第23話「暴走」
洞窟の闇を、狂気じみた爆発音が容赦なく引き裂く。
「おお、火山ちゃん……怖い、怖いわよぉ!」
背後で社長が引きつった声を上げ、絶句する。
だが、その視線の先を行く火山ちゃんは止まらない。
目に映るすべての敵を文字通り焼き払いながら、猛然と洞窟の奥へと進んでいく。
彼女が杖を一振りするたび、空間を歪めるほどの禍々しい魔法陣が展開し、視界に映る敵影を片っ端から爆炎で叩き潰していく。
「ギギャ――ッ」
悲鳴になりきらない断末魔が、圧倒的な火力に飲み込まれて消えた。
床は黒く焦げ付き、周囲の岩肌はドロドロに溶け落ち、洞窟そのものが熱に耐えかねて悲鳴を上げているかのようだ。
火山の足取りは荒い。それは正確でも、冷静でもない――ただ、破壊衝動に突き動かされるように、止まらない。
「……過剰なまでの火力。にもかかわらず、MPの消費管理が精密だ……」
俺は少し距離を取り、周囲を警戒しながら呟く。
冗談めかした声音を取り繕ってはみたが、内心の焦燥は笑えるレベルを遥かに超えていた。
「と、止めなくていいの?煉夜くん」
半歩下がった位置から、社長が怯えたように俺の袖を引く。
「今止めたら、たぶん火山が壊れます」
「もう十分に壊れてると思うんだけど!?」
「……否定はできません」
火山は一度も振り返らない。
「どこですか!?ボスはどこにいるんですかっ!?」
振り向かずに叫ぶその声は、怒鳴り声に近かった。ビビるなという方が無理がある。
その声に涙の気配も、迷いもない。ただ、胸の奥で荒れ狂う純然たる怒りだけが、彼女を動かしていた。
――その、直後だった。
爆炎で激しく揺らいでいた洞窟内の空気が、急激に“重く”変化する。
水を打ったような、嫌な沈黙。それまで勢いよく燃え盛っていた炎の壁が、ふっと力を失ったように弱まった。
「"水"、か。それも……魔法由来の。ってことは……」
その先――洞窟の最奥に広がる大空洞の真ん中に、“それ”は立っていた。
小柄だが、明らかな人型。しかし、人とは決定的に異なる悍ましさを放っている。
頭部には何の動物か分からない不気味な頭蓋骨を被り、手にした粗末な木製の杖には、禍々しい魔力が宿っていた。
「……"ゴブリン・シャーマン"、か」
「ニン、ゲン! ギギャギャァッ!」
シャーマンが甲高い声で呪詛を吐くと、呼応するように岩陰からゾロゾロとゴブリンの群れが姿を現す。
さらにシャーマンが杖をかざすと、その先端に禍々しい青色の魔法陣が展開された。群れの中には、こちらに照準を合わせるクロスボウ兵まで控えている。
「火山!ここからは俺が――」
俺が前に出ようとした瞬間、シャーマンの杖先から、銃弾のような速度で凝縮された水の塊が放たれた。狙いは火山だ。
「いえ!課長は見ていてください! ――"フレイム・ストーム"ッ!!」
火山の叫びと共に、視界のすべてを灼熱の波が埋め尽くした。彼女が放てる最大級の広域殲滅魔法。
押し寄せていたゴブリンの群れが、一瞬にして光となって灰へと変わっていく。
しかし、敵のボスもさるもの。シャーマンは間一髪で展開した"アクア・ウォール"の水の壁で、その熱波を最小限に抑え込んでいた。
だが、完全に防ぎきれたわけではない。激しい水蒸気の中で、シャーマンが苦悶の声を漏らす。
「グ、ヌゥ……!」
「はぁ……はぁ……、っ」
火山が大きく肩を揺らす。一気にMPを消費しすぎたのだ。
俺はすかさず彼女のステータス画面をオープンする。
【HP:80 / 240】
【MP:25/ 180】
【スタミナ:39 / 100】
数値が視認できるレベルで、一秒ごとにすり減っていく。
火山の膝が、限界を告げるようにわずかに震えた。
「火山、下がれ! もう限界だ、後は俺がやる!」
「……嫌です」
即答だった。
「また……守れなかったら、嫌なんです!渚ちゃんも、課長も!私一人で、私がなんとかしないといけないのに……!」
握られた杖が、カタカタと震えている。
MPは完全に底を突きかけ、体力も限界。
それでも、彼女は前を向いたまま、頑なに一歩も退こうとしなかった。
その様子を見たゴブリン・シャーマンが、勝ち誇ったように醜く嗤う。
「ニンゲン……ヨワイ」
シャーマンが再び杖をかざし、先ほどよりも巨大な魔法陣を展開する。
「く、来る……!」
火山が必死に杖を構え直すが、限界を迎えた脳の意識が一瞬、遠のくのが分かった。
容赦のない水槍が、凄まじい風切り音を立てて杖先から放たれる。
