第26話「謝罪と……特訓」
「……俺のせい、だよな。こんなことになってんのは」
押し寄せる罪悪感にため息を吐きながら会社に滑り込むと、ひょこりと小さな影が頭を下げた。
「お、おはようございます……」
「おわっ!?も、最上か……。おはよう。びっくりした」
影、薄いな……。
「さっきの……何かあったんですか……?すごい怒鳴り声が聞こえましたけど……」
「あ、ああ……。大丈夫だ」
最上がきょろきょろと部屋を見渡す。
「えぇと……ひ、火山センパイは、まだですか?」
「あいつは今、猛ダッシュでこっちに向かってる。……それより、お前、大丈夫か?」
「え?配信のことですか?」
「違う違う!その……昨日、死んだだろ」
俺はそう尋ねた。だが、最上はただ小首を傾げるばかりだった。
「あ、えと……苦しかったです。で、でも、そんなことも言ってられませんから」
「そ、そうか。頑張りすぎんなよ」
自分で言った言葉なのに、なんだかんだで俺の胸に刺さる。
同時に、意外とケロリとしたその返事に、俺は内心そっと安堵の息を漏らした。
「まぁ、その、なんだ。昨日の戦いはナイスだったぞ。初戦であれだけ動ければ上等だ。率先して火山をカバーしてくれたのも本当に助かった。……だが、その結果お前を死なせたのは、完全に俺の判断ミスだ。すまなかった」
最上の耳が、見る見るうちに真っ赤に染まっていく。
「あ……へっ、へへへぇ……!あ、あ、あ、ありがとうご――」
「おはよーございますっ!」
最上の言葉を勢いよくぶった切り、火山がオフィスへ入ってきた。
「あ、火山センパイ……!ご無事でなによりです……!」
「渚ちゃん!げ、元気そうでよかったーっ!」
火山がそのまま最上に抱きつくと、最上は更に顔を真っ赤にして、照れくさそうにモゾモゾと身をよじった。
「恥ずかしい、です……」
「昨日はありがとうねーっ!」
「取り込み中のところすまない。二人とも座ってくれ」
「あ、はーいっ!」
「お前らに資格取得試験を受けて欲しくてな。これだ」
俺は詳細を印刷した用紙を二人に渡す。
「資格取得の詳細だ。4月17日から21日まで。合格発表はその日に発表される」
「え……もうすぐじゃないですか……!?」
「ああ、通うことになる。心配するな。ちゃんと講義を受けてさえいれば、簡単に合格できる」
「この実技ってのは何をするんですか?」
「試験用モンスターの討伐……というより、モンスターを模した泥人形だな」
「討伐、ですか……。つ、強いんですか?」
最上がプリントを凝視しながら、不安そうに眉をひそめる。
「いや、試験用だからな。戦闘力自体はそこまで高くない。要するに、基本に忠実な立ち回りを評価するためのサンドバッグだ」
「殴るなら得意です!」
火山がフンスと鼻を鳴らして拳を握る。何故だか冗談に聞こえない。
「……で、本題なんだが、この試験を突破したら、二人にはすぐにでも実戦に復帰してもらう。それも――」
俺は壁掛けカレンダーの、あの殴り書きされた日付を指差した。
「5月10日に、Dランクダンジョンを攻略してもらう」
「えっ……!?で、Dランク!?」
最上が椅子の背もたれに激突する勢いで仰け反った。
壁のカレンダーと俺の顔を何度も往復させ、先ほどの近藤との不毛な言い合いの内容を察したらしい。
「さっきの人と、な、何か関係があるんですか……?」
「ああ」
「そ、それに、ワタシたちを巻き込むんですか……!?」
俺は小さく息を呑む。返す言葉が見つからず、重苦しい沈黙がフロアを支配した。
「……あの、課長」
沈黙を破ったのは、火山だった。
彼女は机の上に置かれたプリントをそっと撫でる。悔しさに指先が微かに震えていたが、その瞳は少しも怯んでいなかった。
「私、近藤部長のあの言い方、すっごく頭にきてました!」
火山はプリントの端をぎゅっと握りしめ、勢いよく顔を跳ね上げる。
「最悪、私一人で行きます!渚ちゃんは、完全に巻き込まれただけなんですから!」「そ、その、ワタシは……」
