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八朔日の贄  作者: 絶山蝶子
最終話 「私」 大団円
188/203

大団円・その5

 ***


「ごめんなさいね。ようこそいらっしゃいました、藤原さん……――――いいえ、今は八人塚先生でしたね。」

「藤原で結構ですよ。呼びやすい方でどうぞ。」

「あらまあ、そういう訳には参りませんわ。貴方にはいつも息子が大変《《お世話》》になっておりますが、今回は仕事として来てらっしゃるのですもの。」


 絹糸のような白髪の長身の女……――――小江柘榴おごうざくろは、自身の膝に乗せた猫の背を撫でながら藤原を出迎えた。


 灼熱の太陽が襖の向こうで丁寧に手入れされた日本庭園を焼き尽くさんとばかりに照らしている。ごうごうと鳴り響く天井の空調に蝉の絶叫が重なり不協和音を奏でていたが、柘榴の声色は真っ直ぐ射抜くように藤原の元へと届いた。



「……――――晦は?」


 藤原はキョロキョロとあたりを見渡し「私」の姿を探しながら柘榴に問いかける。


「市内へボランティアに行っていますわ。まだ土砂が完全に片付いていない家屋も多いそうで……――――夕方には戻りますので顔を見せてあげてくださいませ。」

「それは結構なことです。」


 いつもは「私」の自室か事務室、もしくは書斎に通されるのだが滞在理由が警察からの仕事《依頼》ともあって、藤原が村を訪れてから通されたのは自宅の大広間より10畳ほど広い和室だった。

 がらんとした広い畳の上に所狭しと座布団が敷き詰められている。


「誰か来られるのですか?」

「ええ、親戚のみなさんが……来月の1日に。」

「ほう……お盆にしてはまだ早くありませんか?」

「顔合わせですのよ。”《《つみしろ》》”がこの村にいらっしゃいますから。」


 あまりにも堂々と応える柘榴に藤原は少々面食らってしまう。この女の性分上、村で企む一切合切をある程度包み隠さず話すだろうと踏んでは居たが、まさかこんなにも早く答えるとは想像だにせず藤原は思わず息を呑む。

 ごくりと言う唾液を飲み干す音を聞いて、柘榴は慌てて真っ黒な刺繍のレースグローブをはめた両手を左右に振った。


「”つみしろ”と申しましても、昔のように人身御供の儀式に使う……というものではありませんのよ。毎年8月1日に招いた客人……14,5の少年少女を12月31日に贄に見立ててお祭りをする儀式がございますの。大朔祭だいさくさいと申すのですけども……」

「ええ。村人や一族総出で集まって神前に背を向けて謝罪と赦免をする神示でしょう?いやはや、ここ10年で全国津々浦々巡って来ましたが生きた贄を屠る儀式と言うものはほぼなくなっていますしね。」

「ああ、よかった。ご存知なのですね。」


 一体何処までが本心なのやら、と藤原は内心冷や汗をかく。彼は今、「村に蔓延る獣害事件と怪奇現象を人手不足の警察と協力して対応し、その傍ら妹を探している」という名目で訪れている。本来の依頼を悟られてはならないと、演技にも力がこもる。


「はは、ひどいですなあ……それで、その”つみしろ”というのは……例の?」

「ええ、村上朔也くんです。」


 柘榴は自身の結い上げた白い毛髪を撫でるとふうとため息を漏らした。


「新しい里親の”村上さん”と共に村へ引っ越して下さって……――――――」


 白く長い睫毛が物憂げに柘榴の赤い瞳を覆う。

 照明に反射してチラリと光るそれを藤原はなんの感慨も抱かずに眺める。


「どうかされましたか?」

わたくし、少々心配ですのよ……――――ほら、《《お兄様》》が《《あんな事》》になってしまわれたでしょう?」


「《《お兄様》》」と言う単語に藤原の背筋にぞわりとした悪寒にも近い憎悪が這い上がる。当然といってしまえばそれまでだが、あの男もまた再びこの村に来ている。

 藤原は内心を悟られないように平然を装うと、柘榴の顔を見つめ返し無言で続きを促した。


「里親の村上さんと市から訪れるヘルパーさん、あと介護に覚えのある村の者が数人が代わる代わるお世話して、そのおかげでゆっくりですが、意識が戻りつつあるのです。でも、みなさんお兄様につきっきりになってしまって、朔也くんに対するケアが行き届いておりませんの。」

