第二十四話 学芸会当日5
杏とカズ君のことは勝手に二人で園を抜け出し、玄水さんが河川敷の辺りで見つけていたということで、園長や先生方、そして警察の方々を俺たちは納得させた。
杏は玄水さんと自宅に戻っており、カズ君は……その、歩き疲れて眠っていたので連れてきたということにして。
カズ君のお母さんからは泣きながら感謝された。同時にお父さんからは何度も何度も謝罪された。きっと、うちの子が杏ちゃんを連れ回していたんだろうと。杏と離れるのが嫌で、引っ越しをずっと嫌がっていたらしい、カズ君。
園長や先生方、そして警察の方々からも二人を見つけたことを深く深く感謝され、今回の騒動は無事に終わった。
「……」
俺たちは無言で枯れ木の並木道を歩いて帰った。俊樹はバイクを押して歩きながら。
空は夕焼け空になっている。それもそのはずだ。学芸会は終わっており、事情説明でもう五時過ぎ。
杏たちは……あの家に戻ってるのかな?
俺はしゅんとするほかなかった。木蓮さんと再会した時の杏の笑顔が忘れられない。あれだけ愛情を注いできても、やっぱり木蓮さんには敵わないんだ。
そう気付いたから。
「……なぁ。俊樹」
「ん?」
「杏、帰っちゃうんだよな。あやかし界に」
「だろうな。分かってたことだろ?」
「うん……」
俺は涙が出そうになるのを必死に堪える。震える声で続けた。
「杏はやっぱり……木蓮さんと一緒の方が幸せ、なんだよな?」
「……」
俊樹は押し黙る。是とも否とも言わない。
それはきっと、俺への優しさなのかもしれなかった。俊樹は俺が杏のことを精一杯愛してきたことを知っているから。
だけども、やがて小さく呟き返す。
「実のパパが迎えに来たのなら、それにこしたことはないと思う。元々、姉貴とも血は繋がっていない子どもだろ。杏は」
俺は弾かれたように顔を上げた。
「そんな言い方ないだろ……!」
「事実を言っただけだろ」
「だとしても、血の繋がりなんて関係ない! 杏は姉さんの子どもだった! それに」
俊樹が俺のことを無言でじっと見つめる。
俺はたじろぐ。「そ、それに……」と言葉尻がすぼんでいった。
それに俺たちの子どもでもあるだろ。とは、何故か強くは主張できなかった。だって、木蓮さんと姉さんの子どもなんだから、杏は。
「……」
俺はしょんぼりと肩を落とす。俊樹が味方になってくれていないように感じて、なんだか悲しかった。
俊樹は……ずっと、そういう冷めた目で杏と接していたんだな。裏切られた気分だ。
俺たちはそのまま無言になって、黙々と家路を歩いた。
「晴将様、俊樹様」
自宅に帰ると、やっぱり杏たちは戻ってきていた。
玄関先で出迎えてくれたのは、神妙な顔をした玄水さんだ。
「このたびは、大変申し訳ございませんでした。杏様が保育園を出て行ったままにしていた件、そして……危険な目に遭わせたことをどうかお許し下さい」
深々と頭を下げる玄水さん。玄水さんのことを責める気にはなれなかった。
「……どうして、すぐ保育園に連れ戻されなかったんですか?」
俺は努めて笑顔で優しく訊ね返すと、玄水さんは困ったように眉をハの字にする。
「お二人を引き離すのが心苦しくて……もう少しだけ、と見守っておりましたら、あのような事態になりました」
「じゃあ、やっぱり駆け落ちだったんですか。杏とカズ君は」
「はい。そのようです」
「杏と木蓮は?」
俊樹がずいっと前に出て、確認する。
俊樹が無愛想なのはいつものこと。玄水さんは別段気にした様子もなく、「楓様の仏壇があるお部屋におります」と教えてくれた。
俊樹は無言でずんずんと大股で歩き、奥の仏間に向かっていく。背中から発する怒気が凄まじいことに気付いて、俺は慌てて追いかけた。
「おい。木蓮!」
襖を強く開け、仏壇の前に正座している木蓮さんに話しかける俊樹。
木蓮さんの隣には杏もちょこんと座っていて、「トシおにいたん?」と不思議そうな顔をしている。また、俺の姿にも気付くと、「ハルおにいたん!」と嬉しそうな笑顔でたたたっと駆け寄ってきた。
俺は泣きたくなった。杏のことを抱きとめ、声をかける。
「杏。おかえり。大丈夫だったか?」
「ただいま。うん。だって、ハルおにいたんがまもってくれたもん」
杏が俺のことを見上げ、にこっと花が綻ぶような笑みを浮かべる。
「ハルおにいたんは、いつもあんずをえちゅこーとしてくれるもんね。ハルおにいたんが一番のおうじちゃまだよ」
「!」
エスコートの意味を間違っているけども。でも、杏の一番の王子様。俺が。
俺は虚を突かれた。そうか。本物パパではないけど、王子様なんだな。
「ハルおにいたんもトシおにいたんも、だいしゅき」
「杏……!」
杏の可愛い笑顔と愛らしい言葉だけで、俺はこれまでの頑張りが報われる気がする。木蓮さんに張り合っていたことがバカバカしく感じるくらい。
俊樹も杏の発言は聞こえたのか、「杏……」と少し呆けた顔をしてた。同時に己を恥じ入るように俯いていた。
俺は杏のことをぎゅーっと抱きしめる。
「ありがとう、杏。俺たちも杏のことが大好きだよ。な? 俊樹」
俺は涙目で俊樹に賛同を求める。素直じゃない俊樹にはそうしてあげないと、思いを伝えてくれないと思ったから。
俊樹もまた感極まった表情で、「ああ」と頷いてくれた。
……ああ、やっぱり。あの時、俺が早合点したんだと察した。俊樹だって、杏のことを実の娘のように可愛がってくれていたんだ。
「えへへ」
杏が幸せそうに笑う、その場で。
木蓮さんが座布団から立ち上がった。俺たちに向かって深々と頭を下げる。
俺たちは目を丸くした。
「俊樹君、晴将君。その節は諸々申し訳なかった」
まず、木蓮さんは……表情の変わらない顔でそう口を開いた。
「君たちのお姉さん……楓のことは、心から痛ましく思う。私たち一家の問題に巻き込んでしまい、本当に申し訳なかった」
「……っ」
俊樹がぎりっと歯嚙みする。
今にも噴火してしまいそうな怒気のマグマを俺は察し、俊樹の傍に近付く。
「と、俊樹。木蓮さんは謝ってるから……」
「黙れ。晴将」
俊樹は真っ赤な目で木蓮さんのことを睨みつけ、ずいっと前に進み出る。瞬間。
バァァァンッ!
