大団円・その9
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朔也は藤原の依頼を忘れ酒盛りを始めた日吉達を尻目にコンビニの横に建てられた祠に目を向ける。
「月隠」と書かれた鳥居の向こうの小さな社の中に、黒い漆と赤い塗料の縦縞で塗られた招き猫が祀られている。本物の人間の髑髏を抱え、顔の真ん中でパックリと割れた一ツ目の招き猫を「気味が悪い」と吐き捨てると、ようよう朔也が店外に出たことに気がついた日吉が酔っ払いながら声をかける。
「さっきの見てたぜ~?こんな田舎で電子マネーが使えるわけが無かろうがぁ。」
「おいおい、絡んじゃるな。」
「怯えとるぞ~」
ギャハハと品性の欠片もない笑い声を上げながら日吉は朔也を後ろから抱き込むと、酒に塗れた吐息を吐きつける。先程さんざん気乗りしないと宣っておきながら随分と様になっている姿に藤原は安堵の息を吐く。
「お前、噂の《《他所さん》》か?何処から来たんなら?」
ただでさえ血色の悪い顔色から更に血の気が引いて、関わりたくないと言わんばかりに視線を逸らす朔也に、日吉は苛立ったようにタバコを咥え、その胸ぐらをつかみ上げる。
「無視してんじゃねえよ餓鬼が!」
「ひっ……!」
ドスの利いた日吉の恐喝に朔也の喉から小さな悲鳴が溢れ、スニーカーを履いた両足が地面から離れてぶら下がる。
その姿を確認すると藤原は暖簾をくぐり店主に一瞥した後、店内を後にする。
「そのスマホ、G社の最新機種だろ?金持ってんなあ、お前ん家。貧しい俺等になんか奢ってくれよ、なあ?その電子マネー送金してよ。」
「待っ……苦しい……」
「おやおや、おやおや……」
満を持したように藤原が自ら仕込んだ茶番に割って入ると、日吉は指示していた通り朔也から身を離しこちらに向かって睨みつける。
恐怖と苦痛で歪んだ少年は一度咳き込んだ後、声のする方角へ振り返った。
――――村上八朔と同じ色をした、黒曜石の瞳が真っ直ぐに藤原を射抜く。
あの村上八朔が人の道を踏み外してでも助けたかった弟。
家族も帰る家すら失った、ちっぽけで憐れな少年。
どこにでもいる、平凡そのもの、なんの価値もない子供。
こんなつまらない命を救うために、村上は藤原への復讐を躊躇い、そして自らの自我すら手放した。こいつを守るその為だけに、望めば世界だって手に入った力を手放して、あの男は凡夫である事を選んだ。
こんな奴の為に”《《誰か》》”は……――――そこまで巡らせて藤原は自ら仕組んだ茶番に集中するために意図的に思考を遮断する。
突然現れた滑稽な姿をした男に、恐怖よりも困惑が勝ったようだった。状況を読み込めないまま怪訝な表情を浮かべる少年に、藤原は軽く微笑んで一瞥した後、腰に手を当てて態とらしくため息をつきながら日吉達を見据える。
「大の大人が子供相手に……――――恥じ入るべきですね。」
「何だぁ?てめえ!」
「なに、怪しいものではありませんよ。」
むしろ怪しさしかないだろう。夕方とは言え8月の真夏にきっちり着込むどころかマントと袴姿の男など不審者以外の何者でもない。だが、警戒する少年の意表をつくためには更に滑稽な道化師を演じる他ない。藤原は自身を嘲笑したい欲を押さえて少年の肩に手をかける。
「ただ君等とは違い私は真っ当な大人ですので、かような下衆な行為を見過ごせません。」
藤原は朔也を後ろに下がらせその身を庇うように前へ出る。
「私が相手になりましょう。」
「……――――貴方は……?」
背後から朔也の声が耳に届く。