「そうでしたか。」


 どうやら村上の中にいる《《なにか》》はあれから少し成長を遂げているらしかった。はっきりとした「個」が確立するまで成長を遂げた場合、果たして村上はあの体に戻れるのだろうか。


 もし、村上が戻らなければ藤原は今度こそ何もかも失う。

 村上への憎悪が焦りとなって藤原の心臓を強く握りしめた。その痛みに顰ませた眉の下で翡翠の瞳に憂いを乗せて柘榴を見つめる。


「田所警部補から伺っています……――――酷く気落ちしてるとか……」

「酷い、《《なんてものではありませんわ》》……――――限界が近いのです。」

「……――――」

「自傷行為を繰り返し、食も細く時折パニックを起こし過呼吸を起こすそうなの……にも関わらず村上さんに遠慮をして愚痴1つ零さないのです。お兄様の隣でぼーっとしてる事も多いのですって……――――」

「それは心配ですね。」


 心にもないことを口にしながら藤原は写真の中の子供の顔を思い出す。

 無理もないだろう、朔也は両親からは多少蔑ろにされていたが家族仲はそれほど悪くなかったという。その上誰もが慕い崇めていたあの村上からは、やりすぎなほど溺愛されていた。

 事件に巻き込まれ家を失い親元と引き離され、1年にも渡る放浪の果にたどり着いた村で、やっとの思いで再会した兄は廃人……《《否》》、《《別人》》と化していた……――――気をやられぬ方がおかしいと言える。


「彼をこの地へ招いた以上、その身を守る責任がございます……――――そこで、八人塚先生には私からも1つお願い(依頼)があるのです。」

「何でしょう?」


 空調に煽られて揺れる白髪の向こうで、紅玉を溶かしたような赤い瞳が真っ直ぐと藤原を見据える。


「先生にはどうか、彼の《《師》》となってほしいのです。」

「…………―――――」


 全てを見透かした赤色に藤原は内心で舌を打つ。


 ――――この女は《《全てを知っている》》。


 藤原は今回の任務において、先手を打たれる事はある程度想定していた……――――田所からの依頼の内容を《《牽制》》ではなく《《推進》》される事も。


「……――――うーん、私は大朔祭に向けて村民を襲う野生動物を退治しに来たのですよ?私の側に置けば、却って彼を危険に晒してしまうのでは?」

「《《だからこそ》》、ですわ。」


 柘榴の唇が弧を描く。


「このままでは彼は現実に負けて、兄のような廃人に成りかねません。大朔祭の贄の条件は《《無垢なる咎人》》ですが、それよりもまず《《健康な肉体と精神を保持している》》ことが大前提です。彼には今、頼れる大人が……―――側に寄り添い支えて導く者が必要なのです。」

「それは……――――この村の者たちと彼の新たなご両親が担うものです。私のような不出来な他人では烏滸がましいですよ。」

「《《他人》》である事が重要なのですよ。家の愚痴を誰に零すのです?家に居る事がストレスなのに、外は人を喰らう野生動物《禍津物》が跋扈している。つごもり信仰のルールも完全に理解せぬまま、学校が再開する9月まで彼の肉体と精神が持ちますか?」

「難しいでしょうね……」

「貴方以上に適任がいないのです。同じく村の外からやってきて、《《大切な人を失った貴方が》》。」

「ああ……」


 真っ直ぐに向けられる赤い瞳が煩わしくなり、藤原は態とらしく視線を畳に向ける。丁寧に磨き抜かれたい草の上で蚊が一匹息絶えていた。誰かによって潰されたわけでもなく、ただ力尽きた亡骸を見てふと顔も覚えていない失った”誰か”の姿に重ねる。


