八朔日の贄 その2
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「村上、まさか殺すなとか、この期に及んで馬鹿なこと抜かすんじゃねえぞ。」
「……あの人がッ……!!犬に手を掛ける前に、どうにか出来ただろう!?」
赤く染まった飼い犬を抱きしめて大きな声で泣きわめく飼い主の悲鳴が車の中にまで響き渡る。
彼だけではないし、この国道だけではない。
大蜈蚣がその体躯を覆い尽くす空の下、瀬戸内に住まう人々が厄災の脅威に晒されている。
”つごもりの法”が流布する領域において、畜生は罪人のみを喰らうことが赦される。
大蜈蚣のおこぼれに与ろうと湧いて出る畜生は、ここぞと言わんばかりに周囲の人々を唆し悪行を働かせる。唆された人々は自身が想像しうる最悪の行動を起こし、その罪を無我夢中で謝る。畜生の餌食にされなかった人々も、大蜈蚣への恐怖とツイタチが撒き散らす救済に影響され、過去にしでかした悪行を泣きながら謝り続ける。皆誰もが自分の懺悔に夢中で他人を赦す余裕など無い。罪悪感で押しつぶされた人が一人、また一人と救いを求め自死を選ぶ……――――まさにこの世の地獄が広がっていた。
「東京みたいに地震を起こせないのか!?」
「ああ、あれな。上司の上司……いや上司の親族か……まあ、お偉いさんに死ぬほど怒られたんだわ。余計な仕事を増やすなって……」
「この辺一帯が滅ぶぞ!それ以上に余計なことがあるとでも言うのか!」
「人同士の殺し合いなんざ、何処にでも起きる。侵略も略奪も全くもって無意味な殺し合いが、今だって世界中の至る所で行われている。一々口出してたらそれこそ世界は滅ぶぜ。」
「……――――これは人が原因の殺し合いじゃない……お前ら神の監督不足によるものだろうが!」
「耳が痛えな。」
村上が声を荒げると図星を突かれた山上はバツの悪そうな表情を浮かべ、左手をハンドルから離すと自身の額に押し当てる。そして皺が寄った眉間を伸ばすように擦りながら後ろを振り返った。
「……この辺一帯の畜生どもを吹き飛ばしてやってもいいけどよ……――――お前の後ろを健気に付いてきた《《白いの》》も死ぬがいいのかよ?」
「…………」
村上は後ろを振り返る。
艷やかな毛並みをした大きなハクビシンが行き交う人々を器用に避けながらこちらを追って来ていた。
「泊……」
「ここにいる畜生を皆殺しにしろなんざ、4月に命の尊さを散々俺に説教しといてよく同じ口から垂れ流せるな。《《ダブスタ》》っていうんだぜ、そういうの。」
「……――――矛盾を含んだ思想を持っていると、我ながら理解しているよ。」
「ほぉ、解ってんのか。じゃあ黙ってな。なに、心配すんなよ。俺が無事に朔也ちゃんの所までお前を送っていってやるよ……――――藤原より先にな。」
藤原という名前に村上の眉がぴくりと動く。
全てを失い頭上で大蜈蚣と戯れている斎東に縋った、ならず者の男。
先程、宮比警部から藤原が村上と同行していた大学生を3人殺害した後に逃亡したと無線が入った。
マシンガンで撃たれた松永と神辺は即死、頭部を柵に叩きつけられた高谷は搬送中の救急車の中で息絶え、腹部をナイフで刺された鋒はかろうじて生きているものの意識不明の重体だった。
『……藤原は……《《虎》》に……《《突然現れた虎に跨って消えていったの》》……――――斎東が生み出した眷属……なのかしらね、信じられない光景だったけど……それで、千鶴ちゃんも……あの子も酷い状態だったのに……息も絶え絶えで……なのに、鱗のように溶けて……』
宮比は目の前で起きた光景をそのまま伝えようと口に出すが現実味だけが未だ付いてこないのだろう、いつものような芝居がかった声色ではなく切迫した様子だった。
――――また喪ってしまった。
村上は右胸のシャツに爪を立てる。
同行するべきではなかった……――――いや、最初から彼らを頼るべきではなかったのだ。捕まった時に、その前から彼らを大事に思うなら、縁を切るべきだったのだ。
地獄へ道連れにするのは西千鶴一人だけで良かった。
彼女は山上や斎東と同じひとでなしだ。ひとでなしにとって死は人間と違って忌避すべき概念ではない。ただの穢である。
決して彼女も危険に晒す事を良しとしたわけではないが、人と違って取り返しが付く命だ。それに、彼女には畜生から人を救うというひとでなしが顕現するにあたり否が応でも背負う責任がある。