名前を呼ばれた最上は、きゅっと自分のスカートの裾を掴んだ。
膝の上で小さく深呼吸をしてから、ゆっくりと前を向く。
「……なんか、ちょっと、腹が立ちました。あ、連実さんに、です。勝手な約束に、ワタシたちを巻き込んだこと……です」
現在の理不尽な状況が、かつて籍を置いていた広報部での記憶を呼び覚ます。
あの冷え切ったオフィスの空気。いつもスマホばかり触っている年配の女先輩から、デスクに放り出された雑務の山。
『最上ちゃん。これ、やっといてね』
『な、なんですか……これ』
『IoT部のマニュアル作成。それが終わったら各部署の備品の発注をお願いね』
『こ、これ、ワタシがやる業務じゃな……』
『あら。別にいいのよ?代わりなんていくらでもいるしね』
それは、彼女が口癖のように何度も投げつけてきた言葉だった。
『……ッ』
『元ヒキコモリのアナタに仕事があるだけマシだと思ってちょうだいね』
見下すような冷笑と、容赦なく突き刺さる言葉の刃。自分の存在価値を否定され、息の仕方も忘れるほど惨めだったあの頃。
そんな暗闇のような出来事が最上の脳裏に浮かび―― 影を塗りつぶすように、温かい記憶が鮮烈に蘇った。
『いいか。焦らなくても、お前はこの課に必要な人材だ。さっきの戦い方、サポートとスキルの使い方、良かったぞ』
ぶっきらぼうで、少し冷めた声。けれど誰よりも自分を正当に評価してくれた声。
思い出すだけで、最上の曇った瞳に確かな光が灯る。
「最上?大丈夫か?」
俺の声に、彼女はハッと我に返った。
「け、けど、それ以上に……前の部署と違って、ワタシを……」
言葉を詰まらせながらも、胸の奥から湧き上がる感情を必死に紡いでいく。
「ワタシを必要としてくれることが、本当に嬉しいと思いました」
ぽつり、ぽつりと、大切な言葉を噛み締めるように紡ぐ。
「それにワタシも……連実さんには、辞めてほしくない、です。もっと、褒めて欲しい、から……っ」
俯き加減でそう告げた最上。
しかし次の瞬間、彼女は強く拳を握りしめて顔を上げ、まっすぐに火山へと向き直った。
「……ひ、火山センパイも、もう一人で戦おうと……しないでください。ワタシにたくさん頼って、欲しいです」
「えへへ……そ、そうだね!」
火山がふっと、どこまでも自然な笑顔を浮かべた。
薄暗い地下会議室に、彼女の笑顔だけが眩しく咲く。
それと同時に、俺の心にのしかかっていた孤独とプレッシャーの霧が、ほんの少しだけ薄らいだ気がした。
ああ、そうか。俺は、コイツらを巻き込むのが怖かったんだ。
俺はため息をひとつ吐き、右手を振った。
空間に青白いステータス画面が浮かび上がる。
文字列を追った瞬間、火山が目を限界まで見開いた。
「スキル……!?課長、これ、"虚実転換"って……!」
「皆に隠してた」
「ど、どうして隠してたんですか?」
火山が身を乗り出して尋ねてくる。その真っ直ぐな瞳の光に射すくめられ、俺は言葉に詰まった。
応じる代わりに、俺は膝の上で軽く握りしめていた自分の手のひらを開き、じっと見つめた。
「……正直、他者との連携が難しいスキルなんだ」
「私が、連携できないから……?一体、どういうスキルなんですか、それ」
不安げに眉を下げる火山に、俺は冷徹な事実をそのまま口にした。
「俺が作り出した幻覚を、相手がそれを現実と認識した瞬間、その認識した対象にのみ、幻覚が物理的な致死の現実となって牙を剥く。そういうスキルだ」
一瞬、オフィスに冷たい沈黙が降りた。
「それって……。た、確かに……難しいスキル、ですよね」
最上が呟く。
「ああ。下手に巻き込むくらいなら、教えない方がいいと思った。……すまない」
いつからか俺は他人と距離を取り、無意識に遠ざけようとしていた。
「え?別に私たちが課長に追いつけばいいだけですよね?」
「え……?」
虚を突かれ、俺は間の抜けた声を漏らした。
「私たちが合わせられるように努力すればいいだけじゃないですか!なーんだ!別に遠慮せず、そのスキル使ってくださいよ!」