「今を生きる目的《理由》を与えて欲しいのですよ。」


 柘榴は藤原の返答を待たずに続ける。


「《《明日を生きる為の理由》》が、今の朔也くんには《《存在しません》》。現実を逃避するものすらないのです。貴方の依頼を側で手伝えば自宅に居る時間は減りますし、側で守れば安全でしょう。それに良い気晴らしにもなるでしょうし……」

「気晴らし……――――」

「ああ、勿論私達は全力で貴方の妹さんの捜索のお手伝いを致しますわ!それはそれで保証いたしましょう。」

「…………」

「……――――この村で、あんな悲惨な事件をもう二度と起こしてはならない……学生たちの無念を晴らす為にも…………――――そしてなにより、一刻も早く無事で見つかって欲しいですわ。娘も同然ですもの。」


 藤原は困ったように視線を室内へ泳がせる。


 確かに、側にいれば村の思惑を感知することは容易いだろう。だが同時にこちらの行動はすべて筒抜けになる。ただでさえ、小江の持つ影響力は広く深い。つごもり信仰が蔓延る地域はどの組織もどこかしら小江の息がかかっている。情報を伏せたまま暗躍する事は極めて難しい。


「どうか、あの子の側にいてあげてください。あの子の孤独に寄り添えるのは、この村では《《貴方だけ》》なのです。」




 ――――ねえ、弥勒さん。




 女の唇が、もはや誰も知る由もない藤原のかつての名前を紡ぐ。

 ああ、やはり柘榴は《《全てを知っている》》。


 《《知った上で》》、《《藤原を試している》》。


 藤原の背筋に悪寒と共に歓喜が這い上がる。

 取り残されたのは決して自分一人ではなかったと、涙すら浮かびそうな安堵が全身を包み込む。


 泣いて縋れないのは、《《業》》を抱える者同士だからこそ、決して相容れないからだ。


 人を魅了し、蜜を与え、懐柔し操る、支配者。


 利用しようと共闘するか利害の一致が叶わず敵対する以外に、互いの道はない。


「……――――わかりました。そこまで仰るのでしたら、お引き受けいたしましょう。」


 女の手の平の上で泳がされるのは少々癪に障るが、足掻いた所で《《どうにもならない》》。


 柘榴はまるで花を見つめる少女のように顔を綻ばせる。


 ――――ああ、この女は、心から安堵している。



 朔也の身を案じるのも、千鶴の身を案じるのも、恐らく本心からなのだろう。

 《《あの時》》もそうだった。


 もし、藤原の”覚えの中”と一致しているのであれば、この女は多摩誠司と教団の息が掛かった半グレグループ、そして藤原の人生から消えてしまった”誰か”に村上の両親の身柄を引き渡したのだろう。どんな残酷な方法で殺されたのかまではわからないが、どうせ碌でもない死に方をしたに違いない。


 その時も、この女は涙を流したのだろう。

 この村では「ごめんなさい」と謝れば全てが赦される。


「よかった……!ごめんなさいね、ありがとう!……先生の仮住まいですけども、西の離れをお使いくださいませ。明日にでも荷物を搬入いたしましょう。ああ、息子も喜びますわ!あの子も……――――千鶴さんの身を案じてらっしゃいますから……」


 藤原は矢継ぎ早に続ける女を冷めた目で見据える。


 なにもかもが、どうでもよかった。


 元より藤原にはこの依頼に対する気概は殆どない。

 妹の生死もどうでも良かったし、村に蔓延る怪異による悲惨な獣害も心底興味がなかった。まして朔也の身の上など田所が依頼をするまで眼中になかった。


 ――――どうせ《《死ねやしない》》。


 藤原が今を生きている目的《理由》はただ1つ。


 村上をこの現し世に再び引きずり戻し、今度こそこの手で穢し、奪い、殺す事。


 それ以外はどうでも良いことだった。

 餓鬼が一人、精々村上を叩き起こす”使い物《駒》”にさえなればよい。


 こうして息を吸って吐き出す行為そのものが、ただの惰性でしかなかった。




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