八朔日の贄 その6
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鋒、高谷、松永、神辺、三次……――――そして西千鶴。
みな、かけがえのない友人であった。
村上を案じ、諭し、付き添い、寄り添った。
好奇心に満ち溢れ、知識を持って村上を助け続けた、無辜の者たち。
村上が歯を食いしばるのを確認すると、弥勒は心底嬉しそうに微笑み、汗と血で汚れた亜麻色の髪をかきあげる………――――村上は妙な色香を含んだ仕草に吐き気を覚えた。
「西は……――――ちーちゃんは、血を分けたお前の妹じゃなかったのか?!」
「《《そうだった》》な。でもあいつは俺を売った……――――そう言えば、お前ら一緒に暮らし始めたんだってな……――――もうヤッたか?どうだったあいつの《《しまり》》は。俺に似て名器だと思うが?」
「………………さあ、どうだろうな。」
「まだ晦と付き合ってるってのに、随分と見境がねえ。そうは思わねえか。」
「ヤッてねえよ、クソが……――――勃つかよ、お前に良く似たあんな性悪女。」
「はははっ!あはははっ!!もしかして村上、お前まだ童貞だったかぁ?」
「…………だったらどうした。」
「ははははっ!悪ぃなあ、俺の部下が童貞より処女を先に奪っちまったせいで……あはははッ」
ふうふうと短く息を吐き出して村上は腹の中で暴れ狂う怒りを鎮めながら、腰に引っ掛けた拳銃に指を這わせ、ゆっくりとした足取りで右に数歩だけ横に歩く。
満身創痍とは言え、相手は喧嘩に慣れた侠客だ。暴力とは無縁の生活を過ごし、ついこの間まで留置所にいて筋力が落ちた村上とでは経験と体格にあまりにも差があった。
「で、今日はどうした?お前の恋人の斎東は上で女と楽しくやってるが?」
「そうだな。いや、なに。このホテルにお前の弟……朔也っての?いるんだってな。」
散々男の陰茎をしゃぶっただろう口で愛する弟の名を穢され、村上は下唇を強く噛みしめる。弥勒は分厚い唇を舌なめずりしながら続ける。
「折角だから、お前の目の前でぶち犯して殺してやろうかと思ってよ。」
「阿婆擦れが。」
村上が拳銃を手に取ろうとした刹那、弥勒は先程まで膝が震えていたとは思えないスピードでその間合いを詰めた。
そして右足を大きく後ろに下げると村上の脇腹めがけて蹴り上げる。
「ぐっ……」
弥勒はそのまま倒れそうになる村上の頭を腕で掴むとその顔めがけて、骨が突き出した血まみれの手を何度も叩きつける。頬を強打された衝撃でぐわんと脳みそが大きく揺れるのを覚えながら、村上も負けじと足を後ろに踏み込んで弥勒の顎をめがけてアッパーを繰り出した。鼻に引っかかっていたサングラスのフレームが吹き飛ばされる。
「はっ……」
弥勒は思わぬ反撃に一瞬だけ怯むも、すぐにそのまま村上の額に大きな音を立てて頭突きをする。よろめいた腹部めがけて膝をめり込ませた後、胸を突き飛ばして後ろに下がった。
「甘い、甘い!喧嘩慣れしてねえだろ、お前。もっと本気で来いよ!」
「クソったれ……」
トントンとステップを踏みながら左手で村上を手招く。
村上は歯茎の上で大きくぐらついた下奥歯を指で引っこ抜くとコンクリートを蹴り上げて突進し拳を血まみれになった顔めがけて突き出した。
肉のぶつかり合う音と、水たまりに血液が飛び散る音……――――そして炎上する車から響くセキュリティアラームが駐車場に鳴り響く。
ズタボロで満身創痍の中、殺意だけで拳を振るう弥勒と、喧嘩など生まれてこの方7つ下の弟としかしたことがない村上は、やはり場数をこなしているだけあって弥勒のほうがやや優勢だがその争いは拮抗していた。
弥勒は公園ではしゃぐ子どものように笑いながら村上の腹部を蹴り上げる。
村上もまた口元を少々釣り上げて口の中に溜まった血を時々唾と共に吐き出しながら、両の拳を弥勒の筋肉に覆われた胸元や顔に叩きつけた。
――――この男だけは、ここで仕留めなければならない。
あの日、暴行を受けた日。
村上はずっと後悔していた。
この男を侮り、見逃し、仕留め損ねた事を。
その生まれ持った力をもって、ねじ伏せなかった事を。
多摩誠司という親友の身を案じ暴力を甘んじて受け入れてしまった……――――それが全ての間違いであった。
――――この男に、憐れみは通用しない。
生まれながらのならず者だ。
人を誑かし、犯し、穢し、貪る、救い難き畜生だ。
山上を赦せたのは、奴には子供を食わないという選択する概念すら存在しなかったからだ。
この男は違う。
いつだって、引き返せたはずだ。
悔い改めて反省できたはずだ。
殴られ犯されながら村上は何度も謝罪を促した。
そんな風に生きていれば、いつかなにもかも失うと。
村上の予感通り、弥勒は持っていた全てを失った。
組織も、地位も、名誉も、上司も、部下も、家族すら、自らの愚行で手放した。
結局、村上の心配は何一つ届かないまま、この男に残されたのは頭上で女と戯れる斎東だけになった。
それでも、村上はもう弥勒を憐れに思えなかった。
――――腹の底から湧き上がる感情は、憎悪だ。
村上から尊厳を、日常を、友人を奪い、更に弟にまで手をかけようとする、男に対する深い憎しみだ。
神に愛され、欲の赴くまま暴虐非道に振る舞う男。
この男に引導を渡せるのは自分だけだ。
そう思うと村上の口元が歪に釣り上がる。
――――この男だけは絶対に赦せない。
救い《赦し》など、あってたまるものか!
