大団円 その3
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―――――心から藤原を労うほどの信頼を、一体どうやって積み上げたのだろうか。
”覚えの中”の田所はいつも藤原を軽蔑と羨望、そして僅かな欲望が入り混じった瞳で見つめていた。今、ソファから見上げる彼の視線にはそのどれも含まれていない……――――藤原自身の生涯で一切の縁がなかった筈の友愛だけが灯されている。
――――本当に、田所は千鶴の行方を知らないのだろう。
藤原は顔の半分を眼帯で覆った田所の顔を見る。
田所には嘘をつく時、視線が右に逸れる癖があった。本人は一切気が付いていないが、交渉を進める上で実に有意義な癖だ。
てっきり、千鶴の身柄は警察に保護されており、回復するまで行方不明として秘匿されているとばかり思っていたが、どうやら本当にその身を晦ませているらしい。田所の視線は真っ直ぐ藤原に向けられている。
千鶴の安否に藤原は一切の興味がわかず、心配する素振りだけ見せる為に困ったような笑みを仮面のように顔に貼り付けると、態とらしく話題を変えた。
「……――――所で、今日はどういったご用件でしょうか?貴方の事です、私の様子が心配で来た訳ではないのでしょう?」
「心外だな、俺がそんな薄情に見えるのか?……――――まあ、半分はそうだな。お前に依頼がある。」
田所は立ち上がると懐から写真を一枚取り出して藤原に差し出した。
そこには藤原が自身の命と引換えても穢したかった男……――――村上八朔が弟を背後から抱きしめて微笑んでいる姿が映っていた。あの薄気味悪い薄ら笑みではなく屈託のない笑顔に藤原の腹の中の憎悪が鎌首を上げる。
「村上八朔がどうかしましたか?」
「あいつが今、どうなっているのか……知っているよな?」
質問を質問で返され、藤原は声を出さずに静かに頷いた。
――――屋上で再び相見えた村上からは、《《一切の理性が抜け落ちていた》》。
駆けつけた警察に村上の身柄を預けた事は確かに《《覚えている》》のだが、その後の記憶が曖昧であった……――――それでなくとも、ここ一ヶ月の藤原の”覚え”と”記憶”は混濁している。
「今もあまり容態はいいとは言えないそうだ。まるで《《生まれたての赤子》》のようらしい。新しく保護者になった弟の里親と介護ヘルパーが代わる代わる面倒を見ているが……」
「そうですか。それで、彼がどうかしたのです?」
「村上の事じゃない、《《弟》》の方だ。」
弟。
等身大の青年の笑みを浮かべた村上に抱きしめられ気恥ずかしそうにしている少年に視線を移す。
無造作に跳ねた黒髪にまだあどけなさの残る大きな瞳をした、何処にでもいそうな子供。
かつて藤原が”《《誰か》》”の為にその行方を追っていた少年。
「……彼、ですか……――――確か8月の頭に村に引っ越す予定では?」
「そうだ。引っ越しの準備も始まっているよ……――――俺は今、獣害対策課としてあの村に駐在しているんだが……――――少々きな臭い話を耳に入れてね……」
誰が聞き耳を立てているわけでもあるまいに、田所は上半身を傾けて唇を藤原の耳元へ寄せくぐもった小声で続ける。
「つごもりの儀を知っているな?」
「ええ。あの村に伝わっている因習でしょう?……――――まさか……」
「連中は凝りもせず、再び儀式を執り行おうとしているらしい。」
――――だろうな、と言うのが藤原の正直な感想であった。
つごもりの法……―――畜生から逃れる時間を稼ごうと、畜生が好む無垢な贄を差し出す因習。つごもり信仰の信者が増えれば《《どこででも発生する》》。
人に畜生と神、人とひとでなしの区別などつかない。
人の手に及ばざる超常現象は人にとってその全てが”同じ概念”である。
脅威《大蜈蚣》が消え去ったことを知る《《人》》はこの世の何処にも存在しない……――――大蜈蚣が消えた所で、あの村に蔓延る百鬼夜行は今も尚、「私」の慈悲に胡座をかいて我が物顔で獲物を探して彷徨っている。
なにも知らない藤原は白い髪を束ねた喪服姿の女の微笑みを思い浮かべた。
「驚かないのだな?」
「当然でしょう。そもそも、去年の儀式に失敗しているじゃありませんか……スペアにされていた少年でやり直そうなど目に見えてわかることですよ。」
