八朔日の贄 その4
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山上はピクリと眉を動かして右目だけ見開いたまま、村上を見つめる。
その表情は怒っているようにも驚いているようにも……――――呆れているようにも見え、村上からは感情が一切読めなかった。
「西とガチ勢の配信を見たことは……?」
「…………」
「その様子だとなさそうだな。あの配信の記念すべき1回目、西が宇摩志多智花津隠里比古神様から聞いた話……――――大林晶を喰い殺した……あの猪はお前だろ?人が用意するつみしろで1人分の命が精々半年から一年しか保たないなら……お前は何故今そこにいる……?」
山上の体中は傷だらけだ。
右目瞼の3本、爪で引っかかれたような痕から、ボタンを2つだらしなく開いた胸元に肉の抉れた大きなものまで。
しかしそれはただ、面倒で放置しているだけのように見えた。実際、生身の傷など致命傷には至らないのだろう。
村上は境内の斎東の様子を思い返す。
粘土のようにドロリと溶けた脚の脛からは白い骨がむき出しになっていたし、腕の筋肉のそこかしこが歪にくっつけられたように盛り上がっていた。
山上の傷に《《溶けて戻したような》》痕はない。
「答えろ……ッ!!伊吹大和神ッ!」
「《《4874人》》。」
山上は一切表情を変えないまま応える。
……――――まるで人形のようだ、と村上は内心で吐き捨てる。
村上の普段の表情は乏しく、よく他者に能面だの人形だのと揶揄された。
村上自身、うまく感情を顔に表せないことはコンプレックスでもあった。
だが、今の山上程ではないだろう。
やる気すらも削げ落ちた山上の瞳は村上に向かっているが何も映していなかった。
人ではないなにかが、人の皮を被り、人のふりをしてそこに佇んでいる。
「4874人だ。最後に喰ったのは……この間の地震の後だな。」
「…………ッ」
明確な数字に村上は絶句する。
「まあこの姓を名乗り始めてここ三百年くらいの数だ……――――それより前は……と、えーっと……やべえ、スマホ社務所に置いてきた……計算がでてこねえ……」
「…………お前……―――――」
「なんだよ、その顔は。答えてやったろうが。数だけじゃ不満か?それとも顔と名前と性格と、あと断末魔も必要か?8割は『お母さーん』だぜ?」
ふうふうと村上は息を吐き出しながら憎悪と軽蔑で暴れまわる心臓をなだめようと試みる。感情が高ぶった西千鶴がよく獣のような唸り声を上げていたのを、頭の何処かで思い出しながら山上を激しく睨み続ける。そんな村上を尻目に山上は淡々と語る。
「少年の肝は美味いんだ……胆汁がまた舌が蕩けるような甘みでなァ……黄斑を舌で舐めると息が途絶えるまで震えて……」
「…………ッ」
「死んでも暫くは《《どこも狭くて楽しめる。》》7歳から14歳までの少年……ああ、朔也ちゃん。神の血を引いたあの子は、この世で最も可愛く尊く美味な命だ!むしゃぶりつきてえなあ、あの柔肌に……」
「貴様……ッ」
早いもの勝ちだと山上は言っていた。
思えば現場を指揮する立場にいながらこうして村上に同行したのも、《《そういう事》》なのだろう……――――村上の予感が最悪な形となって現実になろうとしていた。
「弟を……――――朔也を喰らうつもりか?」
「いや、斎東の獲物を横取りしちゃ可哀想だ……そうだなあ、お前と同じだよ。」
村上の青白い顔を眺めてようやく山上は生気を取り戻し、口の端に皺を寄せ恍惚とした笑みを浮かべた。
その時だった。
「肝と余った死肉だけでいい……――――俺は《《おこぼれに与りたいんだ》》。」
村上の中で、何かが音を立てて切れた。
そして、一呼吸置いて、静かに、確かに、山上に向かって呟く。
「――――――――《《発進しろ》》。」
「なっ……――――!!??」
途端、山上の右足に意図せぬ力が籠り、盛大にアクセルを踏んだ。
ギュルギュルとタイヤが悲鳴を上げながらコンクリートを蹴り飛ばし猛スピードで車は前へと発進する。
行き交う人の群れが、まるで《《示し合わせたタイミングで器用に車を避けていた》》。山上はその事に気が付かないまま前を向き両腕でハンドルを握りしめる。
「なんッ……――――だ、これは……ッ!?」
両腕もまた、右足のように言うことを聞かずハンドルを切り、目の前を浮遊する怪異と次々と跪く人々を華麗に避けながら突進していく。
山上は自由が利く首を後ろに向けて視線で村上を捉える。
――――後部座席に背筋を伸ばして座る村上が、先程までの怒りを押さえ、いつもの薄ら笑みを浮かべて真っ直ぐ山上を見据えていた。
「てめえ、俺に……ッ!!何をした?!」
顔中に汗を吹き出した山上を村上は静かな笑みで見つめ返す。
「別に。みんなと一緒さ。ただ、《《お前に憐れみを向けている》》。」
