第六話 賀茂神社
賀茂神社は、気が遠くなるような石階段が続いた先にあった。
もちろん、上登り階段。百段近くあったんじゃないかってくらい。もう、足が疲れた。
「杏、大丈夫か?」
「うんっ」
俺の隣をとてとてと歩く杏は、まだ元気いっぱいだ。境内に入ると、手を清める水洗い場があって、目を輝かせた杏はそこまで走っていく。
お、おお……すごい。子どもの体力は無尽蔵だな。俺はもう走れないよ……。
へとへとになって歩いていると、日頃、肉体労働している俊樹から「しゃきっとしろよ」と檄を飛ばされた。
俺は口をへの字に曲げる。そりゃ、俊樹は昔から運動部だったから体力あるんだろうけどさー。
と、ぐちぐちは言わなかった。というか、言えない。息が上がったままでいて。
その時だった。
「おお、俊樹じゃないか」
「げっ」
俊樹が思わずといった様子で顔をしかめた。
俺は声の主を振り向く。賽銭箱の方から、小柄なお爺さんが歩いてきていた。水色の袴を履いていることから、神主--つまり、『狐じいさん』だと思われた。
どこが狐なんだ?
しゅっとしてはいるけど、キツネ目というわけじゃない。食えない人だというのなら、どちらかというと狸じいさんなのでは?
俊樹の表現センスは独特だ。はは。
「久しぶりだなぁ。いつぶりだ? 大きくなって」
「……中学生以来だろ」
「おお、そうだった。そうだった。カノジョはできたのか? うん?」
「うっせ。ハラスメントすんな」
俊樹は鬱陶しそうに冷たく撃退する。
賀茂さんは「すまん、すまん」と鷹揚に笑っていた。いや、本当にハラスメントだろう、今の時代。
だけど、あまりにもにこにこしているものだから、言いづらかった。俊樹もさほど気にしていなさそうなのでスルーすることにして、俺は前に進み出る。
「初めまして、賀茂さん。俊樹の双子の弟の晴将です」
挨拶すると、賀茂さんは目をぱちくりとさせる。
「俊樹の? ああ、そういえば楓ちゃんが話しておったな。もう一人、弟がいると。君だったのか」
「はい。その節は、俊樹や姉さんがお世話になりました」
「いやいや、構わんよ。はは、礼儀正しい子だな。俊樹と違って」
賀茂さんがにんまりと笑いながら、わざとらしく俊樹を見る。俊樹は口癖のように「うっせ」と言い返していたけど。
「それにしても、あまり似ておらんなぁ。一卵性なのか、もしかして」
「そうです」
よく言われる、昔から。全然似ていないねって。
俺はどちらかというと母さん似で、俊樹は父さん似。ちなみに姉さんは、従姉と結構似ていた。つまり、母方似だった。
だから、俺と姉さんは姉弟と言うと納得されることが多くて、逆に俊樹と姉さんは恋人だと勘違いされることが多々あったな。そういえば。懐かしい。
「ハルおにいたん、おてて洗ったー!」
手を濡らした杏が、たたたっと俺たちの下へ駆け寄ってくる。
すると、賀茂さんがすっと目を細めた。俺はぎくりとする。
咄嗟に杏のことを抱き上げ、過剰に反応してしまった。理由は分からないけど、杏の正体を一目で見抜かれたような気がしたから。
「その子は、狐のあやかしじゃな?」
ぼふんっ。
タイミングよく、杏の頭部から狐耳が飛び出す。お尻からはふさふさの尻尾も。
最近、妙に多い。どうしてなんだろう……。
気になってはいるけど、ひとまず賀茂さんに視線を戻す。
「そ、そうですけど……やっぱり分かるんですか」
「はは、そうか。もしかして、俊樹から聞いておるか。儂の霊能力のこと」
「はい」
だから昔、俊樹が自分の霊能力に悩んだ時、賀茂さんに相談しにきたんだと言っていた。
賀茂さんは一つ頷く。
「儂の家は陰陽師の家系でな、生まれつき見鬼の力が強いんだ。あやかしのことは、一目で分かる。その子は妖王の血筋だな?」
「へ?」
ようおう。
俺は何を言われたのか分からなかった。漢字変換できないし。
でも、俊樹は「やっぱりそうか」と呟いていた。知ってたのかよ。話せよ、もう。
「ようおう、とおっしゃいますと?」
「妖の王。あやかし界を統べる存在のことだ。日本でいうと……そうだな。天皇陛下と総理大臣を兼任しているような存在だ」
「ええ!?」
つまり、どこぞの国王様。
え、え、杏はその血筋なのか? 本当に!?
「王女……ということですか? 杏は」
ごくりと生唾を呑み込む。
王家の娘だとしたら、俺はとんでもなく高貴な子を育てていることになる。腰を抜かしてしまいそうだ。
「それはどうだろうな」
賀茂さんは、どことなく困ったように眉をハの字にした。
「今の妖王には娘はおらん。息子が二人だけだったはずじゃ」
「多分、その一人が木蓮の奴なんだよ」
俊樹がやっと会話に参加し始めた。
俺の中で、少しずつ家系図が紐解かれていく。となると、木蓮さんが王子様で、杏はその娘という認識でいいのか?