「火山――ッ!」
俺が地を蹴ろうとした、その瞬間。
「だから言ったでしょ?先頭は私の役目だって」
重厚な金属音が洞窟内に唸りを上げる。
社長が、火山の前に弾丸のように飛び出していた。
「ふんぬぅぅぅッ!!」
凄まじい激突音。
放たれた水槍が、社長の重装甲の鎧を正面から叩きつける。
金属が悲鳴を上げ、その衝撃で社長の膝が地面へ激しく沈み込んだ。
「ぐはっ……!」
だが、攻撃は止まらない。間髪入れず、更にもう一本の水槍が迫る。
「ぐぇッ……!」
それでも社長は、一本たりとも後ろの火山へ通さなかった。
衝撃で弾けた水飛沫が周囲に飛び散る。
しかし、装甲の表面は防げても、その破壊的な運動エネルギーは確実に内部へと浸透していた。
社長の口端から、一筋の鮮血がたらりと流れ落ちる。
「社長……血が!?」
「ぐふっ……いい?火山ちゃん。貴方は一人じゃないのよ……。このチームには、私も、居るんだから」
「で、でも」
「言ったでしょう?先頭は私に任せなさい!」
社長は、口元の血も拭わぬまま、不敵ににやりと口角を上げた。
そして、シャーマンへと向き直る。
「すみませんでしたああ!」
「ア?」
「「え?」」
@ダイス:『え?w』
――また、土下座だった。
シャーマンがあっけに取られる。いや、俺も、火山も、他のゴブリンたちも、コメント欄、全員。
(来た―—ッ!)
その一瞬の隙を、社長は見逃さない。
社長が、シャーマンへ向かって駆け出す。
「うおおおおっ!"フレイム・ストーム"をお願い」
「え!?そんなことしたら死んじゃいますよ!?」
「最後の最後に立ってたら、"私達の勝ち"なのよ!」
社長がシャーマンに向かって走り出す。
再び、圧倒的な炎が空間を支配する。
シャーマンはたまらず防戦一方となり、再度"アクア・ウォール"を展開して身を隠した。
しかし――それは、社長の狙い通りだった。
「うりゃあああああ!!」
激しい炎の波、その熱波の推進力を背に受けて加速した社長が、なんと自ら水の壁を突き破って飛び出してきたのだ。
"アクア・ウォール"のせいで完全に視界を遮られていたシャーマンは、眼前まで迫った鉄塊の突撃に、気づくことすらできなかった。
「ギャッ!?」
凄まじい質量兵器としての激突。
吹き飛ばされたシャーマンが杖を手放し、仕掛けた社長も勢い余って派手に転がっていく。
――動けるのは、俺だけか。
刹那、俺は地を這う影となった。
爆炎の残光を切り裂き、物理法則を置き去りにして加速する。
「ギャアア!」
ボスを救うべく飛び出したゴブリン四匹。
無防備な火山へと殺到するが――その殺意より、俺の刃が圧倒的に早かった。
「よっと」
すれ違いざまの一閃で一匹目の首を飛ばし、そのまま二匹、三匹の懐へ滑り込む。木盾ごと水平に胴体を泣き別れ。
返り血に硬直した最後の一匹には、踏み込みのすべてを乗せた拳を顔面へ叩き込んだ。
一瞬にして、四匹は武器もろとも灰に変わる。
制動の勢いのまま反転。
赤い血煙を置き去りにし、這いつくばるシャーマンの懐へ一足飛びに肉薄する。
「ガ……ッ」
抵抗の隙すら与えず、その首を綺麗に切り落とした。シャーマンの巨体がサラサラと崩れ去る。
@びえら:『すげええええ』
@マイ:『推せる。この人!』
@チビ助:『この人だけじゃんw 強いのw』
「あちちち! あッツい、無理無理無理!!」
静寂を取り戻した洞窟に、社長の悲鳴が響く。熱を吸いすぎた鎧を必死に脱ごうとしていた。
そうか――さっきの土下座。ゴブリンの知性を逆手に取り、理解不能な行動で一瞬の隙を作ったのか。
俺は社長の予想外の作戦に、フッと笑った。
限界を迎えて座り込む火山のもとへ、ゆっくり歩み寄る。
「はぁ……はぁ……っ……」
煤に汚れ、魔力を絞り尽くした体は今にも崩れそうだ。
「火山。大丈夫か?」
「へへ……課長。私も……おんぶしてもらって、いいですか?」
「ああ。よく頑張ったな、任せろ」
背中を向けると、火山は嬉しそうにその小さな体重を預けてきた。
【システムメッセージ:ボス討伐を確認。ダンジョンクリア】
【レベルアップ】
黒沢 凛名 Lv.2 → Lv.3
火山 夕夏:Lv.2 → Lv.4
「やったな、火山」
「はい……でも、私ばっかりレベルが上がっちゃって……!」
「気にするな。突っ走りすぎたが、お前が頑張った結果だ」
安堵の空気が流れる中、インナー姿の社長がこちらへ近づいてくる。
