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第三話 双子ともふもふ狐の子ども


 実家に帰ってすぐ、俺は杏のことを二階の寝室に寝かしつけに行った。六畳一間の部屋で、押し入れからキャラクター柄の布団を引っ張り出して。

 杏は元々うとうとしていたので、ほんの十数分で寝てしまった。寝顔は可愛らしい。でも、涙の跡が……痛ましかった。


「あの子は?」


 一階にリビングに下りると、俊樹がぶっきらぼうに訊ねてくる。

 俺はふかふかのソファーに腰掛けながら、そっと息をついて応えた。


「寝たよ。泣き疲れたんだ、きっと」

「……そうか」


 灰色のカーペットに胡座を掻いている俊樹も、ちょっとやるせなさそうに俯く。

 少しだけ、沈黙が下りた。

 俺たちが思うところは、きっと同じだろう。杏の父親である木蓮さんは一体どこで何をしているのか。全然連絡がつかなくて、もはや腹立たしいし、何よりも杏が可哀想だ。


「まだ連絡つかねぇのかよ、あいつ」

「うん……」

「はぁ……。ってか、海外出張ってそもそも本当なのか?」

「え?」


 俺は顔を上げる。どういう意味だ。

 姉さんの言葉を信じて疑っていなかった俺は、戸惑った。だったら、木蓮さんはどこに行ったっていうんだよ。


「他に……何かあるか? 家を長く留守にする理由なんて」

「姉貴とあの子を捨てたとか」

「な……っ!」


 俺は思わず大声を出しそうになって、でも慌てて声量を落とした。杏のことを起こしてしまったらまずい。


「……な、なんてこと言うんだよっ。そんなわけないだろ」

「分からねぇだろ。姉貴はお前に心配をかけたくなくて嘘をついていたのかもしれねぇし、

そもそも姉貴自身も嘘をつかれていたのかもしれない。海外にいるからって、ここまで連絡つかないなんてあるか?」

「……それは」

「児童養護施設に話して引き取ってもらえよ。お前の重荷になるだけだろ」

「……っ!」


 俺は咄嗟にすぐ否定できなかった。それは俺が弱い男だからだ。

 俺はもう大人だといってもまだ大学生で、お金もなければ、血の繋がらない子どもを育てる覚悟もない。

 俺は……姉さんのようには強くない。大学を中退してまで俺たちを育て、結婚してからも義理の娘を育てられるような姉さんとは。

 だけど。


「そんなことできるかよ……! 杏をこれ以上、傷付けられるか!」


 俺が今、杏を手放してしまったら、杏は一人っぼちになる。

 姉さんが死に、父親も迎えにこない。俺まで突き放したら、どれだけ深く傷付くことか。


「杏は俺が面倒見る! 木蓮さんが仮に戻ってこなくても、俺が!」


 いつか、姉さんが俺たちのことを守ってくれたように。

 感情的に吐露する俺に、俊樹はそっと目を伏せながら返した。


「……やめておけ。絶対に。お前の手には余る」

「大丈夫だよ! そ、そりゃあ、杏はちょっとわがままだけど。でも、俺だって……」

「そういうことじゃない。あの子は……」


 俊樹が何か言いかけた時だ。


「ふぇえええええん!」


 二階から響く、杏の泣き声。

 俺ははっとして慌ててソファーを立った。杏の下へ急ぎ、階段を駆け上がる。

 もし、杏にまで何かあったら……!


「杏! どうした!」


 襖を勢いよく開け、俺は寝室に飛び込んだ。すると、そこには布団の中で大泣きしている杏が……、ん?

 薄暗いせいでよく見えないけど、でも杏の頭に三角形みたいな何かが生えている。お尻からもひょろりと細長い何かが生えていて、俺はつい目をごしごしと擦った。

 もう一度、じっくりと杏の姿を見ても……目の前の景色は変わらない。


「ハルおにいたん……!」


 杏が布団から飛び起きて、俺の下までやってくると、廊下の電気に照らされて、杏の姿が露わになった。

 ピンと尖った狐耳と、ふさふさの尻尾。どちらも黄土色だ。何よりも、杏の目の色も闇の中で輝く黄金色に変わっていた。


「え--えぇええええ!?」


 なんだ、どういうことだ!? 杏がケモ耳女児になってる!? 嘘だろ!?

