第九話 ファミコン?
杏の狐耳と尻尾がよく出る問題は、それから問題なく消えていった。少しずつ、精神が落ち着いてきたんだと思う。
よし。これで保育園に預けられるぞ。
「杏-、そろそろ行こう」
「あいっ」
数日後の朝。
可愛らしいピンクの花柄ワンピースに白いカーディガンを羽織った杏が、とてとてと俺の下までやってくる。真っ赤な斜めがけ鞄も肩に提げて。
おお。今日も可愛いなぁ。
「忘れ物はないか?」
「だいじょーぶっ」
「そうか。一人でちゃんと支度して偉いぞ。じゃ、行こう」
杏の手を引き、俺を家を出る。
俊樹はもう勤め先に出勤した。俺も杏を保育園に預けてから、大学に向かう。
杏……久しぶりの保育園になるわけだけど、大丈夫かな?
「保育園って、楽しいか? 杏」
つい心配して杏に確認すると、杏は不思議そうに即答する。
「たのちいよ」
「お友達はいるのか?」
「うん。エリちゃんでしょ、それからマキちゃんに、あとはカズくん」
俺はほっとした。たくさんお友達がいるんだな。
でも、カズ『くん』? 男の子の友達か? 男女関係なく仲良くしているんだな、杏は。
俺なんて全然女友達がいないのに。俺よりよっぽどリア充だ。
……でも、カズ君にちょっとジェラシー。杏はまだまだ渡さないぞ。なんて。はは。
「今日は保育園で何をするんだ?」
「んー、おえかきがちたい」
「杏はお絵かきが好きなのか」
「うん。ハルおにいたんのにがおえも、かいてあげるね」
にこっと笑って言う杏に、俺は感激してしまった。やった、杏から似顔絵を描いてもらえるなんて。
もし、持ち帰ってきたら家宝にしよう。親バカかもしれないけど、見たら絶対に嬉しくて泣く自信がある。
「ありがとう。楽しみにしてるな」
「うん!」
杏と和気藹々と雑談しながら、徒歩で十五分ほど。りんご保育園に到着した。
「杏ちゃん! おはよう」
門をくぐってすぐ、元気に明るく挨拶をしてきた女性の保育士さん。まだ若い。俺より少し年上くらいだ。立派に働いててすごいなぁ。
「おはよー、ミキせんせい」
「ふふ。今日からまたよろしくね」
ミキ先生はその場にしゃがみ込んで杏と目線を合わせる。にこりと笑いかけられた杏もまた、無邪気に笑い返していた。
「先生。杏のこと、よろしくお願いします」
俺もはにかみながら話しかけると、ミキ先生はスッと立ち上がった。「はい。もちろん」と優しく笑い応えてくれた。
「何時頃、お迎えにきていただけますか?」
「えっと、五時過ぎにはきます」
「分かりました」
ミキ先生は、ふと心を痛めた顔をする。そっと目を伏せた。
「山村さん。その、楓さんのことは……本当に残念でした。ご冥福をお祈りします」
「ありがとうございます」
俺は曖昧に微笑みながら、弔意を受け取った。
姉さんの死を悲しんでくれる人が、ここにもいる。そういえば、数日前から姉さんの仏壇にお線香を上げにくる人がたくさんいて。いかに姉さんが周りから愛されていた人か……改めて実感していた。
姉さんは、俺にとっては本当に偉大な姉だったな。看護師になる夢を諦めてまで俺たちを育ててくれたこと、今でも感謝してもしきれない。
同時に申し訳なくも思うけど、姉さんは『こら、気にしないの』と優しい笑顔で窘めてくれたっけ。
「では、失礼します。杏、いい子でいるんだぞ」
「あーいっ」
杏は舌っ足らずな口調で元気に返答し、保育園の教室の中へと駆けていった。
すっかり元気そうだ。やっと、姉さんへの気持ちを吹っ切って前を向いているのかもしれない。よかった。
さて。俺も大学に行かないと。
くるりと踵を返した俺は、大学に急いだ。
「山村、久しぶり。お姉さんのこと、災難だったな……」
「大丈夫か? 元気出せよ」
「葬儀のこととか、お疲れ様」
大学の講義室に着くと、友人たちが気遣わしげな顔で出迎えてくれた。
