大団円・その2
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あの日。
村上が事件を起こすより数日前。
”記憶の中”の藤原は麻取の知り合いから依頼を受け教団つきはじめに蔓延る薬物の出どころを探っていた。
”覚えの中”では薬物は藤原の部下が扱っていたものだった筈だが、記憶の中では関東八幡会の残党達が指揮する半グレグループによる犯行にすり替わっていた。ハヤトは薬を流していたのは村上に変装した多摩誠司であると、村上本人に確認を取っていた所を半グレグループによって一緒に拉致されて暴行を受け、孵化した蜈蚣に食い殺されたらしい。
その後の村上が犯した事件の流れは記憶と同じである。
村上は都内の中学校で少女を喰い殺して逮捕された。
藤原は事件を担当した田所と宮比に依頼され事件を洗うことになった。
村上家の奴の寝室に鎮座した赤い縦縞が入った一ツ目の招き猫。
中からこぼれ落ちた大量の麻薬。
妹の恋人を騙り、人を罪悪感で破滅させるSNSアカウント。
妹が追う朔日村に伝わる伝承と、多摩誠司が犯した麻薬の横流し、カルト教団での儀式、村上が犯した殺人事件が1つに繋がり、謝罪が挨拶代わりになったあの村へと集結していった。
覚えの中の藤原はあの日、《《誰か》》の願いを叶える為……――――そして滅びかけた八幡会本部を立て直す為に、同級生だった警部補・田所楠子の甥を誘拐したはずだった。泣きわめいて言うことをきかない餓鬼を痛めつけて黙らせ、旧朔日村にある晦彦神社の境内で多摩誠司の身柄と交換取引を持ちかけた事は確かに《《覚えている》》。
しかし、記憶と事実として手の中に残る藤原自身は田所と山上に依頼され、警察の協力者として尾道へ赴き、誘拐を企てた八幡会の残党を掃討する”側”になっていた。
多摩誠司が”《《何者か》》”に殺害された時、藤原は市内に居た。
部外者故に現場に立ち入る許可が出ず、祭りの喧騒に紛れて逃亡を図ろうとする残党を捕まえる為であったらしい。
逃げる残党を追いかけてとあるビルの屋上まで追い詰めた折、廃人となった村上を発見した……というのが新たに植え付けられた記憶の中の筋書きらしい。
――――ふざけるな。
藤原は衝動のままに机を大きく蹴り上げた。
衝撃で煽られた書類が宙を舞うのを荒い息を繰り返しながら見つめる。
妹と村上の友人を皆殺しにした事も、尾道市内が怪異に蝕まれ阿鼻叫喚地獄に発展し多数の死者を出した事も、ホテルの駐車場で村上と再会し殴り合った事も、あと一歩で殺せる筈だったのに、《《水》》に邪魔されたことも、藤原の……――――あの日に彼を取り巻いたその全てが《《なかったことにされていた》》。
「何をそんなに苛立っている?」
ふと声をかけられて振り返ると事務所の入口によく見知った一人の”男”が立っていた。
長く伸ばした黒髪を後ろで束ね、右目に黒いメッシュ生地の眼帯をつけ、パリッとした真新しいスーツに身を包んだ……――――本来の性別にしてはスラリと背の高いその姿に例えようもない安堵を覚え、藤原はほっと息を吐き出した。
「楠か。」
「随分とひどい顔をしているな……――――」
田所楠子は藤原の断りもなくズカズカと部屋に入ると、先程まで彼が横になっていたソファに腰を下ろす。長い脚を見せつけるように組んで背もたれに身を委ねて深く腰を掛けると、苛立ちから荒い息を繰り返している藤原を見上げた。
「焦っているのか?」
「なにを……」
「妹さんだよ。」
「ああ……」
西千鶴こと……――――藤原巽。
藤原の「妹」と言う設定でこの世にのさばっていた、ひとならざる、ひとでなしの女。
―――――あの日以降、西千鶴は忽然と姿を消した。
文字通り、《《消えたのだ》》。
旧朔日村の宿泊施設に荷物を置いたまま彼女は姿を消した……――――と、言う筋書きになっている。
田所には藤原の苛立ちの理由が別の物のように見えたらしい。
彼にしては珍しく物憂げな笑みを浮かべ、宥めるような柔らかい声色で続ける。
「心配なのはわかるよ。俺もこの間まで《《同じ》》だったからな……」
「…………――――甥御さんは?何故貴方だけまたここに?」
「左遷された。」
田所は長い脚を組み直すとあっけらかんと答えた。
「半グレ相手に情報を流していたんだ、当然の結果さ。今月から広島に配属だよ……――――よりにもよって、あの山上警視の下……――――獣害対策課だ。晴れて俺もオカルト刑事の仲間入りってわけだ……――――異動早々、事件が相次いで挨拶が遅れてしまったな。」
「それは随分と厄介な部署に回されましたね……奥さんは?」
