第十六話 学芸会1
「え!? 月末に学芸会!?」
俺は『もぎもぎ保育園』からの回覧便を手に、目を丸くした。
ある朝のこと。
杏のことを振り向くと、杏はリビングのドレッサーの前で、艶やかな黒髪を自分でツインテールにしている。
以前、俺がやってあげようとしたら大失敗してしまい、以来杏が自分で四苦八苦しながらも結ぶことにしたのだ。
今日はピンクのドット柄のシュシュも上手くつけてる。可愛い。
「杏。学芸会があるのか、今月」
「うん。今、みんなとれんちゅーしてるの」
「へぇ!」
学芸会。杏の晴れ舞台が見られる。楽しみだ。
でも、保育園の学芸会ってどんな劇をするんだろう。俺たちの時は……どうだったっけ?
記憶を掘り出そうとしても出てこない。あっさりと諦め、俺はソファーから立ち上がって杏の傍に歩み寄った。
「なんの劇をやるんだ? 学芸会」
「しらゆきひめ」
「杏はなんの役なんだ?」
「しらゆきひめ」
「え!? 本当に!?」
杏が主役をするなんて! おおっ、すごいぞ!
大抜擢だ。杏……保育園の舞台でも、可愛いお姫様になるんだな。
思わず笑みをこぼすと、後ろで玄水さんも「よかったですねぇ」と微笑ましそうな顔で俺のことを見つめている。
俺も「ありがとうございます」と微笑み返してから、杏に顔を向き直した。
「すごいじゃないか、主役なんて。一人だけのお姫様だろ?」
「え?」
杏は髪をいじる手を止め、変な顔をして俺を見上げた。
「七人いるよ、おちめさまは」
「え? な、七人も?」
七人の白雪姫? なんだそれ。初めて聞いた。
俺が困惑しているその時、仕事着に着替えた俊樹が二階からやってきた。
「なんの話だ?」
気怠げそうながら聞いてくる俊樹に、俺は「杏の学芸会の話」とひとまず笑顔で返す。
「白雪姫役なんだって」
「へぇー、すごいじゃん」
「でも、変なんだ。七人も白雪姫がいるってさ」
「最近は別に珍しくないらしいけど。主に保護者への配慮だろ」
「え!」
め、珍しくないのか。全然知らなかった。
でも、なるほど。そりゃあ、我が子が主役級の役の方が、保護者だって嬉しいに決まっている。子どもたちだってそうだろう。多分。
「で、いつ?」
俊樹に促されて、俺は「?」となった。
「何が?」
「学芸会だよ。杏の」
「ああ、月末だって。日曜日」
俊樹は「ふぅん」と呟く。テーブルの上に置き去りにした、回覧便を見ながら。
鳶職をしている俊樹は、基本的に日曜日と祝日が休日だ。大学生である俺は言わずもがな、日曜日は休み。
「二人で……あ、玄水さんも一緒に、三人で観に行けるな。杏の晴れ舞台」
俺がにこにこと言うと、俊樹もふっと一笑した。
「そうだな。楽しみだ」
「うん」
「だからね、ハルおにいたん」
やっと身支度を終えた杏が、俺の服の袖をぐいぐいと引っ張る。
俺は笑顔で杏に視線を戻した。
「なんだ、杏」
「しらゆきひめのおいしょうを作ってほちいの」
「え」
俺はその場に固まってしまった。だってまさか、白雪姫の衣装までも保護者に作らせるとは思っていなかったから。
背中に嫌な汗がたらっと流れる。
俺はこれまで裁縫なんて学生時代の家庭科でしかやったことがない。ボタンの縫い付けすら危ういレベル。
「ほ、保護者が作るのか、衣装って」
「うん。みんなそうだって」
「そう、か。--分かった!」
俺は無理矢理の笑顔で頷いた。
裁縫。やってやろうじゃないか。杏のために最高に可愛い衣装を仕上げてみせる!
「楽しみにしてろ、杏。ハルおにいちゃん、頑張って作るからな」
「うん!」
杏もぱぁっと笑顔を弾けさせ、「ハルおにいたん、だいちゅきー」と俺にぴたっと抱きついてきた。
はは。可愛いな、杏は。
玄水さんは俺が裁縫もできると思い込んだのか、「頑張って下さいね」と邪気なくにこにこして応援してくる。
ただ一人、俺の壊滅的な裁縫スキルを知る俊樹だけが、大丈夫かと疑いの目を向けているのだった。




