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第11話「胃の痛む賭け」

「……いっ、て……」


 鳴り響くアラームの爆音に叩き起こされ、俺は自室の天井を仰いだ。

 昨日受けたアルハラの残滓が、鉛のように身体に沈んでいる。記憶が、酷く断片的だ。


 確か、あのバカ社長はまた吐いて、それから――

 ダメだ。思い出そうとすると、頭の芯が焼けるように痛む。


「ステータスオープン……」


 視界に半透明のウィンドウが展開される。


【HP:283 / 303】

【MP:282 / 282】

【スタミナ:40 / 100】


 眉をひそめる。スタミナが全く回復していない。それどころか、寝る前より減っている気がする。HPが20削れているのも解せない。

 酔って転んだか。揉め事に巻き込まれていなければいいが。


「おはようございます」


 部屋の隅。聞き慣れない、だが昨日確かに聞いた落ち着いた声。

 視線を向ければ、そこには整った顔立ちに眼鏡を添えた、洗練されたスーツ姿の女性――社長秘書の才川さんが立っていた。

 寝起きの脳が、一瞬で沸騰する。


「はぁっ!?な、何してるんですか……っ!?」

「覚えていらっしゃらないのですか?」

「一文字も覚えてません!!」

「昨日、社長が『煉夜くんの家で宅飲みする』と言い出して聞かず。私を同行させるという条件で妥協した次第です」

「マジかよ……。で、社長は?」

「こちらに」


 才川さんの指先を追う。ベッドの脇。

 そこには、俺のヨレヨレのTシャツと半ズボンのジャージを勝手に着込み、幸せそうに爆睡する社長の姿があった。

 ただでさえ汚い俺の部屋が、空き缶とゴミでさらに凄惨なことになっている。


「何があったんだよマジで……。い、一線は超えてないよな!?」

「ええ。物理的には、全く」

「良かった……!まじで良かった……!」


 ホッと胸をなでおろしたものの、記憶は完全にブラックアウトしている。


「……いや、最悪だ」


 こみ上げる胃酸をこらえ、深くため息を吐いた。

 床に転がる空き缶の山。俺の服を奪って健やかに眠る社長。そして、なぜか朝から爽やかな無表情をキープしている才川さん。

 現実逃避を決め込もうとしたその瞬間、サイドテーブルのスマホが、心臓に悪い振動を上げた。


 画面に踊る、"田中"の二文字。


「……はい、もしもし」

『あ、連実さん!おはようございます!生きてます!?』

「……死んではいないが、死ぬほど気分が悪い。お前の声を聞いて更にな。で、どうした?」

『いやぁ、それがですね。例のサーバ移行プロジェクト、検証環境で致命的なバグが出ちゃいまして……。近藤部長が『連実を呼べ!アイツの引継ぎ不備だ!』って、フロアで大暴れしてるんですよ』

