第七話 兄弟
「俊樹はさ。あんまり自分のことって話してくれないよな。昔から」
帰り道。
杏の手を引いてゆっくり歩きながら、俺は小さくこぼす。
中学一年生の時、俊樹が野球部に入った時もそうだ。一年生にしてレギュラー入りした時……俊樹はタチの悪い先輩からいじめられ、辞めてしまった。
俺がそのことを知ったのは、高校に入ってからだ。ずっと、野球の練習がだるくなったから、という俊樹の言葉を信じていた。だから、ちょっと呆れてしまっていて、きっと傷付けたこともあるだろうと思う。
もっと早くに話してくれたら。そう思うことが、俊樹に対しては数知れずある。
「霊能力のことだって、もっと早くに教えてほしかった」
「なんで? 知ったところでどうにもならないだろ」
「そんなことない。俊樹の悩みとか相談に乗ってあげられた」
「お前には何もできないだろ」
「!」
俺は冷たい言葉を浴びてはっとした。
しゅんとしてしまう。確かにそうかもしれない。だって、俺には霊能力なんてない。俊樹の気持ちを分かってあげられない。
「そ、そうかもしれないけど……でも、そんな言い方しなくてもいいだろ」
悲しくなって、怒りを孕んだ声で言い返す。
俊樹は俺の傷付いた目に気付いたのか、口をつぐんだ。
「……どうちてケンカしてるの? ハルおにいたんたち」
杏が不思議そうに、そしてどこか不安そうな目で言葉を落とす。
俺ははっとして、杏に顔を向けた。努めて優しく笑いかける。
「あ、そ、そんなことないよ。喧嘩じゃない。ちょっと真剣にお話してるだけだよ」
「そうなの?」
「うん」
俺は腰を屈め、杏のことを腕にぐいっと抱き上げる。立ち上がると、杏は高い景色からの光景にきゃっきゃっと目を輝かせていた。
無邪気な笑顔と笑い声が広がって、俺と俊樹の間に流れていた険悪な雰囲気が消える。
「……ごめん。子どもみたいに。でも、俺たち双子の兄弟なのにって。たまに無性に壁を感じる時があって」
「……」
「はは。俊樹にはもっと頼りになる友達とかいるよな。そっちに話しているんなら、それでいいんだ。はは……」
力無く笑う。
ちょっとだけ嘘だ。本当はもっと俺を頼ってほしいし、心を開いてほしい。せっかく、双子に生まれたんだから。
俺が寂しそうに笑っていることが、俊樹の目にも映ったのかもしれない。
「あー……悪かったよ」
と、おずおずと謝罪してきた。
「別にお前のことを信頼してないわけじゃねーよ。ただ、霊能力のことは……その、気味悪がられるのが嫌で、言えなかっただけだ」
「そんなこと思うわけないだろっ」
俺はつい強く言い返してしまった。杏がびっくりとして体を揺らす。狐耳もぴくぴくと動いて、ふさふさと尻尾がしゅんと地面に向かって落ちた。
俺は慌てて「ごめん、杏」と杏に謝った。最近、感情的になることが多いな、俺。
「俊樹が困ったり、悩んでる時は力になりたいよ、俺。だって、俊樹は昔から俺のことを助けてくれるのに」
俊樹は心当たりがないのか、変な顔をする。
「なんのことだ?」
「今だって、俺のことを助けてくれてるだろ。無自覚かもしれないけど、俺のフォローをしてくれるところ、俺はずっと感謝してるんだよ」
捨て猫の時だってそうだ。他にも、日常で色々。俊樹にはずっと支えられてきた。
だから俺だって、俊樹の支えになりたい。
「恥ずかしくねぇのかよ、はは」
俊樹はちょっぴり照れ臭そうに笑った。仕方ない弟だな、とでも言うように。
結局、これからは色々相談するよという類いの言葉は引き出せなかったけど、でも俺は満足してしまった。多分、俊樹からの俺を信頼していないわけじゃないという言葉に納得できたからだと思う。
俊樹の方も話しやすくなったのか、霊能力に悩み始めた時期について話してくれた。霊能力が開花したのは、これまた中学一年生の時だったみたいだ。ちょうど、両親が亡くなった直後。
「母さんが、俺の霊能力をずっと封印してたみたいでさ。それが解けたから、あやかしとか分かるようになったらしい」
「母さんが?」
「母さんは、さっきの狐じいさんの姪なんだよ。確か……母方の祖父の弟が、あの狐じいさんだとかって」
「へぇ」
家系図を想像するのにちょっと時間がかかった。そうなのか。じゃあ、俺にとっては賀茂さんは大叔父というわけだ。
まさか、親戚だったなんて。
「木蓮さんが妖王の息子だっていうのも、なんとなく分かってたのか?」
「妖力がやべー奴だとは気付いてた。だから、格式高いあやかしだとは思ってたよ。でもまさか、そこまで身分が高い奴だったとは……びっくりした」
俺は、腕の中にいる杏のことを見下ろす。
「杏も、王族なんだよな。俺もびっくりしたよ」
「わがまま姫ってか?」
「そ、そんなことないし……」
杏は悪口を言われたと察したみたいだ。俊樹のことをむっとして睨みつける。
「あんずは、わがままじゃないもん」
「どこかだよ」
「トシおにいたん、キライっ」
ぷんすか怒ってそっぽ向く杏。
俺は眉をしかめた。まったく、『嫌い』という言葉を軽々しく使って。マイブームなのか? もしかして。
