第22話「罠」
それからさらに数十分、俺たちはE級ダンジョンの深部へと歩みを進めていた。
前回の遺跡型ダンジョンとは違い、ここは完全な自然洞窟だ。
足元には湿った泥とゴツゴツした岩肌が入り混じり、天井からは冷たい水滴が絶えずピチャリ、ピチャリと滴り落ちている。
奥へ進むほど空気は冷え込み、その代わりにモンスター特有の生臭い魔素臭が濃くなっていった。
「き、緊張してきた……!頑張らなきゃ……!うぅ……みんなが見てる……!」
火山が強張った声を漏らす。
「……才川さん、前方のマッピング状況は?」
俺がインカムへ問いかけると、頭上を頼りなく浮遊するドローン“迷宮ぴかり”のスピーカーから、電子ノイズ混じりの合成音声が返ってきた。
「現在、皆様の現在地から五十メートル先まで走査を完了しています。こここここの先――警告……けい、こ……ピピピッ。異常な熱量を感知……。エラーコード0x000F4。これより全自動・超安心モード(※未実装)に移行します。サヨウナラ」
「あ」
ぴかりのレンズが怪しく赤く明滅し、そのままぷすぷすと煙を上げながら、力なく地面へ落下した。
ホログラムマップも砂嵐のように乱れ、ふっと消える。
「え!?ちょっと、どうしたのよ!」
「バグりましたね。想定内です」
「えーっ!?どうして!?我が社の主力製品でしょ!?」
「恐らく、さっき社長がテンション上がって強く殴ってたからです。安物の部品で超低価格に仕上げてる精密機械ですから」
「うそうそうそ!私のせい!?ていうか、ダンジョン用なのに衝撃に弱いってどういうことよ!?」
社長がパニックを起こし、鎧をガシャガシャと鳴らす。
その時、インカムの奥から、ノイズを切り裂くような静かな声が響いた。
『――あー、聞こえますか?連実さん』
才川さんの声だ。機材トラブルなど日常茶飯事だと言わんばかりに、微塵も動揺していない。
「聞こえてます。才川さん、ぴかりのシステムが完全に落ちました」
『ええ、そうみたいですね……』
あまりにも淡々とした死亡宣告に、社長がインカムへ怒鳴る。
「才川ぁ!どうすんのよこれ!」
『ご安心ください社長。今まさに、我が社の製品がダンジョン内で華麗に自壊した瞬間が、バッチリ配信されています』
@あまえんぼう:『自社製品が爆発してて草』
@AKITAKA:『これがネクロス・テック・クオリティか……』
「あーっ!ダメよ!主力製品が壊れた関連の切り抜きやコメントは全削除! 分かった!?」
『承知いたしました。では、ご武運を』
短くそう告げて、通信が切れる。
俺は背中に感じるかすかな重みを意識しながら、中央の通路へ視線を向けた。
背負われている最上は、スタミナ切れで完全にぐったりしている。
それでもスマホだけは死守し、配信コメントを監視していた。
「……あ、ぴかりの件、めっちゃウケてます……」
「だろうな。あんなの俺だって笑う」
本当は笑えない。俺も開発に携わっているからだ。
「来い……! ゴブリン……!」
火山は杖を軽く回しながら、自分を鼓舞するように先へ進む。
先ほどの戦闘で大技を成功させた高揚感。加えて、新しい杖の馴染み具合。
それらが彼女の足取りを無意識に軽くし、少しだけ性急にさせていた。
「おい、火山。少し歩調が速い。ここはEランク深部だ。それを忘れるな」
「大丈夫ですって、課長!落とし穴は警戒してます!」
その先には、緩やかな下り坂があった。
薄暗く湿った洞窟の景色が、網膜を流れていく。
俺は違和感を覚える。
それは、匂いだ。
獣臭――ゴブリンに似ているが、少し違う。
「ギャガダ!」
一匹のゴブリンが、松明を手に姿を現した。
まるで挑発するように。
そのゴブリンが、火山へ向けて松明を投擲する。
「遅いよ!」
火山は間一髪でそれをかわす。
その瞬間、俺は理解した。
この匂いと床の湿りは――“獣油”だ。それも毛を混ぜ、燃え広がりやすく加工してある。
「え――?」