「いや、それくらいならお前一人でなんとかできるだろ……」


 時計を見る。時刻は午前9時を回ったところだ。


『あ、ええと……。でも、とにかく!部長が来いって!』

「……田中、お前知ってるか?今日、俺は休みのはずなんだ。というか、昨日付けで俺は"ダンジョン攻略課"に異動したんだよ。そもそも――」


 電話を無理矢理奪うような音がした。


『おー、連実か?朝からずっと掛けてるのに出なかったな!?……まぁいい。今すぐ来い!』

「ちょっ……」


 反論の余地なく、電話は切られた。着信履歴を見ると、確かに不在着信の通知が大量にあった。


「はぁ……今日は久々にゆっくりできると思ったんだがな」


 よろよろと立ち上がろうとしたその時。床で丸まっていた社長が、不意にむにゃむにゃと口を動かした。


「……んぅ……。やすみ……?なに言ってるの……。わらし以外は、休んじゃ……ダメ……でしょ……。はやく……ダンジョン……行くわよ」


 寝言までブラック企業の権化かよ。

 俺の胃は、今まさに限界突破の悲鳴を上げようとしていた。


「才川さん。この人を連れて帰ってください」

「承知いたしました。社長はこちらで回収し、」


 才川さんは迷いのない動作で、泥のように眠る社長を「よいしょ」という掛け声すらなく、ひょいと肩に担ぎ上げた。

 その様は、まるで手慣れた業者が大型ゴミを運び出すかのようだった。


「……あと、才川さん」

「何でしょうか」

「会社まで……乗せていってもらっても……いいですか?」


 俺は今にも泣きだしそうな震える声で、お願いした。


「分かりました。大丈夫ですよ」


 淡々と答える才川さんの背後に、歴戦の猛者のようなオーラを見た気がした。担がれた社長は、揺れが心地よいのか「えへへ……ボーナス……全額……没収……」と、聞きたくないワードを垂れ流している。


「もう、どうにでもなれ」


 俺はクローゼットから数少ない予備のスーツを引っ張り出し、胃薬を二錠、水なしで飲み下した。数ヵ月ぶりの休日のはずの9時。

 俺の戦場は、ダンジョンよりも先に、元のオフィスにあるらしい。


 ◆


 オフィスは、いつにも増して嫌な活気に満ちていた。


 俺は、三時間も謎のバグ修正に追われた。

 それを俺の引継ぎ不備として処理させられ、片付いたのは午後一時を回った頃だ。

 消耗しきって席を立とうとした俺を、粘つく声が呼び止めた。


「おい、連実。どこ行くんだよ。まだ仕事は終わってねぇぞ」


 デスクでふんぞり返る近藤に、バグ修正は完了したと告げる。だが近藤は聞く耳を持たず、ニヤニヤとフロアを見渡した。


「お前、新設の“ダンジョン攻略課”で活躍してるらしいな。おい全員手を止めろ、誰か、例のやつをテレビに映せ!」


 モニターに映ったのは、昨夜の配信の切り抜き動画だ。

 ゴブリンを蹂躙する俺の姿ではなく、近藤が強調したのは罠にかかって失神した火山や、無様に転ぶ凛名社長、そして俺の貧相な装備だった。


「ギャハハハ!見ろよこの装備!ホームレスのコスプレかよ!」


 フロアに乾いた笑いが漏れる。近藤の機嫌を損ねまいとする同僚たちの、卑屈な笑い声だった。


「お前みたいな"抜け殻"にはお似合いの装備だな。おまけにその女――火山だっけか?」


 わざとらしく、鼻で笑う。


「低俗な配信コメントに釣られて、無様に醜態を晒しやがって。ついでにこの社長も、お前のようなゴミを拾うから笑いものになるんだよ。なあ連実、お前は管理職にも、探索者にも向いてない。さっさと辞めて、その椅子を俺に譲れ」

「……随分ダンジョン攻略課がお嫌いなようですが、この会社が潰れたら部長もお困りのはずでは?」


 俺の問いに、近藤は鼻で笑い、椅子にふんぞり返る。


「そうだな。俺は何とでもなる。知人の会社にコネがあるんでな。泥船と一緒に沈むつもりは毛頭ねぇよ。むしろ、さっさと潰れてくれた方が退職金代わりに備品を叩き売れて都合がいいくらいだ」

「――近藤部長」


 自分でも驚くほど、俺の声は冷たかった。

 だが腹の底では、ふつふつと煮えたぎるような熱が確実に込み上げている。

 近藤の笑い声がピタリと止まった。


「火山も社長も、初戦闘で誰一人欠けることなく生還しました。安全地帯からその実績を笑う権利は、誰にもないはずです」


 やめとけ、面倒は避けるべきだ。理屈では分かっている。

 いつも通り、右から左へ受け流しておけばいい。

 たった一年の管理職だ。ただ黙って業務をこなせばそれで終わる。


 だが、なんだこれは。

 

 こいつに、俺の部下をとやかく言う権利はないはずだ。


「あぁ?なんだその口の利き方は……?いいか、素人集団でおままごとを始めたこと自体、会社への背信行為なんだよ。最低のF級一つ攻略した程度で調子に乗るな。俺なら一人で片付けてるレベルだぞ」

