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第十五話 一日が終わる


 自宅に帰った後は、俊樹が昼ご飯をまた作ってくれた。

 今日はカルボナーラだった。これまた本格的なカルボナーラで、杏は「おいちい」と絶賛しながら口周りに白いソースをべっとりとつけて、俺たちの笑いを誘った。

 玄水さんも「絶品ですね」と目を丸くしていた。玄水さんはイタリアンに目がないらしくて。あやかし界にも外国文化の波がきているそうな。

 不思議だ。


「素敵な似顔絵ですね、こちら」


 昼食の後。

 玄水さんが後ろで手を組みながら、棚の上に飾ってある杏が描いた俺の似顔絵を見つめ、優しげに目を細めている。


「杏様が描かれたのでしょうか?」

「はい。つい先日」

「見ていて心が和みます。本当に大切にされていらっしゃるんですね。杏様のことを」

「もちろん」


 俺が力強く返答すると、玄水さんはどことなく安堵したように笑った。


「よかった」

「え?」

「杏様を心から愛して下さる方で。賀茂様からご連絡を受けた時、杏様がどうなったのか我々一同心配していたのです」

「そうなんですね」


 考えてみると、木蓮さんたちからは俺たちの様子が分からない。自分の娘がぞんざいに扱われていないか、気がかかりだったのだろうと思う。

 俺は玄水さんの隣に立ち、にこりと笑い返した。


「杏のことは俺たちが精一杯可愛がって育てています。木蓮さんが迎えに来るまで、責任を持って面倒を見ますから」

「ありがとうございます。木蓮陛下に代わってお礼を言わせて下さい」


 玄水さんは深々と頭を下げてきた。丁寧な人だな。お礼なんていいのに。

 俺たちが好きで育てているんだから。

 その時、杏の笑い声が室内に反響した。俺と玄水さんはふと杏のことを振り向く。視線の先には、ソファーに座った杏がタブレットを眺めている。


「おいちそー。トシおにいたん、こんどつくって」

「わがまま姫の次は、食いしん坊姫かい」

「むーっ。トシおにいたんのスイーツがおいちいのがいけないの」

「はは。なんだそれ」


 杏の隣にいる俊樹が優しげに笑っている。

 見ていてこっちまでほっこりとした気分になる。玄水さんも口元を緩め、「どれどれ」と二人に近付いていった。


「俊樹様がお作りになられるスイーツがお好きなんですね、杏様は」

「うん。とってもおいちいのー」

「次は何を作っていただくんですか?」

「バナナチョコけーき」

「おお! それはおいしそうですね」


 玄水はわざとらしいほどの優しい笑顔を浮かべ、俊樹を見る。


「俊樹様。ぜひ、私にも少し食べさせてもらえませんか? スイーツにも目がないもので」

「別にいいけど」

「ありがとうございます」


 ぶっきらぼうに返答する俊樹と、「楽しみですね、杏様」と楽しげな様子の玄水さん。きっと、玄水さんの方は俊樹とも距離を縮めたいんじゃないかと感じる。ボディガードとして、俺たち三人と密になりたいんじゃないかな?

 俺も混ざりたくなって、「俊樹、俺も食いたい!」と三人の傍まで近付いていく。

 俊樹はそっと息をついた。でも、口角は僅かに持ち上がっていて。


「はぁ。食いしん坊どもの巣窟か、ここは」


 俺は内心くすりと笑った。素直じゃないな。食べてもらうのが嬉しいくせに。

 俺たちが食いしん坊どもなら、そっちはツンデレだ。





「はぁーっ。疲れた」


 その日の夜。杏を寝かしつけ、ボディガードを玄水さんに任せた後、俺はリビングのソファーに「えいっ」と飛び込んだ。

 テーブルの傍に胡座を掻いている俊樹は、眉をひそめる。ソファーのスプリングが軋む音が案外大きかったからか、「杏が起きるかもしれないだろ」と注意された。


「うう。ごめん……」

「壊れても困るだろ。怪獣」

「怪獣!?」


 失礼な。俺はそこまでガタイはよくないし、太ってもいない。

 俊樹の方が筋肉質だろ。

 とはいえ、俺が悪かったわけで、噛みつくことはしなかった。ソファーに座り直す。


「今日は色々あって疲れたな。……木蓮さんの手紙のこととか」

「あいつの名前を口に出すんじゃねぇよ」


 俊樹は低い声で不機嫌をアピールする。

 俺はちょっと言葉に詰まって、でも玄水さんから聞いた言葉を伝えた。いつまでも木蓮さんに怒っていても仕方ないから。


「木蓮さんは、姉さんのこと愛していたって。玄水さんが言ってた」

「……」


 俊樹が何も言わないので、俺はソファーから立つ。棚の奥上から、一枚の写真を持ってきて俊樹に見せてやった。


「姉さんの写真、ちゃんと見ろよ。木蓮さんとこんなに幸せそうに笑ってるだろ」


 フォトウエディング写真だ。白いウエディングドレス姿で木蓮さんと並び、幸せそうに笑っている。

 俊樹は今まで写真の存在に気付いていなかったのか。食い入るように見つめ、やがてふっと微笑んだ。


「綺麗だな。姉貴」

「うん」

「……俺、さ。少し勘違いしてた。姉貴は苦労ばかりの結婚生活だったんだって。それは……間違いじゃないかもしれねぇけど、でも杏の世話をしていて分かった。苦労は苦労でも、幸せな苦労だけだったんだろうなって」

「俊樹……」


 俊樹が言っていること、俺も分かる。俺も姉さんが苦労ばかりの結婚生活になったことをずっと嘆いていた。

 でも、俺も杏のお世話を通して分かってきた。確かに、これは幸せな苦労だ。いつか杏との別れがやってきても、苦労してよかったと思えるような。

 俊樹は僅かに震える手で写真を俺に突き返す。


「木蓮の奴を許せない気持ちはまだある。でも、あいつが迎えに来るまで絶対に杏のことを守り抜く。杏はもう俺たちの家族だからな」

「ああ、そうだな!」


 俺たちは頷き合う。

 決意を新たにしたところで、俺は全然関係のないことを口にした。


「それにしても、俊樹ってスイーツも得意だったんだな。パティシエになったら?」

「はぁ?」

「だって、もったいないじゃん。両親の遺産ならまだ……」

「アホか」


 俊樹は撥ねつけるようにぴしゃりと言う。


「俺は俺がやりたいことをする。両親の遺産はお前が全部もらっておけ」

「ええ? でも……」

「この家は俺が継いだから。……晴将。お前もいつかは社会人になるんだから、もっとしっかりしろよ。玄水がきた時にあっさり返事した時はひやっとしただろ」

「あ、ごめん……」

「俺だっていつまでも傍にいるわけじゃねぇんだからな」

「!」


 俺ははっとする。じわっと目頭が熱くなった。

 俊樹の言葉の意味を理解して、……ぐっと言葉を飲み込む。


「……そう、だな」


 俺たちもいつか、別々の道を行く。

 そのことを突きつけられて、俺は寂しくてたまらなかった。このままずっと、杏と俊樹との三人、一緒にいられたらいいのにな。


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