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第32話「D級ダンジョンに向けて」

 それから、再び地獄の特訓期間が始まった。


 俺を除くメンバーでF級ダンジョンを着実に攻略しつつ、時間外の実技訓練と深夜の座学を並行する。


「煉夜くん! 見て見て! レベルが上がったら急に魔法使えるようになったの!」


 レベルが4に上がった社長が闇魔法の基礎――"煙幕"を習得したのが、ここ数日間の一番の収穫だった。


 そして約束の5/10の前日。

 ダンジョン攻略を終えたオフィスで、俺は資料を片手にメンバーを見渡した。


「今回のダンジョンは……」


 タブレットを操作し、モニターへ最新データを映し出す。

 ビルの狭間に不自然に口を開ける仄暗い大穴。そこから噴き出す冷気が、東京の茹だる熱気を一瞬で掻き消していった。


「D級ダンジョン"地下の森(アンダーグローブ)"。一見ピクニック向きの大自然だが、植物に擬態する"食人植物キラープラント"も潜む。……おい、火山。聞いてるか?」

「わぁ!課長見てください!画面の端にキノコがいっぱいです!これ、お味噌汁に入れたら絶対美味しいやつですよ!」


 火山がフンスと鼻を鳴らして目を輝かせる。


「……キノコは食えるのも、高いのもあるが、毒キノコもある。初心者は無暗に手を出すな」

「キノコ、いいわね!ダンジョン素材を使った料理店とかどうかしら!?」

「で、でも……普通のお店はあるので、毒キノコ料理を出して『生き残れたら賞金10万円!』とか……ど、どうでしょう?」

「あーっ、それいいかも。法律のギリギリを攻めればいけるんじゃない!?」

「よくねぇよ!完全に犯罪だよ!」


 思わず立ち上がって一喝する。

 咳払いを一つしてホワイトボードの前に立つと、一気に声を落としてオフィスを冷徹な空気で満たした。


「いいか、とにかくキノコには手を出すな。……で、明日の5月10日は近藤との約束の期日だ。俺は現場に入らない。才川さんと一緒に『迷宮ぴかり』で遠隔サポートに回る」

「あれ、直ったんですか?」

「いや、IoTチームの後輩に無理を言って、故障品を一台借りてきただけだ」


 田中に「バレたらクビすよ……」と渋るのを、拝み倒して借りてきた代物だ。

 俺が淡々と告げると、全員の視線がカレンダーのデッドラインへと収束した。


「条件は、この三人でこのD級ダンジョンを完全攻略すること。そして――」


 俺は三人の目を真っ直ぐに見据えた。


「死者を、一人も出さないことだ。誰か一人が死んだ時点で、俺は会社を辞めて近藤に土下座する。……『死んだら生き返ればいい』という甘えは一切通用しないと思ってほしい」

「……うぐっ」


 社長が喉を鳴らして一歩下がった。

 このダンジョンの本当の恐怖は、モンスター単体の強さそのものではない。


「この"地下の森(アンダーグローブ)"の特徴は、生息するモンスターの多様性だ」


 画面をスワイプし、モニターに生息リストを表示させる。


「Fランクの"フォレストラビット"は可愛いが角が皮膚を貫く。Eランクは"食人植物キラープラント"と"キラービー"。そしてボスのDランク、"ダイア・ウルフ"の群れだ。こいつらが、お前らのケチ臭い利益計算の死角から、完璧な連携で首を獲りにくる」

「く、首……っ」


 火山が初死亡を思い出したのか、ヒッと短い悲鳴を上げて首元を押さえた。


「だ、大丈夫ですよ……!火山センパイ、ワタシがお守り――」

「それが一番危ないのよ、火山さん!」


 突如として、天井から高飛車で聞き覚えのある声が響いた。

 全員が一斉に上を向く。

 そこには結城が、まるで蜘蛛のように頑丈な糸を縦横無尽に張り巡らせ、自らの身体を天井に固定していた。


 昨夜、火山の直撃ゲロを浴びた悪夢など嘘のように、ケロリとした顔で不敵に微笑んでいる。


「ゆ、結城……璃々華……!?」


 オフィスに現れたあまりにも不審な侵入者に、最上の顔が引きつる。


「……“結城開拓”のお嬢様か。その、昨日の件は大丈夫だったか?」

「ええ、昨晩はお迎えにきてもらいましたから大丈夫でしてよ」

「いや、違う。その……火山のゲロのことだ」

「え!?私、は、吐いたんですか……!?」

「ええ、確かに浴びましたわ、火山さんの吐瀉物を。でもね、これはきっと特別な運命の導き!そ、それに、キ、キキキスまでしてしまいましたもの!ですから、あのお洋服は洗わずに、記念品として大切に保管することにいたしましたわ!」