負った怪我の数の違いか、若干優勢であった弥勒の振るう拳と蹴りに徐々に力がなくなっていく。
睨みつけた翡翠色の瞳すら、黒く濁り村上の姿すら映していない。恐らく、実際にもう殆ど見えていないのだ。
村上は地面を蹴り上げて弥勒の体躯に体当たりをする。体重をもって押し倒すと胸ぐらをつかみ相手の額に自身の額を打ち付けた。
「……ッ」
「はあ、はあ……」
右手で拳銃を取り出すと安全装置を外し、何度も頭突きをして紫色に染まった額に押し付ける。
弥勒は荒い息を繰り返しながら銃口越しに村上を見上げ、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。
――――ああ、この男はわかっている。
安堵にも近い微笑みに、村上は喉をひゅっと鳴らして息を呑む。
――――きっと最初からそうだったのだろう。
もう助からないと。
もう逃げる場所など何処にもないのだと。
斎東も長くはないと。
――――赦される事はないのだと。
このまま警察に引き渡せば、特例で娑婆にいる自分とは違い、弥勒に待ち受けるのは死刑だ。
当然の結末だ。
――――しかし……
「……どうした?撃たないのか?」
弥勒が右の眉を顰ませて村上を見る。
その翡翠には先程まで宿っていた殺意はどこにもなかった……――――ただ、疲労と諦めだけが映っていた。
「やれよ。」
「…………なあ。」
死を受け入れた男を見つめて村上がぼそりと呟く。
「……――――今、ここで悔い改めれば……俺に謝れば、つごもりの法による結界が発動する。」
「ああ?」
「俺の両親と仲間たち……5人殺したんだ。俺が灯ちゃんを食い殺して赦された時のように、強力な結界になるだろう……」
「…………てめぇ……――――」
「――――悔い改めろ、藤原。」
悲鳴がそこかしこから聞こえてくる。
ごめんなさい、許してくださいと謝り、縋り、祈りながら人々はただ惨劇が過ぎ去るのを待っている。
あの巨大な大蜈蚣は災害となって、きっとこの一帯を飲み込むのだろう。
胃袋に収められた魂は胃液で溶かされ何処にも還る事もなく、蜈蚣の血肉となって血管をさまよい続け、やがて残りカスが糞尿として打ち捨てられるのだ。
――――それだけは、避けねばならない。
「悔い改めてくれ、藤原。」
「……――――冗談じゃねえ。」
弥勒は眉間に皺を寄せ軽蔑と嫌悪を持って吐き捨てる。
「俺は……――――俺の罪は、精一杯の悪意をもって犯したものだ……――――《《謝って赦されるような》》、《《生ぬるい罪なんざ》》、《《一件だってありゃしねえ》》。」
「…………」
「赦せねえだろ、お前だって。」
「…………ああ。」
「やれよ、村上。《《唆されろ》》。」
弥勒が嗤う。
ぐらぐらと憎悪が沸騰し、村上の脳が煮え滾る。
やらねば。
ここで、仕留めなければ。
――――弟は。
「やれ。俺は生き続ける限り、お前の全てを奪うぞ。」
「……藤原……ッ」
「やれッ!!」
「あぁああッ!!」
村上は葛藤をありったけの殺意でかき消しながら、その引き金を引いた。




