第25話「約束」
翌日。会議室兼ダンジョン攻略課オフィス。
そこには、俺しかいなかった。
『というわけで、今日は休むから。煉夜くんお願いね~』
出社後――社長から、あっけらかんとした電話がきた。
次から次へと、ストレスが押しかける。
「おい、俺には出社を強要するくせに」
『いたたたた!全身が痛む!これはもう立派な労災よ!』
「嘘つけ。うちに労災なんてないだろ」
『昨日の配信、伸びてるし、ちょっとくらい休んでもいいでしょ』
スマホ越しに聞こえる声は、妙に軽い。
どうやら本当に休むつもりらしい。
『で?火山ちゃんは、ちゃんと病院入れた?』
「入れましたよ。最上は無事ですか?」
『ええ。生きてるわよ。今出社させてる。遅れるけど』
「え?」
『じゃあ後はよろしく~』
通話を切られる前に、社長が思い出したように言う。
『あ、そうそう』
「まだあるんすか」
『今日中に探索報告書と配信サマリと反省文、三種類提出ね」
「ん?それ社長か才川さんが手伝ってくれるんですよね?」
『私は休むわ。才川は私の秘書だから休む。書くのは煉夜くん。あ、あとIoTチームがヘルプに入ってほしいって言ってたわよ」
ブツッ。
無慈悲にも通話が切れた。
天井を見つめたまま、俺は静かにスマホを下ろす。
「……ブラックだな」
俺はもう一度、社長にかけなおす。
『もしもし?なによ』
「いい忘れてましたけど、火山と最上の資格申請しときましたから、経費で落としておきますね」
『ん?ケイヒ?自腹の間違――』
ブツッ。
俺は通話を切った。
また、スマホのバイブが鳴る。
「今度は誰だ?……って、火山か」
『課長~!寝坊しました!遅れます~!』
受話口から飛び出してきたのは、予想通りの元気いっぱいでマヌケな声だった。
「……。おい、昨日の怪我は大丈夫なのか?」
『ええ!大丈夫ですよ!回復魔法様様です!では!』
そう言って、通話が切れた。
俺は小さく息を吐いた。遅刻はともかく、無事ならそれでいい。
「はぁ……もう少し寝るか」
「おーい!連実いるかぁ!?」
次の瞬間、ノックもなしに荒々しくドアが開け放たれた。
「……部長」
断りもなく俺の部屋に踏み込んできたのは、近藤だった。
社長が居ないタイミングを狙ってきたのだろう。相変わらず、強者に弱く弱者に強い、計算高い男だ。
「おー連実ぅ!社長から聞いたか知らねーけど、今日定時後にヘルプ頼むなー!」
「お断りします。私の業務外です」
「あ!?いい加減にしろよ?お前のせいで後輩達が泣いてるんだぞ!?」
近藤はバァン!と、割れんばかりの音を立てて俺の机を叩いた。
威圧するような引きつった笑みを浮かべているが、その目はまったく笑っていない。
「泣かせてるのは、あなたが作った劣悪な職場環境でしょうが」
「あんだと……?チッ、まあいいわ。それより約束の件だけどよ、いつなんだ?具体的な日は決まったんだろーな?」
俺は視線を逸らし、壁のカレンダーに目をやる。
今日は4月10日。具体的な日付までは明示していなかったが、やはりそこを突っついてきたか。逃げ道を塞ぐつもりだろう。
「5月10日、です」
「ほう。一ヶ月後か」
「はい。もういいですか?」
「で、場所は?」
「まだ決めてないです」
「ふん、まぁいい。アイツらに攻略できるとは思えないけどなぁ~?」
ニタニタと下品な笑みを浮かべた近藤が、不躾に俺の肩に手を回してきた。
香水と、タバコ、それに缶コーヒーが混ざり合った悪臭が鼻を突き、思わず眉をひそめる。
「……どうでしょうかね」
「そういや、新人が一人増えてたな~?ま、使えない雑魚だったみたいだが」
「あなたよりは、よっぽど動けてますよ」
「あ?テメェ……調子に乗ってんじゃねえぞ!!」
逆上した近藤の拳が、空気を切り裂いて俺の顔面へと飛んでくる。
俺は椅子に座ったまま、その右ストレートを左手の手のひらで、パシィンと軽い音を立てて受け止めた。
「グッ!?」
完璧に信じ切っていた自分の全力を止められ、近藤の目が驚愕に見開かれる。
俺はそのまま、受け止めた近藤の拳を、万力のような力でじわじわと握り潰すように力を込めた。
「……ヘルプは行きますよ。彼らには、まだ引継ぎ不足なところもありますから」
不本意ながら、IoTチームの後輩たちの顔が思い浮かんだ。俺もまだまだ、情が捨てきれないらしい。
「て、てめぇ……離せ……ッ!」
みし、みし、と骨が軋む音が室内に響く。
近藤の額から、滝のような冷や汗が流れ落ちた。
普段は立場を利用し、逆らえない俺の腹や顔面を容赦なく殴ってきた男だ。
だが、もうそんな理不尽に付き合ってやる必要も、手加減してやる義理もない。
「もういいですか?部長?」
俺が少しだけ圧を強めて睨みつけると、近藤は恐怖に顔を歪め、震えだした。完全に蛇に睨まれた蛙だ。
「チッ……!離せ!……クソが、ちゃんと来いよ!」
限界を察して俺が手を離すと、近藤は自らの右手をぶんぶんと振りながら、そそくさと這う失せるように部屋を後にした。
静まり返った部屋で、俺はもう一度、深く息を吐き出した。
5月10日、近藤との約束――。
俺は壁にかけてあるカレンダーのその日付に、殴り書きで印をつけた。
火山と最上の資格取得の講習期間が、4月17日から21日まで。合格発表はその日の内に発表される。
そこからさらに実戦を挟むとなると、本当に猶予がない。ギリギリのスケジュールだった。




