手元の缶ココアはすっかり冷めきっている。
「あれ?火山?」
「ち、ちょっとスマホ見てたら時間経っちゃって!私もこっち方面なんです!」
あからさまに視線を泳がせる彼女を見て、俺は何か奢ってほしいのかと察した。
「あ〜……何か、食うか?」
「ええー!いいんですか!?私、お肉食べたいですっ!」
「なら焼肉だな。じゃ、その代わりと言っちゃなんだが、一つ聞いてもいいか?」
「え?なんですか?」
並んで歩きながら、気になっていた疑問を口にする。
「火山はなんでうちに入社したんだ?」
「あー……それ、聞いちゃいます?」
「聞いちゃいます」
すまん火山。いつ潰れてもおかしくないブラック企業の、それもダンジョン攻略課に入るからには、相応の理由があるんじゃないかと興味があるんだ。
「私の実家、凄く貧乏なんです。中学の時に両親が離婚して、二人とも出て行っちゃって……私が妹達の世話をしてきました」
火山は努めて明るく、へらりと笑う。
「それで、中卒で働こうにも中々就職できなくて、バイトで食いつないでいたところを、ようやく拾ってもらえたのがここだったんです。妹たちを高校に行かせたくて仕送りしてたら、私が一番貧乏になっちゃいましたけど……あはは」
想像以上にヘビーな家庭環境に、俺は思わず言葉を詰まらせた。
この若さで、自分の取り分を削ってまで家族を支えているのか。
それと、行き場のないところで会社に拾われた瞬間の、あの言葉にできない恩義。……境遇は違えど、どこか昔の俺に似ている気がした。
「……なるほど、な」
「あ、すみません!なんか湿っぽい話にしちゃって……!」
「いや、こちらこそすまん」
デリカシーのない質問をしてしまったと、俺はつい謝罪してしまった。
「まぁ、それでもいつも前向きに、笑顔で生きてるお前になんだかんだ元気を貰えてる。うちに入社してくれてありがとな、火山」
次に俺の口から出たのは、本心からの感謝だった。
だが、火山は突然、耳の裏まで真っ赤にして口元を抑えた。
「えっ!あ、なんか、は、は、恥ずかしいですよ、それ!しかもいきなり!」
「どうした?熱でもあるのか?」
「な、ないです……っ!別に、煉くんになに言われても恥ずかしくなんかないですもん……!」
「は?煉くん?よ、酔ってんのか?」
シラフのはずなのに口を滑らせた火山は、「しまった」と言わんばかりに目を限界まで見開いた。
「あっ!課長です!すみません間違えました!妹達と話すとき、そう、呼んでて……つい!」
「何を焦ってるんだ?お前が飲み会で酔ってるときは、いつも俺をそう呼んでるぞ」
「…………え?」
火山が完全に固まった。路上の石像さながらの硬直ぶりだった。
「今更気にするな!」
俺は、呆然としている火山の肩にポンと手を置いた。
すると、火山の体がピクンと跳ねて、ハッと我に返った。
「そ、そうなの!?じゃなくて、そうなんですか!?いや、あの、私、そんな、記憶にない、です……!」
「まぁ記憶飛ばすまで飲むからな」
苦笑しながら話す俺に反して、火山は顔面をさらに紅潮させる。
「そ、そうなんですね……ふーん……」
オーバーヒート寸前で、今にも蒸気を吹き出しそうな火山が、上目遣いに俺を盗み見てくる。
「だ、だったら、その……二人の時は、煉くんって、呼んでもいいですか……?」
「……別に呼び方ひとつで死ぬわけでもないしな。業務外なら構わんぞ」
「あ、ありがとうございます……!やった……」
火山は小さくガッツポーズをすると、嬉しさを隠しきれない様子で、冷え切った缶ココアを大事そうに両手で包み込んだ。
呼び方ひとつでここまで喜べるのだから、やはり根から明るい奴なんだろう。
「さ、行くか。焼肉。社長は裏ではなんて呼んでるんだ?」
「はーいっ!えーっと――」
街灯で伸びた二人の影が、明日の決戦を待つ静かな夜道に、長く伸びて消えていった。