賀茂さんは木蓮さんのことを知らないからか、「もくれん?」と不思議そうな顔をしていた。
「杏の父親のことです」
俺が答えると。
「なるほど。そういうことか」
賀茂さんの脳内でも、妖王家の家系図が広がったみたいだ。
賀茂さんは、少し怪訝そうに俺たち三人を改めて見つめた。それはそうだ。俺たちと杏の接点なんて、賀茂さんにはまだ分からないだろう。
「それで……君たちはどうしてその子と一緒にいるんだ? 木蓮殿下はどうした」
俺と俊樹は一瞬顔を見合わせた。
木蓮さんのことを改めて思い出し、俺は声に怒りを滲ませながら答える。
「連絡がつかなくなったんです。突然。……実はここ半年、姉が木蓮さんと結婚して杏のことを育てていて」
「楓ちゃんが?」
「はい。でも、姉はつい数日前に事故で亡くなってしまって……。それなのに木蓮さんと連絡をとりたくてもとれないんですよ。どこにいるんでしょうか。ご存知ありませんか?」
まくし立てるように言うと、賀茂さんは困った顔だ。顎を手で擦りながら、まずは姉の死を悼んでくれた。
「楓ちゃんが亡くなっていたのか……。残念じゃ。気立てのいい、優しい子だったのになぁ」
賀茂さんは心底悲しそうに呟いてから、杏のことを優しげに見つめる。
「楓ちゃんの忘れ形見を、君たちが守っているということか。……繋がれていくものだな、姉弟の絆は」
感心したようにしきりに頷いて、賀茂さんはやっと俺の質問に答えてくれた。
「すまないが、木蓮殿下の行方は儂にも分からん」
「そう、ですか……」
俺はがっかりした。あやかし関係に詳しい、俺たちが唯一知っている人だったのに。
他に木蓮さんの行方を知っていそうな人なんて、全然分からない。人間界での交友関係も知らないし、どうしよう。
「だが」
賀茂さんが続けて言うので、俺は顔を上げた。
賀茂さんは、にこっと笑っていた。
「あやかし界に使者を送ってみよう。何か分かるかもしれない」
「! ありがとうございます!」
俺は杏のことを抱きかかえたまま、つい勢いよく頭を下げる。
遅れて「しまった」と思ったけど、杏は「きゃっ」と楽しそうな声を上げ、手足をぱたぱたと動かしていた。ほっ。
賀茂さんは微笑ましそうに目尻をくしゃっとさせる。
「はは。元気な子だな」
「はい。やんちゃなところがあって」
「子どもは元気に笑っているのが一番いい」
「そうですね」
それは俺も心からそう思う。
ともかく、木蓮さんの行方を掴めるかもしれない。大きな前進だ。
「じゃ、頼んだわ。狐じいさん」
俊樹も頼むのはいいけど……なんだ、その口の利き方は。
俺は呆れに顔を歪めた。
「こら、俊樹。賀茂さん、だろ」
「いつから俺の親になったんだよ。晴将は」
俺ははっとする。姉さんとの最期の会話を思い出して。
俺が泣きたそうな顔をしたことを、俊樹は見抜いたみたいだ。困惑した顔をした。
「え、なんだよ。また俺、何かしたか?」
「ううん。違うよ。ただ、姉さんと同じことを言うから」
「……ふーん」
ちょっぴり嬉しそうな様子の俊樹だ。
俺はくすりと笑った。
「じゃ、帰ろうぜ。用事は済んだだろ」
俊樹があっさりと踵を返そうとすると、俺の腕の中にいる杏が「やっ!」と抵抗の声を上げた。
俺たち三人とも、びっくりとする。
「杏? もう少しここにいたいのか?」
「うん! コンコンとあそぶっ」
「こ、こんこん?」
杏が指差す方向を見つめると、石像があった。狐、つまりお稲荷様の。
あれ? もしかして、だから『狐じいさん』なのか?
今更になって気付いた。
「石像とどうやって遊ぶんだよ」
俊樹がツッコミを入れると、杏は膨れっ面になった。
「のっかってあそぶ!」
俺たちは、吹き出した。乗っかるって。なんて罰当たりな。
子どもの発想は自由だな。はは。
「ダメだよ。杏」
俺はそろそろ杏のことを地面に下ろしながら、笑顔で窘めた。
「神様にそんなことしたら、末代まで祟られる」
「たちゃられる?」
「怒られるってことだよ」
杏は嫌そうに顔を歪めた。逃げるようにして、たたたたっと石階段の方へ走っていく。
途中で足を止め、俺たちに向かって手をぶんぶんと振った。
「かえろー! ハルおにいたん」
「今、行く!」
俺は声を張り上げて返事をし、賀茂さんに改めて深々と頭を下げた。
「どうかよろしくお願いします。賀茂さん」
「はは。何か分かったら、君たちの実家に電話するよ」
「分かりました」
俊樹がさっさと歩き出したので、俺も隣に並んだ。杏の下へ行くと、杏は嬉しそうに笑って俺の手を引く。
「ハルおにいたん。今日のおひるごはんは-?」
「何が食べたい?」
「えっとね--」
賀茂神社を後にする俺たち。
秋風が撫でるように吹く。
ふと振り向くと、賀茂さんが手を振ってくれていた。俺と杏は手を振り返す。
「まったく。俊樹。失礼がすぎる」
「ほっとけ」
「杏の教育に悪いだろ。真似したらどうするんだよ」
「反面教育ってやつだ」
自分で言うことじゃない。
俺は呆れ果ててしまい、同時に可笑しくもあった。やっぱり自覚があるんだなって。自分の口調が粗暴なこと。
悪ぶってる部分もあるんだろうか。