俺は背負っていたリュックを机に置きながら、いつもより努めて明るく笑い返す。
「おはよう。ありがとう。もう大丈夫だよ」
「休んでいた間のノートはとっておいたから。ほれ」
「おー、ありがと」
眼鏡をかけている友人、高橋から預けていた俺のノートを受け取る。
ありがたい。持つべきものは幼なじみだ。
「そういえば、杏ちゃんは? お姉さんの旦那さんが引き取ったんだよな?」
坊主頭の佐藤が確認するように聞いてくる。
俺は曖昧に笑った。
「あー……義兄はまだちょっと仕事があって。一時的に俺が杏の面倒を見てる」
「「「え!?」」」
友人三人衆は、目を白黒させた。なんで山村が預かっているのか、と疑問の顔だ。
「えー、じゃあ大変じゃん。子どもの世話をしながら大学にくるの」
佐々木が悪気なく言うが、俺は内心むっとしてしまった。
大変。確かに楽ではないけど、でも杏のことを足を引っ張る存在のように言うのはやめてほしい。
それに俺だって、杏の愛らしさには癒やされているし。
「全然平気だよ。杏はめっちゃ可愛いんだから。離れてる間が寂しいくらいだよ」
笑いながら言うと、佐々木はどことなくほっとしたような顔をした。本当に悪気も他意もなかったみたいだ。すまん、佐々木。過剰反応してしまって。
高橋と佐藤も「さすが、山村は世話焼きだな」「無理すんなよー」と声をかけてくる。みんな優しくて自慢の友達だ。
「でも、それって一人で? 本当に大丈夫か?」
佐々木がなおも心配している様子だ。すると、高橋と佐藤もはっとした顔だった。
「確かに。やっていけるのかよ。生活費とか」
「いやいや、生活費はさすがに義兄さん持ちだろ」
口々に続ける友人たちに、俺は嬉々として返す。
「双子の兄貴と一緒に住み始めたんだ。だから、一人ではないから」
佐藤が変な顔をする。
「なんでそんなに嬉しそうなんだ?」
「だって、しばらく離れて暮らしてたから。また一緒に住めて楽しいんだよ。杏を含めた家族三人の生活、最高だよ」
高橋が「ぷっ」と吹き出す。俺のきょとんとした目と目が合うと、すぐに慌てて「ごめん」と詫びてから、優しく笑った。
「本当に家族自慢が多いよな、山村って。昔から」
「え? そうか?」
「保育園の頃からそうだったよ。でもそっか。山村兄も元気なんだな。よかった」
佐々木が口を挟む。
「高橋、知ってるんだ?」
「幼なじみだからな。山村のファミコンぶりは昔から知ってる」
「ファミコン? なんだそれ」
「ファミリーコンプレックスの略。山村は、子どもの頃から実家大好き人間なんだよ。いやぁ、昔から家族自慢が多くてさ」
ちょっと呆れ気味に笑う高橋だ。
俺は軽く目を見開く。ええっ、俺ってファミコンだったのか? 自覚がなかった。
「双子の兄貴ってどんな人なんだ?」
「山村兄は……不良っぽい感じ」
「え! 山村の兄なのに!?」
「意外」
目を丸くする二人と、不良の一言で済ませた高橋に、俺はむすっとして言い返す。
「俊樹は確かに粗暴で口も悪いけど、優しくて頼りになるイイ奴だよ。それにもう不良じゃないし。料理も上手で、杏のお弁当も……」
「「「もういい」」」
友人三人とも、苦笑いと呆れ気味にストップをかける。
むむ、まだ説明し切れていないのに。俊樹のよさを。
「確かにファミコンだわ」
「ブラコンだろ」
「っていうか、素直なんだと思う。はは」
佐々木の言葉に他の二人は納得したように頷いた。
俺はきょとんとするしかなかった。素直、か。俊樹にも言われたな、そういえば。
その時だ。
「おはよう。お前ら、席に着け」
教授が講義堂に入ってきた。俺たちは慌てて横並びに席に座る。
「今日は、--について説明する。まずはテキストの--」
講義が始まる。
よし。集中して、きちんと勉強しよう。