「……単刀直入に言います。他人のことを見下し、部下の成果を横取りすることしかできないあなたに、彼女たちの何がわかるんですか」


 俺は一歩、近藤のパーソナルスペースへと踏み込んだ。


「火山には才能がある。初戦であれだけ動けたのは天才と言っていい。これから俺が育てれば、彼女は一人でD級……いえ、S級ダンジョンだって攻略する逸材になります。社長は……少なくとも、あんたよりはずっと先見の明がある」

「おーおー……随分とデカくなったな。課長になった途端に全能感でも湧いたか?」


 長らく忘れていた……いや、とうの昔に捨てたはずの、探索者としてのくだらない"自尊心"。

 完全に消え去ることなく燻っていた残火に、今、はっきりと火が点いた。

 近藤が顔を真っ赤にして立ち上がる。

 俺は一歩も引かず、至近距離からその目を射抜くように見据えた。


「かつて探索者ライセンスを不祥事で剥奪され、そのコンプレックスから"ダンジョン攻略課"を目の敵にしている。……そんな哀れな"元探索者"に、俺の部下を馬鹿にされる筋合いはありません」


 近藤の顔から血の気が引く。


「な、……なぜそれを!貴様、どこで……!」


 飲み会で社長から聞いたとは、わざわざ教えてやる必要もないだろう。


「俺は現場に出ない。一か月後、俺抜きのメンバーでD級ダンジョンを攻略してもらう。しかも、一人も死なせずにだ」

「……あ?」

「もし達成できたなら、アンタには這いつくばって土下座してもらうぞ」


 挑発に、近藤の顔がピクリと引きつる。だが、すぐに小馬鹿にしたような笑みへと変わった。


「ハッハッハッ!いいだろう、乗ってやるよその賭けに」


 見下すように俺を指差し、近藤はニヤリと口角を吊り上げる。


「一か月でD級?F級で燻ってた連中が這い上がれるわけねぇだろ。経験者を入れようにも、こんな弱小課に来たがる物好きはいねぇ。……もしできなかったら、テメェが土下座して会社から消えろ。達成できたら、俺が直々に辞表を書いてやるよ」


 ピリついた空気に、フロアは水を打ったように静まり返っている。

 近藤の目に、迷いは一切ない。

 俺たちの無様な失敗と、合法的に目障りな奴を追い出せるという完璧なシナリオを思い描き、その顔は勝利の確信に満ち溢れていた。


「分かりました。その条件、呑んでやるよ」


 俺が即答すると、近藤は「ケッ、威勢がいいのは今だけだ」と吐き捨て、自席へ戻っていく。


「ちょ……前々から目ぇつけられてたとはいえ、あれはヤバいっスよ!」


 田中が慌てた様子で駆け寄ってきた。


「だな。……けど、久々にスカッとした」

「……一個だけ言っていいスか」

「なんだ」

「部長を怒らせたせいで、これからフォローに回るアタシらが地獄なんスよ……」


 少し間を置く。


「あとで全員分のプリン、買ってくる」


 その瞬間、周囲の視線が、わずかに変わった気がした。


「あ、あと」


 田中が、照れくさそうに口を開く。


「部長はああ言ってたスけど……かっこよかったっスよ。連実さん」


 俺は何も言わなかった。

 代わりに、一度だけ、フロア奥の大型モニターへ目をやる。

 そこには、俺たちの配信映像切り抜きが、繰り返し映し出されていた。

 社長が全力で逃げ、火山が炎を撃ち、俺が剣を振る。

 無様で、騒がしくて、それでも確かに命を懸けて戦った、あの場所の記録だ。

 ざわり、と周囲の社員から声が上がる。


「そうよねぇ……」

「確かに。俺も連実が活躍してて嬉しいよ」

「私は前から顔だけはいいとは思ってたけどね」

「……最後のひとことは余計だろ」


 思わず口から突いて出た俺の呟きに、張り詰めた空気の中で田中がブッと吹き出した。

 これで完全に、後戻りはできなくなった。

 だが、それでも俺は「探索者なんてクソだ」と思っている。その気持ちに嘘はない。

 俺は静かに踵を返す。

 戸惑いとざわめきが広がるオフィスを、振り返ることなく後にした。

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