第十八話 初めての衣装作り
「よし。やるぞ」
二階の自室にて。正しくは姉さんの自室だった部屋になる。
俺は裁縫箱を押し入れから引っ張り出した。おそらく姉さんが使っていたものだ。
手元には、杏が日頃から着ているワンピースもある。この可愛らしいワンピースを参考にして衣装作りをするのだ。
ちなみに今日手芸店で購入した布生地は、赤色。色白の杏にきっとよく似合う。
「久しぶりだな……針の穴、ちっさ」
手縫い針の穴に赤い糸を通そうとしても、なかなか通らない。くそっ、イライラする。
あれ? そういえば。
針に糸を通すやつってなかったっけ? 家庭科の授業で使った気がする。あれを使ったらすごく楽に糸を通せるんだよなー。
俺は一旦手縫い針を、青いふかふかのクッションの形をした針山に刺して、裁縫箱を漁った。すると、あっ。あった。糸通し。
糸通しを手縫い針の穴に通し、さらにそこに赤い糸をするっと入れて、一気に糸通しを引き抜く。糸が通った。よし!
「えっと、次は……玉留めだな」
赤い糸の片方だけにどうにか玉結びを作ろうとする。が、すぐにほどけてしまう。
ううっ、なんでこんな簡単なこともできないんだ、俺。
俺はすでに投げ出したくなった。ああもう、衣装なんて保育園で用意してくれたらいいのに! どうして保護者が用意しなきゃならないんだ。しかもあと二週間しかない。
せっかくの杏の晴れ舞台、下手な衣装で台無しにしたくない。杏だって嫌がるはずだ。
あらゆることに腹立たしいものの、杏を輝かせることができるような、そんなとびっきりの素敵衣装を作らないと……!
「よし」
どうにか玉結びができたので、俺は早速、裁断してあった布生地に赤い糸を通す。うーん、どっちもそっくりな色だから見にくいな。
ええと、最初は返し縫いをするんだっけ? 記憶が朧気だ。
ちくっ。ちくっ。ちくっ。
ひたすら、なみ縫いをして布生地を縫い合わせていく。なんだか、すごく地道な作業だ。裁縫好きな人はすごい。
「いてっ」
時たま、指に針を刺してしまい、痛みが走る。幸い出血はしなかったけども。
ちょ、ちょっと、怖いな。でも、縫い進めないと完成させられない。
頑張ろう。
「晴将」
その時だ。部屋の襖が外からスッと開いて、俊樹が顔を出した。
「杏の衣装作り、はかどって……」
俊樹はそこで言葉を途切れさせ、怪訝な顔をする。
「お前……まさか、手縫いで作るのか?」
「え?」
俺も変な顔をした。手縫いで作るのかって。それ以外に何かあるのか?
「ミシンを使えば早いだろ」
「あ」
俺は手縫いする手を止める。ミシン。--ああっ!
俊樹がもはや苦笑いだ。
「忘れてたのかよ。どんだけ、裁縫やらないんだ」
「う、うっさい」
俺は慌てて手縫い針を針山に突き刺した。再び後ろの押し入れを覗いて、奥からミシンを引っ張り出す。
おお、これを使ったら楽に、かつ早く仕上げられるはずだ!
壁に立てかけてある折りたたみテーブルを出して、その上にミシンを置く。
俊樹も部屋に入ってきて、俺の斜め向かいに胡座を掻いて座った。
俺はふと気付く。手縫いの糸を生地から外しつつ。
「あれ? そういえば、杏は?」
「さっき、寝かしつけたとこ」
ということは、玄水さんも杏の傍で寝てくれているんだな。なら、安心だ。
「ありがとう。寝かしつけしてくれて」
俺が笑顔でお礼を伝えると、俊樹は「別に」とぶっきらぼうに言う。いつものことだ。
俊樹は興味津々そうに俺の手元にある布生地を覗き込む。
「赤い生地にしたんだな」
「うん。杏に似合いそうだと思って」
「フリルとかは?」
「買ってきたよ。襟元とか袖口にあしらおうと思う」
杏のことを可愛いお姫様にするんだから。フリルは必須だと思って。
俺は久しぶりに使うミシンを、学生時代の記憶を頼りにどうにか動かす。
ガガガガガッ!
大きな音が静まり返った家内に響き、俺はびっくりして手を止めた。杏が起きないか心配だった。起きている時にやったらよかったな。
「大丈夫だろ。寝室からは離れてるし」
「そう、か?」
俺は少し迷ったものの、早く衣装を仕上げたいばかりに急いで縫った。杏の喜ぶ顔を早く見たかったんだ。
今日中に完成させて、明日の朝、杏のことをびっくりさせよう。
ガガガガガッ!