「!?」
俊樹の拳が木蓮さんの頬を張り飛ばしてしまった。木蓮さんはよろめき、その場にがたんっと尻餅をつく。
「陛下!」
奥から玄水さんの焦った声が響く。
俺もまた、肝を冷やした。さすがに相手を殴るのは乱暴がすぎる。まして、木蓮さんはあやかし界の妖王。
だけど、あまりにもびっくりとしすぎて、何も言えずにいると。
「……なんで、避けなかった」
俊樹が苛立ったように口を開いた。
俺は「?」となるしかない。え、木蓮さんはかわすことができたのか? だったら、なんで避けなかったのか。
木蓮さんは顔を上げ、俊樹に殴られたところを押さえながら、淡々と応えた。
「そうしないと、君の気が済まないだろう?」
「はぁ!? ふざけんな!」
「ふざけてなどいない。私は君に殴り飛ばされるべきだと思った。だから、甘んじて殴られた。それだけだ」
事務的な返答に、俺まで少し頭にきてしまった。
なんだそれ! まるで心のこもっていない口調が腹立たしい。だいたい、木蓮さん自身の意思はどこにあるんだ。
だけど、はたと気付く。俺の腕の中で、杏が震えていることに。
とんでもない現場を見せてしまった……!
「杏。ごめん。ちょっと、玄水さんとあっちにいっててくれ」
俺は慌てて後ろにいる玄水さんに杏のことを預ける。玄水さんも杏の精神面に悪影響だと思ったのか、快く引き受けてくれた。
杏はこちらのことを少し気になっているそぶりを見せながらも、俊樹が激高している姿が怖いのか、おとなしく玄水さんに連れられてリビングに歩いていく。
俺は再び視線を俊樹に戻した。嫌な汗が背中を流れる。
俊樹……まだ気が済んでいないような気がして。
そしてそれは当たりのようだった。
「これだけで俺の気が済むわけねぇだろ……! ふざけやがって!」
俊樹は怒号し、もう一度、木蓮さんめがけて拳を振り上げる。
「俊樹!」
俺は慌てて止めに入ろうとしたけど、運動音痴の俺だ。畳と畳の間の隙間にあろうことか躓いてしまい、その場にすっ転んだ。
い、痛い。でも、木蓮さんはもっと痛かったはずだ。俊樹に殴られた時。
体も、精神面でも。きっと。
「やめろ、俊樹! 木蓮さんだって……」
「こんな奴に姉貴を嫁入りさせたのがそもそもの間違いだったんだ! そうじゃなけりゃ、姉貴は今も生きてた! 姉貴の奴、どんだけ男を見る目がない--」
ばしんっ!
その時、平手打ちする音が室内に強く強く響く。
俺はその場に座り込んだまま、言葉を失った。木蓮さんが俊樹の頬を殴った?
俊樹は木蓮さんに平手打ちされたところを手で押さえながら、茫然と目の前に立つ木蓮さんを見上げていた。
「楓のことを悪く言うことは許さない」
毅然と、木蓮さんは言う。
俺は意外に思った。口数が少なくて優男に見えていた人だったから。
「私のことはどれだけ責めても構わない。だが、お姉さんのことまで悪く言うのはやめなさい。俊樹君」
「っ!」
俊樹は、キッと木蓮さんのことを睨みつける。
「姉貴のことをダシに使うんじゃねぇよ!」
「楓の男を見る目が悪かったのではない。楓は私を愛し、信じ、頼ってくれていた。……その信頼に応えられなかった私の落ち度だ。本当にすまなかった」
「……」
重ね重ね謝罪を受け、俊樹はバツが悪そうに黙り込む。
事の成り行きを見ていた俺は、立ち上がった。震える口を開く。ともすれば、目から涙がこぼれ落ちそうな思いで。
「……なんで」
俊樹も、木蓮さんも、俺のことを振り向く。
「なんで……っ、妖王にもなれるような方が姉さんを守ってくれなかったんですか……!」
ずっと、ずっと、我慢していた本心が堰を切ったように溢れ出る。
あの異形たちを一掃していたことからして、木蓮さんは相当すごいあやかしのはずだ。だったら、どうして姉さんのことを守れなかったんだよ。
「あなただって、姉さんのことを愛していたんでしょう!? だったら、なんで、なんで……っ、ううっ」
「……晴将」
俊樹が俺の傍までやってくる。俺の肩を無言でそっと抱き寄せた。
俺は俊樹の肩に顔をうずめ、一人すすり泣く。
木蓮さんはそっと目を伏せ、色褪せた畳のことをじっと見つめていた。




