大団円・その8
***
「……それで、例の餓鬼に絡めば良いんですか?」
週刊誌とビールを片手に持った日吉勝が小首をかしげる。
村の外れ、国道を跨いだトンネルの近くにある商店はコンビニと呼ぶには寂れており、傾いた西日の光も碌に差し込まず店内全体が薄暗かった。レジの真上の照明は埃と羽虫が纏わりついて半分は寿命を訴えるようにチカチカと点滅している。並ぶ商品のラインナップも少なく品揃えが悪い。賞味期限の長い商品に至っては蓋に埃が積もるほどだが、冷蔵庫に詰められた野菜と加工肉、そしてまるまると肥えた魚達はどれも採れたての新鮮であった。
藤原は村上朔也に接触を試みる為に、かつて妹だった西千鶴の幼馴染の日吉勝の手を借りることにした。
東京の大学に通いながら教団つきはじめにてスタッフをしていた彼は、摘発をきっかけに帰省し以後自宅にて療養という名の自堕落な日々を過ごしていた。話によると脳にいくつも原因不明の……――――”知恵”を行使した事による肉体の損傷なのだが、藤原が知る由もない……――――無数の穴が開き、かかりつけの医師より匙を投げられておりその所為もあって正月にビデオ通話越しに会った時より顔色も悪くやせ細っていた。それでも何処かで餌をつまんだのか、4月に千鶴と会った時よりは友人と出歩ける程度には体力が回復しているようだった。
「……――――はあ、アンタがそんな事依頼してくるなんてなぁ……」
日吉は店内のゴミ箱の隣でビール缶の封を開けると溢れ出た泡をちびちびと口に含む。痩せたことで以前より増した猿顔が怪訝そうに歪む。
「《《俺》》は元々《《こっち》》の人間だが?」
「いやでも、藤原さん……《《お勤め》》を終えて以降ずっと真面目だったじゃないすか……千鶴だってアンタの事、見直して自慢しとったんだぜ?」
「その千鶴を探す為……――――ですよ。小僧一匹、懐柔したほうがやりやすい。」
「理屈はわかるけども……」
いつの時代も信頼を手っ取り早く得る方法は、相手を《《救う事》》だ。
状況が危うければ危ういほど「吊り橋効果」により人は信頼を抱く。それは最も効率が良く、裏社会においても表社会においても藤原が他者を懐柔する時に使う手段であった。
相手はまだ14になったばかりの子供だ。思春期相手に色香で惑わしてもよかったのだが、年齢が年齢だけに下手に騙されるより予後が悪い。この年頃で刻まれた性癖は来世にも持ち込みかねない。
藤原の企みに日吉は乗り気では無いようで、断る理由を探しながら店内の羽虫を視線で追っている。後ろに並んだいかにも日吉の友人らしいガラの悪そうな若者たちも、各々視線を態とらしく反らしもごもごと口籠る。
「でも……――――藤原さん、この《《時期》》ですよ?儂ぁ嫌じゃ、今月、悪事を働くのは……」
山の向こうから野良犬の遠吠えが聞こえる。
一昔前のポップミュージックの間奏の合間に響く鳴き声は飼い犬のものか、最近良く出没する野犬によるものなのか。
この村では、悪事を働くと畜生に喰われて死ぬ。
この近辺で生活をするものは例え若者であっても迷信染みた言い伝えを信じる。10年程前に小江分家の少年と親戚の男が畜生に食い殺されたという獣害事件により、信仰はより強固なものになった。
日吉とその仲間たちは集えば福山で悪質なナンパや恐喝を繰り返す狼藉者だが、この時期だけは周囲に倣い迷惑行為を避けていた。
半グレにも満たないカスどもを見下すように藤原は微笑む。
「なに、軽いドッキリだとでも思えばいいですよ。最後に軽く種明かしをすればいい。」
「でもさ……――――」
「嫌ならば別によろしいのですよ?あの教団からちょろまかした薬を売って小銭を稼いでいた事が、私たち以外の……――――そうですねえ、新しく着任してきた眼帯の刑事さんの耳に入るかもしれませんけど……」
「本当、すみません……ッ!!勘弁して下さいよぉ!」
「赦しましょう……――――全く、こんな《《無責任な言葉》》でどうにかなるのですから、この理は御しやすい。」