 驚いた俺は少し後ずさってしまい、後ろにどてっと尻餅をついた。


「晴将ー?」


 階下から、俊樹の怪訝そうな声が聞こえる。

 ゆっくりと階段を上がってきた俊樹を、びっくりしたままその場に固まっている俺と、泣きじゃくるケモ耳女児の杏がそれぞれ出迎える形になった。

 ちなみに杏は、俺の正面からくっついたまま。


「と、俊樹……。俺、夢でも見てるのかな?」


 俺は杏のことを抱きしめ返しつつ、俊樹のことをぎこちなく見やる。

 俊樹は……なぜだろう。さほど驚いた様子がなく、額に手を当てていた。


「……ちっ。バレたか」

「な、なんの話だよ?」


 バレたかって。まるで俊樹は知っていたかのようだ。何もかも。

 そういえば、と思う。さっき、杏のことについて何か言いかけていた。それは、杏が何者かを俺に伝えようとしていたのかもしれない。

 俊樹は、大きく息をついた。「落ち着いて聞けよ、晴将」と前置いて、とんでもない真実を教えてくれた。


「その子、あやかしなんだよ。狐の」

「は!? あやかし!?」


 あやかしというと、つまり妖怪の類いのことか。

 本でしか見聞きしたことがないため、これはやっぱり夢なのかもしれないと思った。そうだ。きっと、夢だ。

 杏を寝かしつけた時、俺も一緒に寝てしまったんだな。はは。


「いてっ」


 試しに頬をつねってみたところ、でもちゃんと痛い。あれ?


「夢じゃないのか……?」


 俺が茫然と呟くと、傍までやってきた俊樹が俺の額を軽く小突いた。


「夢じゃねーよ。現実だ。しっかりしろよ」

「で、でも……杏があやかしなんて、そんなわけ」

「この狐耳と尻尾を見て、人間だと思うのか?」


 俺は、俺の体に乗っかるようにして抱きついている杏のことを、戸惑いの目で見下ろす。

 確かに偽物とは思えない。そもそも、俺は寝る前に、杏にこんなおもちゃを身に着けさせていないし……。


「ハルおにいたん……っ」

「!」


 杏は涙をはらはらとこぼしながら、俺のことを信頼している目で見上げていた。そのことに気付いて、俺ははっとする。

 俺のことを信じて疑わない目。拒絶されるなんて思いもしていない、きっと。


「……っ、関係ない!」


 がばっ!

 俺は杏の小さな体を力強く抱きしめた。ふさふさの尻尾の毛が手に当たって、ちょっとちくちくする。でも人肌に近いほど温かくて、それが本物なものだと理解した。

 本当に杏は、狐のあやかしなのかもしれない。

 でも。


「杏はもう、俺の子どもだ! 木蓮さんが戻ってくるまで、俺が育てる!」


 たとえ、戻ってこない可能性があったとしても。

 叫んで一喝すると、俊樹は呆れたような顔をした。


「本気で言ってるのかよ……?」

「当たり前だ」

「育てられるのか、お前に。責任を持って」

「できる!」


 やってやる。姉さんが遺してくれた大切な存在を、俺が守り抜いてみせる。

 杏は何かを察したように、無言で俺にしがみついてきた。俺は杏に優しく、そして力強く笑いかけた。


「杏。俺と一緒に暮らしてくれるか?」

「うんっ」


 俺たちは抱きしめ合う。強く、強く。

 俊樹は……諦めたようにそっと息を吐いた。やれやれと言いたげだった。


「……大学はどうするんだよ」

「大学なんてやめて、すぐ働く。姉さんだって、俺たちにそうしてくれただろ」

「アホか」


 俊樹はなぜか一刀両断する。

 俺はついむっとしたけど、


「生活費なら俺が稼ぐ。お前は大学に通いながら、この子の面倒を見ろ」


 続く俊樹の言葉に、目を点にするしかなかった。


「え……協力してくれるのか?」

「お人好しの弟を持った兄の宿命だろ」


 はぁーっともう一度、大きくため息をつく俊樹のことを、俺は涙で潤んだ目で見た。

 俊樹は昔からそうだった。小学生の頃、俺が道路にいる捨て猫を見かねて拾った時、俊樹も一緒になって両親を説得してくれた。俊樹自身は猫が苦手なのに。


「ありがとう、俊樹……!」


 俺が涙声でお礼を伝えると、俊樹はぷいっと顔を背ける。


「どうでもいい。それよりも、明日からやるべきことがたくさんあるだろ。もう寝ようぜ」

「うん。そうだな」


 杏も一人では心細いだろう。

 俺たちはそのままの服装で、それぞれ布団を敷いて寝転がった。真ん中を杏にして、三人川の字で眠った。



 こうして、双子の俺たちがもふもふ狐の子どもの杏を育てることになった。

 これはその育児記録だ。ほんの瞬きのような期間の。


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