「憐れみだと?!」
「そうさ。お前らひとでなしを……人のふりをし、人になりすまし、人に寄り添っても結局、人を欲で消費する事しか出来ない《《憐れな存在》》……――――ただ、そう思えばいい。」
時折車体にならって村上の上半身が振り子のように左右に揺れる。
この世の光を全て吸い尽くした黒い瞳に焦る山上の顔が映り込む。
「俺のこの力は真の神の眷属……――――御使いたるひとでなしには通用しないと思っていただろう?」
「村上ィ、てめえ……ッ!!」
「侮ったな。《《実際にそうだったよ》》。つい先程まではね。《《俺は俺が憐れんだ相手しか操れないし》》、《《救えない》》。お前達ひとでなしの事は心底軽蔑と畏怖をもって接していたからね……でも《《出来なくはないんだ》》。お前達が人のふりをする限り……こちらの世界の理で生きるのなら……」
「止めろッ!!」
二車線の国道を黒いセダンが猛スピードで駆け抜けて、コンクリートの上で乾ききらない水たまりがタイヤに絡まって跳ねる。その両手を握り祈るような姿勢で傅いた人々が「ごめんなさい」と呟きながら縋るようにひれ伏していく。
「止めろ!!村上!!今直ぐに……ッ!!」
「神を憐れむなんて、誠司ですらやらなかった《《冒涜》》だ。人を喰った俺だけど、流石にそこまで恥知らずにはなれなかったよ。」
「聞いてんのかこのボケッ!!」
「でも、もう時間がない……――――俺が躊躇っている間に、みんな死んでしまった……」
「くそがぁあッ!!」
山上の肩甲骨が大きく盛り上がると、ブチブチと肉の繊維が切れる音を鳴らす。
そしてくたびれて皺だらけのシャツを突き破るように無数の腕が生えた。
羽のように広がりながら突き出した腕は両脇の窓ガラスを突き破り、破片で切れた傷から真っ赤な鮮血が吹き出して村上の視界を覆った。
村上に掴みかかろうとする多数の腕は返り血を浴びた頬に触れる直前で、白く大きなハクビシンが、その胴体を巻き付けて動きを止める。
村上は一瞬だけ息を呑んだが、覚悟を決めた獣の瞳を見て唇を噛んだ。
「もう迷わないし、遠慮もしない。」
割れた窓ガラスに反射した日光が、返り血を介して村上の瞳に差し込んで、赤く光った。
「……――――――――悔い改めろ、山上伊吹。お前を赦してやる。」
山上は首を大きく振り回し雄叫びを上げる。
侮っていた人間に上から憐れまれ支配される、これ以上の屈辱はないだろう。
村上はほんの僅かに下った溜飲に乾いた笑みをこぼした。
苦しい。
やりたくない。
やらねば。
助けて。
どうか。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
誰か。
――――――――嗚呼。
罪悪感に身を蝕まれた無辜の人々が、弾丸のように過ぎゆく黒いセダンに膝をつく。
「赦します。」
――――聞けば聞くほど無責任な言葉だ。
村上は山上の肩甲骨から突き出した腕を眺めながら静かに微笑む。
村上が名も素性も知らぬ相手を赦したところで、その者が犯した罪が無くなる事は決して無い。
どれだけ強制的に動かされたと訴えても、悪意を持って他者を傷つけた事実は消えない。
――――全くもって愚かだ。
赦されて安堵の息を漏らし縋り傅く人々も、無責任な言葉を投げかけて救った気になっている自分《村上》自身も。
それでも、村上が今、この地獄に対しできる事はこれしかない。
「悔い改めましょう。」
反省しましょう。
悪いことをしたら、ちゃんと謝らなければならないのだ。
セダンがコンクリートを駆ける度、赦された者たちの周りで跋扈する怪異が怖気付く。
日々、制定される人の法に餌はどんどん少なくなっていった。
常に腹を空かせ、神の目に怯え、おこぼれに与ろうと集まった百鬼夜行が村上が張ったつごもりの法を前にただ項垂れる。
彼らとて、どうしようもないのだ。
好き好んで人間を……それもつみしろにすらなれない罪人を食らっている訳では無い。本来の性質にあった餌を狩って赦されるならそうしたかった。
ただ繁殖のことだけを考えて、次世代に種を残すことだけに専念出来るなら……――――神の気まぐれに、ただいたずらに進化した思考は生きる上で邪魔でしか無い。愛されたただ一種の霊長を妬む、こんな感情など持ちたくはなかった。
悲痛な面持ちの百鬼夜行に村上は笑みを向ける。
時には人形だと、能面のようだと称された憐れみを。
こんな風に進化させられなければ、共存出来たはずだ。
それは一方的な支配、搾取であっても、所詮"現し世"の自然界……――――弱肉強食の範囲でしかない。
怪異たちは道を譲るようにその身を道路脇へ寄せる。
村上は腰を浮かせて手を伸ばし、山上の左脇に取り付けられたホルスターから拳銃を引き抜いた。
「悔い改めましょう、俺が赦します。」