日吉一派の薬物の違法売買は”記憶”と”覚え”の双方で教団を調べていた際に偶然手に入れた代物だった。福山の住宅街のすぐ近くの駐車場で売買する様子を収めた写真はいつでも田所の手に渡っても良いように自宅ではない別の場所……――――”弥勒藤太”だった頃に世話になった情報屋に引き渡してある。物騒な会話が聞こえているにも関わらず店主は暖簾の奥から出てこない。藤原は行動を起こすために「村長や警察にも認められた合法の行為である」とあらかじめ伝えてあった。
滝のような汗をかき必死に縋る日吉たちの姿を眺めながら藤原は視線を雑誌が並んだ棚へ向ける。
――――あの村上も、こうして他者を支配下に置いていたのだろうか。
藤原は鏡のように相手を映し出す漆黒の瞳を思い出し内心で反吐を吐き捨てる。
気に食わないのは、藤原とは違い村上には一切の打算や我欲がなかった事だ。あの聖人気取りの愚者は結局最期まで高潔を貫き通した……――――いや、藤原に対する殺意だけが、あの男が唯一抱いた欲だったのかも知れない。藤原を殴りつけるあの男の口元は確かに恍惚に歪んでいた。
藤原は鞄の外ポケットに差し込んだスマホの振動を感知すると取り出し、送られてきたメッセージに目を細める。
「――――丁度良い、あの子が一人で家を出たそうです。」
送り主は村上家が引っ越してきた新居の隣に居を構える主婦からである。
藤原がここに引っ越した際、小江柘榴よりも先に挨拶をした女性は子どもの独立を機に夫と共に移住してきた新参者であった。中々村に馴染めず孤立していた彼女を藤原は甘い顔と声色、そして魔性をもって懐柔し、村上家でなにかあれば直ぐに連絡をよこすように《《お願い》》をしていた。
「こんな時間に出歩くだぁ?なんもねえのによ……」
「あるではありませんか。《《ここ》》ですよ、一応コンビニですよ?気晴らしに飲み物でも買いに出たのでしょう。」
「こんな遠くにかぁ?餓鬼の足じゃ20分はかかるぜ……」
藤原はちらりと視線をレジの方に向けたがそこに店主の姿はなく、店の奥……レジ横の暖簾の向こうから動画の間に挟まる聞き慣れた広告の音だけが流れていた。
「私はその辺で適当に隠れていますので、貴方達はあの子に絡んで下さいね。」
日吉達は誰かが断る口実を見つけ出してくれるのではないかと互いの顔を見つめ合ったが、薬物売買の証拠を握られてはどうする事もできなかった。半グレと呼ぶにはまだ白の側にいる彼らではまとめてかかった所で藤原相手に勝てる筈もない。
やがて日吉は自分自身に言い聞かせるように「わかったよ」と呟くと仲間を引き連れ駐車場に停めてある車の方へ歩いていった。
主婦より連絡を受けて20分程して村上朔也がコンビニに現れた。
日はすっかり傾いており街灯もない駐車場は既に真っ暗であった。一車線の道路は草が歩道を覆い隠すように生えて、蛙と虫の鳴き声が響き渡っている。
昼に小江邸を訪れた時と同じ黒いシャツの下に長袖のインナーを着込み、ジーパンを履いたラフな格好で店内に入ると品揃えの乏しい店を物色しはじめる。
藤原はレジ奥の暖簾の向こうでその様子を覗う。
無造作に跳ねた毛髪が点滅する店内の照明を反射して、彼の兄と同じ艶やかな鴉色に輝く。
こうして直で眺めると同じ色をしているにも関わらず朔也は兄・八朔とはあまり似ていなかった。不気味と呼ぶに相応しい薄ら笑みを浮かべていた兄は目鼻立ちは整っていたもののあっさりとした塩顔なのに対し、長いまつ毛と三白眼気味の大きめのツリ目が特徴の弟は、親しみ深く愛らしい顔立ちをしていた。
小江柘榴が「気落ちどころではない」と称していた通り、その顔色は先程の日吉よろしく青ざめている。薄い色をした唇は少々荒れており端の方が赤く切れていた。爪は噛む癖でもついていたのかどれも短くボロボロで、商品を見つめる瞳は硝子のように曇りのない兄のものとは違い、覇気がなく泥のように濁っていた。
朔也は同年代の少年よりも細い指先で棚からポテトスナックと炭酸ジュースを手に取るとレジに向かう。ジーンズのポケットに仕舞っていたスマホで支払いを済ませようとしたが、この店は電子マネーに対応していなかった。朔也は大きな目をいっぱいに見開いて暫し絶句した後、とぼとぼと重い足取りで商品を棚に戻すと何も買わずに店を後にした。その背中を見届けて藤原は気が付かれないように暖簾から身を乗り出した。