「杏。だからダメだって言ってるだろ、その言葉」
「むーっ」
「杏だって、俺から嫌いだって言われたら悲しいだろ?」
杏は、弾かれたように俺のことを見上げた。少し潤んだ目で。
「ハルおにいたん、あんずのことキライなの!?」
「違うよ。例えばの話」
もちろん大好きだよ、とはあえて続けなかった。今は諭しているところだからだ。
……姉さんにも言い放った時。もっときつく諭せばよかったな。軽々しく使っていい言葉じゃない、刃物のような言葉なんだって。
「……」
杏はやっと『嫌い』の言葉の意味の重さを理解したみたいだ。しゅんとして、「ごめんなたい、トシおにいたん」ときちんと謝った。
元々、俊樹は気にしていなさそうだったけど、教育の観点からどう返答したらいいのか考えたのかな? 「分かればよろしい」とちょっと軽いノリで返していた。
はは。さすが、頼りになるお兄ちゃんパパだ。
……それにしても。
「杏の狐耳と尻尾、最近よく出てくるな。どうかしたのか、杏」
もふもふの狐耳を見つめながら、ずっと気にかけていたことを杏に訊ねると、杏も困ったような顔をした。
「わかんない。こんとーるできないの」
「そうなのか……」
来週からそろそろ保育園に連れて行こうと思っていたんだけど、この様子だと難しい。となると、俺も大学を休んで傍にいてあげないとな。
うーん……大学。休学とかしようかな? それなら俊樹も怒らないだろう。
「なぁ、俊樹。俺、しばらく大学を……その、休もうかな」
曖昧に言葉を濁してしまうと、俊樹はじろりと俺を横目で見た。
「杏のその問題を解決するまで、だからな」
「わ、分かってるよ。でも、解決するってどうやったらいいんだろう」
「俺にも分からねぇけど……最近まではちゃんとコントールできてたんだろ? さっきの口ぶりだと」
「うん」
本当だ。ここ半年、俺はよく夜とか休日に杏と会っていたけど、全然あやかしだと気付かなかった。狐耳と尻尾が出てくるところを一度も見たことがない。
……って。
「あ」
「なんだ?」
「そういえば、姉さんが亡くなってからだ。コントロールできていなくなったの」
「姉貴が死んでから?」
俺たちは顔を見合わせ、考える。
もしかして、姉さんがいなくなったショックで、気持ちが乱れているのか? だから、それに呼応してあやかし化へのコントールもできなくなってる?
杏……見た目は、元気そうなのに。少なくとも、俺にはもう立ち直ったように見えてしまっていた。
俺は心の中で反省する。パパ失格だ。
「ごめん。杏。ママがいなくて寂しかったよな?」
「……」
杏が俺の腕の中で無言になる。
大きなアーモンド型の目を伏せて、狐耳も尻尾もしゅんと落ちた。
「……ママにね、ひどいこと言っちゃった」
「ひどいこと?」
「ママ、キライなんて言わなきゃよかった。あんず、たくさんあやまりたいことがあるのに……っ」
はらはらと大粒の涙がこぼれる。杏はきゅっと唇を噛みしめ、泣くまいと堪えようとしている様子だけども。
「どうしてママ、しんじゃったの……? あんずが悪いこだから……?」
泣きじゃくり始める杏。
俺は慌てて宥めながら、否定した。
「違うよ、そんなわけないだろ。あんずは、いい子だよ」
「じゃあ、どうちて……!」
「あれは事故だったんだ。その、避けようのないことだったんだよ。だから、絶対に杏のせいなんかじゃない」
必死に言い聞かせても、杏の涙は止まらなかった。
「ママにあいたいよぉぉぉ! ふぇえええん!」
大声で悲痛に泣き始めた杏を、俺も俊樹も痛ましげに見つめるしかなかった。つらい。見ているこっちも。
どう寄り添ってあげたらいいんだろう。
かける言葉が思い浮かばない。
何か言ってあげたいのにもどかしく思っていると、その時。
「……杏」
俊樹が俺の目の前まで近付いてきて、杏の頭にそっと手を置く。
「お前の母さんは、ちゃんと分かってるよ。お前が母さんのことを大好きだってこと」
俺ははっとする。
そうか。その言葉こそが今の杏に必要なものだ。
「ぐすっ、ほんとう……?」
「ああ。だからお前とずっと一緒にいたんだ」
杏の目から流れる涙が、少しずつ落ち着き始める。
俺も杏の顔を覗き込んで、優しく笑った。
「杏が元気に笑っている方が、ママも安心するし、嬉しいよ、きっと。だから、つらくても一緒に頑張ろう、杏。--杏の幸せが、ママの幸せなんだから」
「!」
杏もはっとした顔をして、やっと泣き止んだ。目に滲む涙を、自分の手の甲でゴシゴシと拭ったから。
再び顔を上げた時には、健気な笑顔だった。
「うん! あんず、しあわせになる! ママのために!」
同時に、狐耳と尻尾が消える。杏の強い思いが定まったからか。
俺はなんだか泣きたくなった。はは。最近、俺も涙もろいかもしれない。
でも、もちろん表情には出さなかった。杏のことをぎゅっと力強く抱きしめる。そうしてあげたかった。
そうして俺たち三人は、あの家に帰る。
淡いピンクのコスモスが咲く、明るい道をゆっくりと歩いて。