声変わりを終えたばかりの少々かすれた声色には不安と不審、そして僅かな期待が混じっている。
藤原は汗に塗れた日吉と視線が合うと、良い演技だと褒めんばかりに軽く笑みを浮かべる。
「所で、私は今欲しいものがあるのですが……どうです?ここは穏便に売買で手を打ちませんか?悪い話ではありませんよ、是非とも高値で買い取らせていただきましょう……――――」
完全な道化になりきるために藤原は一度深く息を吐き出して、左手を日吉に掲げ真剣な面持ちで続ける。
「うんこを……――――どなたか《《もよおしては》》頂けませんか?」
「ふ、不審者……ッ」
背後で朔也が軽い悲鳴を上げる。
無理もない。柘榴から賜った小江邸の飼い猫の糞が、コンビニの隣に置いてある藤原のバイクの座席下にある。この茶番を誰よりも馬鹿馬鹿しいと思っているのは他でもない藤原自身だ。師事させろと言う指示がある以上、このイカれた除霊法もいつかは露見する。完全な救世主より、どこか抜けていた方がとっつきやすい。
「どうしても新鮮な穢物が必要なのです。報酬は弾ませて頂きますよ?」
「いくらで買い取る気だぁ?儂のうんこは高えぞ!?」
「馬鹿!相手にすんな!」
酔っ払っている割にはノリノリの若者の喧噪が駐車場いっぱいに響き渡る。後は殴りかかってくる日吉を組み伏せるだけだ。藤原は右足のブーツのつま先を砂利に押し付けるといつでも動けるようにと2,3回軽く捻る。
――――その時だった。
「ああ?邪魔すんな、大体西朔の奴らが……」
プシュッと軽い音を立てて青年の喉元に小さな穴が開き、そして《《何か大きな物体に突き飛ばされた》》ように仰向けに倒れる。
「え?」
「や、やっちん……?」
「康夫……?」
あっけにとられて振り返る日吉の顔から血の気が引いていく。
暗い駐車場の脇でクチャクチャと何かが《《咀嚼》》する音と共に康夫と呼ばれた青年が蠢く。髪が痛むほどブリーチがかけられた明るい金髪の青年が恐る恐る様子を窺うように側に歩み寄る姿に、朔也がスマホのライトを向ける。
「《《野犬》》だッ!」
照らされたライトの下、喉が引き裂かれ赤黒い肉が顕わになった青年の姿が映し出されるとその場にいた全員が悲鳴を上げた。
「何?」
藤原は驚いて一度倒れた青年を見る。
藤原の視界には仰向けに横たわる青年の周りには影も形も《《何1つ映っていなかった》》が、スマホのライトを向ける朔也の目には突然の惨劇がはっきりと映し出されていた。
……――――砂利を蹴りあげ、はっはっという荒い息の中、青年の肉を噛み千切る《《中年の頭をした犬》》の姿が。
「《《野犬》》じゃ!……――――《《御使い》》が出た!」
「車ん中に入れ、早ぅしい!」
日吉達は突然の光景に恐怖で顔が引きつった朔也の襟元を引っ掴んで、灰色のセダンの中に放り込むと、状況が読み込めずあっけに取られたままの藤原と《《見えない犬》》に貪られる青年を置いて車を発進させてしまう。
「お待ちなさい!君たち、そっちは……!」
車が猛スピードで入った道は、神社へと繋がる小江家の私道である。
普段は関係者以外立ち入りと使用が禁止されているだけではなく、先の大雨で土砂崩れや落石が多発しており、下手に踏み込めば命の危険も伴う。
「くそッ……」
厄介な事になったと藤原は大きく舌を打つ。
相変わらず駐車場の脇では青年が見えない何かに貪られている。
まだ息のある青年は胸元に食らいつくそれを引き剥がそうと砂利を蹴りながら力を振り絞っている。