 言っていることの狂気が高貴な言葉遣いでオブラートに包みきれていない。


「いや、せめて洗えよ」

「えへへ、な、なんだか照れちゃうな~」


 火山が、両頬を抑えて照れている


「なんでだよ!褒めてねえよ!」

「ちょっと待ちなさい!」


 それまで呆然としていた社長が、机を叩いて怒鳴り声を上げた。


「なんで部外者が当たり前のようにうちのオフィスにいるのよ!?しかも“結城開拓”の社長令嬢が!」

「あら、“黒沢財閥”の黒沢凛名さん。昨晩はご挨拶もできず、大変失礼いたしましたわ」


 にやりと不敵に口角を上げると、結城は天井の糸を切り、社長のデスクのど真ん中へ華麗に着地した。書類がバラバラと舞い散る。


「わたくしは火山夕夏さんのお友達!"結城開拓(かっこかぶ)"の社長令嬢、結城璃々華と申しますわ!これ、名刺ですわ」

「あのね、質問に答えなさいよ!なんでここにいるのかって聞いてるの!」

「あー……俺がアポイントをお願いしたんです。ちょっと聞きたいことがあって……」

「そうですわよ!はい、これ、入場許可証」

「……アポは明日の予定のはずだが?」

「細かいことはどうでもいいじゃありませんか。一晩くらいここに泊ま――」

「才川、つまみ出してちょうだい」

「はい。承知いたしました」


 それまで沈黙を貫いていた才川さんが、無表情のままのっそりと動き出した。

 おもむろにデスクへ土足で登ると、結城を米俵のようにヒョイと担ぎ上げる。


「え、え?ちょ、ちょっと何するの、離しなさい!」


 才川さんが結城を抱えながら出ていき、バタンと無慈悲に扉が閉じる。

 それを見た最上がニヤニヤと笑みを浮かべる。


「へ、へへ……ざまぁないぜ……」

「ったく……!うちのセキュリティ、一体どうなってるのよ……!――ま、産業スパイもどきは消えたし、本題に戻るわよ。煉夜くん」


 俺はホワイトボードの前に立った。


「明日の作戦を説明する。先頭は社長。役割はタンクだ」

「やっぱり私よね! 最近、見直してくれるリスナーも増えてるし!」

「ただの壁じゃありません。習得した闇魔法『煙幕』をフル活用します」

「ふふん! ついに私の魔法が火を吹く時が来たわね!」

「火じゃなくて煙です。敵が多すぎるかD級に強襲されたら、足元に煙幕を展開して全力で逃げてください。社長がヘイトを稼いで視界を奪う。それが起点です」


 ホワイトボードにマーカーを走らせる。


「中央が最上、最後尾が火山だ」

「ワタシが真ん中……ですか」

「最上はまだスタミナが不安だ。"ブリーズ・ステップ"での支援と、スキル"隠蔽"での先行偵察を頼む。陰から安全に情報を二人に伝えろ」


 最上の腰の双剣に視線を落とす。


「……て、偵察ですか。確かに最近、練習してますけど……!」

「次、火山。お前は火力がある分ヘイトを集めやすい。精密射撃を意識して最上に敵を近づけるな。MPを切らすなよ」

「了解です、課長!」


 頑丈な社長が耐え、最上が情報を握り、火山が火力で殲滅する。この1週間の深夜営業の成果が詰まった完璧なトライアングルだ。


「最後にもう一つ。最上、お前には配信の運用と同接の管理を丸投げする。お前が一番詳しいはずだ」


 最上は一瞬呆然としたが、すぐに邪悪で頼もしい笑みを浮かべた。


「ふ、ふふ……お任せください。実は、いい"策"がありますので……」


 策?まあ、楽しみにさせてもらおう。

 腕時計に目を落とす。間もなく定時だ。


「最後になるが……俺のせいでこんな無理をさせてしまう。申し訳ない」

「安心しなさい!部下の失敗は部下の責任。上司の失敗も部下の責任。つまり、全部アナタが悪いわよ」


 突き放す物言いだが、真意は伝わった。俺が全責任を背負うのだから今さら謝るな、ということだろう。いい意味でも悪い意味でも、経営者だ。


「作戦開始は明日午前9時。才川さんと俺はここから遠隔でサポートする」


 ふと、不思議な感覚に捉われた。

 ほんの1週間前までは、いつ潰れてもおかしくない泥舟に乗り合わせた、ただの頼りない面々だと思っていたはずなのに。


 今、俺の胸にあるのは確かな確信だった。

 今の彼女たちなら、どんなダンジョンだろうと突破できる、と。


「死者が出た時点で我が社の攻略課は終わりだ。全員、五体満足でサビ残の待つオフィスへ帰ってくること、行くぞ」

「「「おーっ!!」」」


 三人の声が急造オフィスに響き渡った。

 カレンダーの赤字は、5月10日。


 ネクロス・テック・ワークス株式会社、ダンジョン攻略課の命運をかけた、世界で最も泥臭い成り上がり劇の火蓋が、ついに切って落とされようとしていた。

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