ふんっ、と胸を張って言い切った火山。その瞳には、1ミリの恐怖も、迷いもなかった。というよりも、それを当然のことのように考えている。
「ワ、ワタシも……火山センパイに、賛成です」
最上がボソリと、しかし確かな覚悟を滲ませて呟いた。
俺は一瞬だけ呆気に取られ――それから、敗北を認めるように苦笑した。
「ハハ、ありがとう。お前ら。……というわけで、方針は決まった。今日から深夜までミッチリ特訓だ。どうせなら、その様子を配信のネタとして垂れ流すか。少しはフォロワーの足しになるだろ」
「え、え?ちょっと待ってください、か、感動ムードでしたよね、今!? 」
あまりにも急激な温度差の切り替えに、最上が驚いた顔で目を限界まで見開いた。
「最上はスタミナを付けるために、今から毎日4kmのランニング。火山は魔力効率の徹底的な見直し、魔法の精度向上だ。目標はミリ単位の狙撃」
「え?え?本気ですか!?嫌ですよワタシ運動不足の引きこもり――」
最上が絶望の悲鳴を上げる横で、火山だけが手をぱんっ!と景気よく合わせて、子どものように目を輝かせていた。
「わぁ〜!特訓!新人研修もまともになかったこのネクロス社で、初めてのまともな"研修"みたいで、なんだか凄くワクワクしますね、課長!」
狂った前向きさを発揮する火山。
ネクロス・テック・ワークス、ダンジョン攻略課。
泥船の、しかし誰も見たことのない最強のパーティが、この深夜のオフィスで本当の意味で産声を上げた瞬間だった。
火山が目を輝かせる傍らで、最上が引きつった声を出す。
「ワ、ワタシ……そんなに走れな――」
「大丈夫だよ!私も一緒に走るから!」
「はい!走れます!」
「ナイス、火山」
――そして、数時間後。
「ぜぇ……がっ……じぬっ……ま、まっで……」
崩れ落ちた最上が、配信に映る。
@れいか:『課長Sでかっこよ』
@ねこまる:『顔やばw』
@ナリタ:『体力なさすぎw』
「……おい、これでまだ準備運動だぞ。本番はこれからだ」
「む、無理ですぅ……!足が、自分の足じゃないみたいで……!」
膝に手をつき、今にも地面に崩れ落ちそうな最上の背中を、俺は容赦なく見下ろす。
隣では、火山が息一つ乱さず「がんばれー!」とブンブン手を振って応援していた。
俺はストップウォッチをポケットにしまい、二人の前で不敵にニヤリと笑ってみせる。
「よし、ランニング終了。これ終わったらダンジョン行くぞー」
「い"や"れ"す"っ!」
最上が、今日一番の大声を出した。
そこからの一週間は、まさに昼夜の概念が死に絶えたと形容するほかない地獄の日々だった。
「集合、午前3時……!?連実さん、いくらなんでも人の心が……な、なさすぎます……っ!」
まだ始発すら走っていない漆黒の闇のなか、最上渚は今にもアスファルトに溶けそうなほど猫背を丸め、消え入るような声で抗議した。
「不本意ながら、うちはダンジョン攻略界のコンビニだからな。24時間年中無休、夜中だろうが深夜手当なしで突入だ。……ほら火山、最上を引きずってでも行くぞ」
「はいっ!渚ちゃん、今日は涼しくて走りやすいですよー!肉まん買いに行こう!」
「寒い寒い寒い……ッ!肉まんは……こ、この時間には、ま、まだないと思います……!」
最上プロデューサーが掲げた"泥臭い成り上がりドキュメンタリー"という戦略は、皮肉にもネクロス社のブラック体質と完璧に噛み合ってしまったのだ。
『【限界社畜】引きこもりを深夜2時に叩き起こしてダンジョンに放り込んでみた』――そんな悪趣味なタイトルの切り抜き動画が、ネット民の妙なツボを刺激した。
炎上スレスレの非難を燃料にしながらも、それをきっかけに本配信の同時接続数はじわじわと右肩上がり。現在の"D-livers"のフォロワーは、320人――。
最上が泣きながら4キロを走らされ、火山が深夜のダンジョンで精密な魔力制御を叩き込まれる。
そんな文字通りの血尿混じりの特訓期間を経て、ついに4月17日。
IGOが発行する公的資格――"国内登録ダイバーライセンス"の取得試験当日がやってきた。