「だが小江灯の時は分家による暴走……という形で切り捨てられた。教団もまた宗派の違いで縁はなかったと言うのが、村の主張だ。」
「《《実際にそうなのでしょうね》》……――――――――小江柘榴……あの狡猾な女狐が貴方に《《態と漏らした》》であろう情報は《《全て本物》》だと思いますよ……」
「ああ、彼女は自身の手を一切汚さず、再び村の息のかかった者たちに儀式を行わせようとしている……だが……」
田所は一旦藤原から身を離すと「ごちそうさま」と一言添えて空になったコーヒーのスチール缶を机の上に置き、視線を飲み口に注いだまま続ける。
「俺も山上もわからないんだ。何故、《《今更朔也をつみしろとして一から仕込もうとしているのか》》。」
「……――――」
「つみしろの定義……”無垢なる咎人”なら……あの村にはもっと手頃な人物がいる。」
「赤子に返った村上八朔ですね。」
「ああ……にも関わらず、朔也を招き、守り、甘やかし、破滅させようとしている……――――もしかしたら、別の儀式を執り行う予定なのかも知れない……」
「何を……?」
「それがわからない。俺の勘の範囲でしかないし、山上もわからないらしい。」
田所の勘は半分は当たっていた。
「私」の母は村上朔也どころかつみしろを作りつごもりの儀を執り行う予定は、実のところ一切なかった。だが、村上八朔の中に封じられたツイタチを解放し新たな神を顕現させるために、朔也をつみしろにしようと《《あえて危険に晒し》》、村上八朔の意識を覚醒させようと企んでいるのは事実であった。
ツイタチの末路を知らない藤原と田所、そして知っていながら興味《理解》がない山上ではその事実にたどり着くまでに長い時間がかかるだろう。
「それを私に探ってほしいと……?」
「ああ。それにお前の妹と友人たちの件とは決して無関係じゃない筈だ。」
「そうですね……――――妹とあの村に赴いた学生たちの中に村上も居た……」
「恐らく禍津物に唆されて凶行に走った犯人は野放しにされたままだ。彼らは村や信仰について深く入り込んでいた……もし彼らがなんらかの情報を掴み、村の息のかかったものに”邪魔だから”と殺されたのであれば……」
「――――流石に推理小説の読みすぎではないですか?」
「意外と捜査では役に立つこともあるぞ。お前ももっと本を読むと良い……まあ、俺の杞憂で済めばそれでもいい……――――仮にこの先、村上が意識を取り戻す事があれば、元気な姿の弟と再会させてやりたいと思う。」
「ええ、それは……そうですね。」
あの村上が禁忌《食人》を犯してでも守りたかった弟。
彼の眼の前であの子供を穢して殺せたらどれだけこの溜飲は下がっただろうか。
がらんどうとなった人形の村上の前で辱めた所でこの憎しみを消すことはできない。
あの黒い石っころのような瞳に生気が宿らぬ限り、藤原は自身の復讐を果たすことが叶わない。
村上兄弟の再会は藤原が望む末路とは違えども、是非とも叶えてやりたい結末であった。藤原は口元が歪みそうになるのを堪えると一回咳払いをした後、「わかりました」と田所に向き直る。
「お引き受けいたしましょう。」
「本当か?」
「私も、あの少年の事は少々気がかりでした。妹も、亡くした友人と重ねて心から心配していた……それにあの村では怪異の数が他所とは桁違いだと聞いています。つごもりの法が強固だからとは言え、脅かされる危険性は日本の何処よりも高いはずです。」
「助かるよ……――――とにかく人手が足りないんだ、あの部署は。俺の独断で勝手に行動するわけにもいかなくてな……」
深々とため息を付く田所の首筋に真新しい3本の傷跡を見つける。
大方、小型の動物にでもやられたのだろう。あの部署の表向きの業務は害獣駆除だ。
「私としても、このまま警察を頼って妹の帰りを待ち続けるよりは、休暇を取って探しに行こうと思っていたのですよ。貴方からの依頼という大義名分と給料まで貰えるのでしたら、大変助かります。」
成立だな、と差し出された右手を握りしめる。
本来の性別にしては無骨な指の感触に、藤原はかつてこの男に心底惚れていた学生時代を思い出す。
当時は女子学生の制服を身に着けていた彼に構われたくて、タバコの味と授業をサボタージュする背徳感を教えたりと、随分と無粋なちょっかいをかけていた。
それほど昔というわけでもないが、子供の頃に親しんだ絵本の染みのように感慨深さを覚えた。