藤原は停めてあった自身のバイクに駆け寄ると座席の下からゴム手袋と小江邸より拝借した猫の糞が入った真空パックを取り出す。ゴム手袋をはめ湧き上がる嫌悪感を抑え込みながら封を開け中身を取り出すと、ヒューヒューと虫の息を漏らす青年に向かって投げつけた。
青年の胸元に糞が当たった瞬間、ジュワッと何かが爛れる音と共に獣の咀嚼音が消える。
刹那、藤原の脳裏を横切ったのは刑務所での蛇との攻防だった。
腕に巻き付いたひやりと冷たい鱗の感触。
目に見えない筈なのに確かに存在する異形の畜生。
駆け寄って青年に手を伸ばすとゴワゴワとした手入れのされていない毛皮の感触がゴム手袋越しに伝わった。藤原は引っ掴んで引き剥がすと中型犬程の重量のあるそれを草叢へ投げ捨てた。
「大丈夫ですか!?」
コンビニの店主と品出しをしていたアルバイト店員がそれぞれデッキブラシと箒を携えて店内から駆け寄ってくる。
藤原の視界には映らないが、《《まだいる》》のだろう、倒れた青年の周りに箒を振り回しながらこちらの身を案じる。
「無事ですか?先生……」
「店長、《《野犬》》が……ッ!」
「お前は救急車と消防、警察を呼べ!本朔にも連絡しろ!!」
「すみません、つかぬことをお聞きしてもよろしいですか?……――――《《犬》》が居るのですか?」
「何言ってんだ……アンタ、視えてないのか?いるじゃないか、ほらそこ!」
店長がゴルフのスウィングよろしく箒を振るうと鈍い音を立てて草叢が押しつぶされたように茎を折り曲げる。
「どんな犬です?」
「雑種だろ!?知らねえよ犬種なんか!」
店主は「捨てていく馬鹿がいるから……」と吐き捨てると喉を割かれ痙攣している青年に自らの首に巻き付けていた手ぬぐいを押し当てる。
「足を持ってくれ、店内へ……早く!」
藤原は促されるまま店長と二人で青年を店内へと運ぶ。コンビニにしては珍しく手動のドアに箒を引っ掛けて塞ぐと棚に置いてある未開封のタオルを取り出すと、血で染まった店長は自身の手ぬぐいと交換した。
「くそ……あんた、やってくれたな……――――」
「おかしい、たかが《《ドッキリ》》ですよ?法に触れていません……」
「《《判定がゆるくなってやがるのさ》》。この時期はいつもそうだ。御使いが飢えている……――――」
「これも、村長の計算なのでしょうね……」
「奥様の……――――」
隠し事ができない村の中において、藤原は協力を仰ぐ相手にはある程度事情を話している。この村の人たちは総じて村長への忠義に厚く、人を疑う事すら罪になると捉えている。長年の信仰により敬虔な人格を有する彼らは藤原にとって扱いやすいほど単純な善人であった。
だんだんか細くなる青年の呼吸に耳を傾ける。
これほどの出血だ、救急車を呼んだ所で市街からは外れているこの村では間に合わず、助からないかも知れない。
まさしく己の失態で死にかけているにも関わらず、藤原は焦る事もましてや自責の念に駆られることもなく、車が去って行った私道の入口を眺める。
――――これはむしろ好機なのではないのか。
藤原の口元に笑みがこぼれる。
吊り橋効果は谷底が深ければ深いほど強く発揮されるものだ。
この村に蔓延る怪異の脅威から直接身を挺して守れば確実に藤原を信頼するだろう。
「こうなったのは私の責任です。彼らを追います。」
「だが……あんた、あんなに御使いが……――――」
店長は息を呑みながらドアの向こうの駐車場を見つめる。
藤原の視界にはがらんと寂れた空間しかない。
「裏から出ます。なに、大丈夫ですよ。私は悪運だけは強いのです。《《死にはしませんよ》》。」
藤原は店内裏の窓から外へ出る。