ガガガガガッ!
ひたすら、ミシンで布生地をくっつけていく。ミシンのスピード調節が難しい。古いミシンだから。
でも、自分が思うよりもずっと上手く縫い合わせることができて、俺は自画自賛する心がむくむくと沸き上がってきた。
頑張ったぞ、俺! よっしゃ!
「できたっ」
赤い生地に白いフリルがふんだんにあしらわれたワンピース風衣装。
ひらりと宙に掲げて見せると、俊樹は何かに気付いた顔をした。
「晴将。おい、お前……」
「どうだ、上手くできただろ?」
俺は満面の笑みを浮かべて自慢しようとしたけど、俊樹はちょっと言いにくそうに指摘してきた。とんでもない事実を。
「それ、あとから裏返すつもりで作らなかったのか?」
「え?」
「フリル。裏側にするつもりかよ」
「……?」
俺は意味が分からず、首を傾げるしかない。
俊樹がそっと息をついて、全体的な服の縫い目を指差した。
「ひっくり返さないと、貧相だろ。生地の端もボロボロだし」
「ああっ!」
言われている意味がやっと分かった。しまった、縫い終えた後に裏返す想定をしていなかった。バカだ、俺。
「ど、どうしよう! 俊樹」
「フリルを一旦外して、服をひっくり返してから付け直せばいい。……はぁ。やれやれ。しっかりしてくれよ、杏パパ」
「う……」
俺はぐうの音も出なかった。俊樹の助言に素直に従い、フリルを外そうとする。が、いかんせん、がっちりとミシンで縫い合わせたせいで、なかなか難しい。
うーっ、なんだよ。なんでこんなに上手くいかないんだ。
俺は心が折れてしまい、涙目になった。
「……ダメだな。俺」
俯いて、ぽつりとこぼす。
じわっと目頭が熱くなった。自分が情けない。杏のために頑張りたいのに、こんなに家事スキルが壊滅的なことが。
姉さんだったら、きっともっと上手くできたはずなのに。
「なんでこんなにダメダメなパパなんだろう……。杏を責任持って面倒見るって言っておきながらこのザマだ」
「……晴将」
俊樹が何か言いかけようとした時だった。
襖が勢いよく開いた。
「あっ。ハルおにいたん、おいしょう作ってくれてるのー?」
ひょっこりと顔を出したのは、杏だ。ミシンの音で起きてしまったのかもしれない、またすっかり覚醒してしまっている。
「杏……」
俺は慌てて顔を背け、涙を手の甲で拭った。
その間に杏が俺の失敗作をめざとく見つけ、ひらりと宙高く持ち上げる。
「かわいーっ! りんごみたいな色のおいしょうだ!」
杏は弾けるような笑顔を浮かべている。
そのことに気付いた俺は咄嗟に言葉を失う。
「ハルおにいたん、ちゅごい! ……あっ、でもお外がキジャキジャだ……。もうハルおにいたんったら、あとでちゃんとなおちてね」
「あ、ああ……うん」
「ハルおにいたん、だーいすき!」
「!」
衣装を放り投げ、俺の胸元に飛び込んでくる杏。無邪気な笑顔を振りまいて、俺の挫けそうになっていた心をいとも容易く復活させてしまう。
すごいのは杏の方だ。杏がいるから、俺はまだ頑張れる。
「杏……ありがとうな」
「?」
杏の頭を撫でると、杏は不思議そうな顔をしていたけども、俺の膝の上に乗っかってご満悦そうだ。
遅れて、玄水さんも部屋にやってきた。こちらはなんだか眠そうだ。「ふああっ」とあくびをしている。
「杏様。そろそろ寝ませんと」
「えーっ、まだやだ」
「晴将様がそちらの衣装を修正できませんよ?」
「……むーっ」
玄水さんの言う通りだと気付いたのか、杏は俺の膝の上から軽やかに下りた。
「ハルおにいたん、トシおにいたん。おやすみなたい」
杏はててててっと廊下に向かって走って行く。
俺はその小さな背中を微笑ましく思いながら見送ってから、服の袖をたくし上げる。
「さて、と。やるぞ」
やる気がみなぎってくる。再び着手する俺のことを見ている俊樹が、優しげに笑っていることにふと気付く。
「なんだよ。俊樹」
「いや?」
俊樹はさっと席を立った。
「頑張れ。杏パパ」
ぽんっ。
俺の頭に手を軽く置いて、颯爽と部屋を後にする俊樹。俺は口端を持ち上げ、もう一度気合いを入れようと、「よし、やるぞ」と呟いた。