松明が床に落ちた瞬間、床に塗られた脂へ赤い火線が蜘蛛の巣のように走った。
爆発ではない。
ねっとりと広がる炎が、靴底へ絡みつくように燃え上がる。鼻を刺す獣脂の臭いと黒煙が、狭い洞窟を一気に満たした。
「ひゃああっ!?ゲホッ……ゲホッ……!」
「センパイ……!?」
最上が俺の背中で声を上げる。
想定外の状況に、火山の身体は完全に硬直していた。
杖を構える時間も、魔法を放つ余裕も、一瞬たりとも残されていない。
そして、火が火山のスーツへ燃え移る。
「火山!水筒の水を頭からかぶれ!」
「ゴホッ……!は、はいっ!」
「ひゃっ!?煉夜くん、こっちにゴブリンが!」
社長が声を上げる。挟み撃ちか。
ここでゴブリンどもを相手にすれば、火山の救出が間に合わないだろう。
俺が咄嗟に背後へ意識を向けた、その一瞬の隙だった。
背中から、すとん、と軽い重みが滑り落ちる。
「クソが!」
最上が、煙の中へ向かって疾駆する。
体力も残っていないはずなのに。
「最上!?」
「ふうぅんっ!!うりゃあぁぁあああ!!」
最上の気張る声。
直後、煙の中から火山の身体が勢いよく飛び出してくる。
「きゃあっ!?」
「よ、よしっ……!」
「おい!最上!?大丈夫か」
――ドサッ。
何かが倒れる音。
そして、最上の声は返ってこない。
「“フレイム・ストーム”ッ!」
俺は“フレイム・ストーム”を模した幻炎を放つ。
業火に、ゴブリンたちは悲鳴を上げながら転げ回った。数匹はそのまま焼け焦げ、残りは恐慌状態のまま逃げ去っていく。
「火山、大丈夫か!?」
火山のスーツは黒く焦げ、所々が溶けて肌へ貼り付いていた。
露出した皮膚は赤く腫れ上がり、場所によっては白く変色し、一部では水膨れが浮かび上がっている。
「はっ……はぁ……っ!」
呼吸は浅く、速い。熱気と煙を吸い込んだせいで、喉が焼けるように荒れている。
かぶった水で炎は消えた。だが、皮膚の奥へ残った熱までは消えていない。
内側からじわじわと焼かれるような痛みが、時間差で火山を襲っていた。
「……あつ……それより、渚ちゃんを!」
「ああ!」
俺は煙の中へ踏み込んだ。
だが、見えた瞬間に理解する。
――手遅れだ。
ぐったりと力の抜けた身体が、床で燃えていた。
「おい、最上」
呼びかけても、反応はない。
近づくほどに、違和感は確信へ変わっていく。
俺は最上を抱き上げ、そっと床に横たえた。
「……煙を吸いすぎたか」
視界が、わずかに歪む。
喉の奥に、言葉にならないざらつきが残った。
火山が、震える手で這い寄ってくる。
「な、渚ちゃん……!」
返事はない。
最上の唇はうっすらと紫がかり、肌の色も明らかに悪い。
「わ、私のせいで……っ!」
「……違う。俺は、止められた」
低く吐き捨てるように言う。
「あの匂いも、床の湿りも……全部、警戒してた」
生きていて、拳が壁を叩いた。
鈍い音が洞窟に響く。
「最上が動く前に、命令すべきだった……」
視線を落とす。
「判断を遅らせたのは、俺だ」
インカムに手を伸ばし、才川さんへ連絡を入れる。
死体の回収と蘇生手続きの要請。
事務的なやり取りだけが、やけに遠く響いていた。
何も感じていない――そう思いたかっただけだ。
胸の奥に沈んでいたのは、確かに"悔しさ"だった。
また、部下を救えなかった。
「クソ……」
喉の奥が詰まる。
少し、泣きそうになる。久々の感覚だった。
視界の端では、コメント欄だけが騒がしく流れていた。
@チビ助『やば!w』
@けんと『ガチ展開きた』
@ねこまる『最上ちゃん;;』
視聴者は、生き返ると知っている。
俺も生き返ると分かっている。
だから笑えるし、安心して見ていられる。
もしそうでなければ、この光景はただの事故でしかない。誰も、画面越しに眺めていられるはずがない。
洞窟の中は、やけに静まり返っていた。
「やってやる……」
火山が、立ち上がる。
ボロボロの身体のまま、それでも立ち上がるその姿に――俺は、思わず息を呑んだ。