するりと口から出た敬語に藤原は思わず舌を打ちそうになる。
藤原が演じる『八人塚岬』なる人物はどうも他者に対して老若男女誰であろうと穏やかに接する紳士であるらしかった。
慣れ親しんだ旧友相手にも漏れてしまう程積み重ねられた癖に、10年という月日の長さを実感してしまう。
「単身赴任さ。妻は甥を連れて実家に帰った。」
「おやまあ……」
「……――――言っとくが愛想つかされたわけじゃないぜ?療養も兼ねてだ……――――大人の男を見ると、酷く怯えるんだよ……」
「……――――」
田所の甥を自身が置かれた状況をわからせる為に、ベルトを鞭に見立て、ただでさえブヨブヨの腕が2倍に腫れ上がるまで叩きつけたのは他でもない藤原だった。
部下に前歯を引き抜かせた光景もまざまざと思い出せるのに、その全ては《《別の誰かによる犯行》》になっていた。”覚え”の中の公園で保護されたという事以外、田所の甥がどのような扱いを受けていたのか今の藤原に知る術はないが、似たようなものなのだろうと推測できた。
「……――――反社と付き合って左遷で済んでるのですから、良かったではありませんか。」
「全くだ……――――身から出た錆……と言ってしまえばそこまでだが……――――藤原、俺と違ってお前に落ち度はない。あまり気負いすぎるなよ。」
「――――まだ、見つからないのですか……」
「敬語をやめろ、背筋がムズムズする。」
「諦めてください、《《自分ではどうにも出来ません》》……――――それで、捜査の進展は?」
「残念ながら、ない。山で起きた事件と何らかの関わりがあることは間違いない……が、目撃者が少なくてな……有益な情報が集まらない。」
「…………――――あの学生達の事件もですか?」
「ああ。」
藤原は部屋の角に備え付けていた小型の冷蔵庫から缶コーヒーを二つ取り出すと、内1つをソファに腰掛ける田所に向かって投げてよこした。田所は軽く礼を述べた後「ブラックじゃないのか」と文句を零しながら口をつける。
「当日、西千鶴と共に東京から撮影に来ていた大学生達……――――三人は銃殺、一人は頭部を激しく打ち付けられて撲殺……――――生き残った一人はナイフで腹を刺され重傷。未だに意識が戻っていない……――――」
「……――――貴方がたの協力者だったのでしょう?教団つきはじめの摘発も、彼らの手を借りたと伺いましたが?」
「協力を要請したのは公安の連中だ……俺がいた一課じゃない。今回に関しては深入りはするな、と警告はしていたんだがな。宿から抜け出してあの有様だ……逮捕した半グレたちは皆、犯行を否定している……――――」
当然だ。
あの学生たちを殺害したのは藤原だ。
開けたばかりのスチール缶が藤原の手の中で音を立てて軋む。
あの学生たちに恨みはなかった。
落ち度も謂れも、本当に何もなかったのだ。
ただ、藤原を警察に売った千鶴と……――――藤原から全てを奪った村上と随分仲が良かったから、それだけだ。
あの真っ黒な瞳の中に宿る憐れみを憎悪で塗りつぶせたら、積もった溜飲が少しは下がるだろう……本当にそれだけの理由で藤原は彼らを嬲り殺した。
――――恨みはなかったが、確かな悪意があった。
侠客として生きた中で、誇りとも呼べる確かな動機。
「私」によって取り上げられた、藤原の魂の核。
――――ふざけるな。
藤原は声を荒げて吐き捨てたい衝動を、コーヒーと共に一気に飲み下す。
功績に手垢を付けられたような屈辱であった。
あれは自分の仕業なのだと、田所にぶつけてやりたかった。
ただ、村上を煽るその為だけに不必要に凌辱し殺し尽くした、その犯した罪の重さは計り知れない。どんな優秀な弁護士を雇った所で死刑は免れないだろう……――――藤原自身、それを望んでいた。
だが、ここで田所に訴えた所で信じてなど貰えない。
証拠どころか”記憶”と事実の中の藤原には市内にいたと言う確かなアリバイがあり、村上に腹を立てる理由すら何処にもなかったからだ。
屈辱に震える藤原の姿が田所には「同じ地域にいながら無惨にも妹の友人を死なせてしまった、正義感から来る怒り」にでも見えたのだろうか。憐れむようなほんの小さなため息が聞こえた。
「山中をくまなく探しているが犯行に使用した武器等は未だに見つかっていない…………――――」
「……――――妹は、生きているのでしょうか……」
「わからない。一応、犯人の線もあるが……俺は違うと踏んでいる。お前も諦めるなよ、俺達《警察》も決して生存の望みを捨てたりはしない。」
「…………――――」
田所の言葉は本心だった。