心なしか、火山を背負う俺の姿を羨ましそうに見つめていた。
「ふぅ……」
社長が、自身のステータスを開く。
【HP:1 / 223】
【MP:154 / 154】
【スタミナ:1 / 100】
足元をふらつかせ、幽霊のようにずるずると足を引きずる社長。
そして前髪の隙間から、妙に鋭い眼光をこちらへ向けると、限界を絞り出すような声で親指を立てた。
「あいる……びー……ばぁっく……」
――ドサッ。
何の後ろ髪も引かれないほど見事に、社長はサムズアップのままうつ伏せに倒れた。
その背中は、火傷でボロボロだった。
「え?」
@チビ助:『え、社長死んだ?www』
@Unknown:『社長死んだなら課長の奴をIoTに返してやれよ』
背中の中で、火山が引きつった声を上げる。
だが、床に突っ伏した社長の背中は、すでに微動だにしない。
俺は脈を確認する。死んでいる。
「あ、あの……社長」
返事はない。
あれほど煩かった社長の声が、嘘みたいに消えている。
社長が死ぬなんて、そんな展開を、俺も火山も一度だって思い描いたことはなかった。
「ま、また私のせいで……。渚ちゃんも、社長も、私の、私のせいで……っ!」
火山が俺の肩に顔を埋め、小さな身体を激しく震わせ始めた。
ボロボロとこぼれ落ちる熱い涙が、俺のスーツの肩口を濡らしていく。
その生々しい熱量と重みが、俺の胸の奥を容赦なく抉った。
――蘇生保険。
明日になれば、最上も社長も、何事もなかったかのように五体満足でオフィスに出社してくるのだろう。
だけど。いま、俺の背中で泣きじゃくっている火山の火傷の痛みも。
煙の中で力なく横たわっていた、最上の冷たくなっていく身体の感触も。
部下を守れず、ただ見届けることしかできなかった俺の、この喉の奥にへばりつくような苦い悔しさも。この胃の痛みも。
「……これ、だもんな」
ぽつりと漏れた俺の声は、誰にも届かない。
どれだけ強くなっても、“本物の痛み”だけは肩代わりできない。
「……今度、皆で飲みにいぎだいでず……」
「そうだな」
「け、経費で……」
「なら無理だ」
「じゃあ……課長が……」
「嫌だ」
「……吐くまで……飲みますから……!」
「やめろ……!」
気づけば、返事は途切れていた。
背中から伝わるのは、小さな寝息。
張り詰めていたものが、全部ほどけたんだろう。
その温もりに、ふっと肩の力が抜ける。
「……ったく」
少しだけ笑ってしまう。
「次は割り勘な」
聞こえてないのは、分かってるけどな。
◆
「ただいま」
誰もいないワンルームに、俺の声だけが虚しく落ちた。返事が返ってこないことなど分かっているのに。
探索を終え、事後処理を片付け、火山を病院のベッドへ送り届けた。
残った気力はほぼゼロ。這うような執念で、どうにか自宅へ辿り着く。
――管理職として、何も成長できていない。
胸の奥に、暗い思いがじわりと沈殿していく。
部署が新設されてまだ三日。焦るには早すぎる。
それでも、皆が着実に前へ進む中、自分だけが取り残されているような感覚が拭えなかった。
電気をつける気力すら湧かない。ネクタイを緩めるのも億劫なまま、吸い寄せられるようにベッドへ倒れ込む。
「はぁ……疲れた……」
重たい溜息が漏れた。単なる肉体の疲労ではない。
――近藤との約束。そして、資格の問題。
今日の成果を冷静に振り返れば、戦力の評価は明白だ。
火山は間違いなく主戦力。最上もスタミナさえ補えればどこでも機能する。社長は……雑に言えば、とにかく硬い壁だ。それだけで十分価値がある。
「最短講習でも、一週間か……」
昔なら数か月はかかっていた資格取得。
だが、ダンジョンが急増して探索者が慢性的に不足している今、国は“現場に立てる人間”を増やすことを最優先にしていた。
「……まぁ、助かるっちゃ助かるけどな」
天井を見つめたまま、ぼそりと呟く。
「火山と最上……資格試験の申請、しとくか」
先延ばしにする理由もなかった。
――数分後。
結局眠れないまま部屋を出て、近所のコンビニへ向かう。
夜風が、火照った体に少しだけ心地よい。
店先の灰皿の前で立ち止まり、タバコを一本取り出した。火をつけ、ゆっくりと煙を吐き出す。
久しぶりに肺に落ちる感覚。やめていたというより、吸う余裕がなかっただけだ。
白い煙が夜に溶けていく。
「……さて、どうすっかな」
誰に聞かせるでもない独り言が、静かな夜に消えていった。