部員の顔を一人一人思い浮かべようとして、つむじの形ばかりが浮かび上がる。
対等であろうと努力して人の身には過ぎた力を抑えていたが、彼らは無意識に村上に従属していた。
村上はオカルト研究サークルのガチ勢である彼らの実績と能力を、心から信頼していた。
特に鋒と神辺は実戦経験も豊富で数多くの修羅場をくぐり抜けてきた歴戦の猛者である。怪異相手どころか反社相手に大立ち回りをしたことも一度や二度ではない。きっと彼らなら大丈夫だと言う甘えが全てを奪い去った。
心臓が握りつぶされそうなほど収縮し額からどっと汗が吹き出す。
思えば、村上の人生は後悔ばかりだった。
もっと早く弟を連れて逃げていれば。
多摩を通報していれば。
信仰にのめり込まなければ、両親をもっと注意深く観察していれば。
あの日、小江灯を強く叱っていれば、あるいは……
どれだけ後悔をしても取り返しはつかない。
罪を悔いても心から反省しても、それが彼の実生活で生かされる事はない。
――――村上の選択は、その全てが自身が望む救済とは真逆の破滅へと向かっていた。
俯いて黙り込んだ村上に山上は蔑むように煙を吐き出して運転を再開する。
「ったく、普段なら祭りの日でもよぉ、20分あれば駅には到着するってのに……誉田別も気の毒だぜ。おらっ、邪魔だどけろ。」
状況を読み込めない若い男女がサイレンを鳴らす覆面パトカーに助けを求めて縋り付く。血に濡れた両手でガラス窓を叩きながら車内を覗き込む。山上は獣は容赦なく轢き殺していたが人間相手には流石に気が引けるらしく、ブザーをけたたましく鳴らしながら車の窓を閉めた。
「村上、こいつらどうにかしろ。これじゃ前に進めねえ。」
「…………許します。」
村上は山上に促されるまま、涙を拭うとぽつりと独り言のように赦免の言葉を零す。その途端、ゾンビのように群がっていた若者がピタリとその動きを止めて細かく震えながらその場に膝をつく。そして安堵から口角を少し上げて両手を握り深く頭を下げた。
「いつ見ても便利だな、それ。」
「……――――何処が。」
心底つまらないものを見たように感情の籠もらない山上の声色に村上が苦々しく唇を噛む。モーゼが海を裂いた時のように人通りが車を避け始めるのを見て山上はアクセルを踏んだ。
「お前だって、やろうと思えばこのくらい容易いだろう?」
「《《容易い》》、というより当然……いや、《《自然》》だな。だが、そんな風に振る舞っちゃあ、現し世では目立ってしょうがない。」
「……――――だろうね。ちーちゃんも……西千鶴も俺の事を心底くだらないと評していたよ……――――誠司を始め、大勢の人が妬んで死んでいったこの力をね。」
「本当にくだらねえな。」
「今は非常時だ。お前こそ、その自然体とやらに何故戻らない?」
「逐一うるせえ野郎だな。《《しんどいんだよ》》。」
だからこそ、都合良く使われることが気に食わないとばかりに、村上は視線を運転席の山上に戻す。山上は視界が白く濁るのも厭わず口から煙を吐き続ける。
「ひとでなしでも《《体は人間》》だ。髪の毛の先から臓器、血管、細胞に至るまで寸分たがわずホモ・サピエンスを再現している。人の身を真似たまま自然体であることは《《本当にしんどいんだよ》》。体になにかしらのガタが来る……――――斎東も最初、晦彦様の要請をわざと無視をした。」
「…………」
村上は顔を前に向けたまま女顔の周りを飛び交う黒い影にちらりと視線を移す。
蜈蚣の足が一本ぶちりと千切れて青い液体が白い入道雲に降り注いでいた。
まるで獲物を甚振る猫のような仕草に村上はこれみよがしに舌打ちをする。
「呼ばれていたんだ、アイツは。ずっと前から……ツイタチの野郎がSNSでのさばるよりも前から。俺等でも手を焼く大きな畜生を駆除するために……――――でもアイツは答えなかった。多摩に縛られたからじゃねえ、《《面倒だから無視をしたんだ》》。」
「……――――赦されるのか?所詮、眷属の分際で。」
「斎東は俺達、御使いの中でも一番若くてなあ。手伝いの言い出しっぺの癖によくサボっていた。晦彦様も最年少だからってんでわかっていて好きなようにさせていたよ。」
「…………忠誠心はどこに消えたんだ?そう言えばお前も随分あの御方に対して不遜な口を利くじゃないか。」
「あの方と俺等の関係は、お前らの概念で例えるなら……そうさねえ、《《お目付け役》》なんだよ。保護観察官と仮釈放中の囚人が一番近いな。下剋上が完全に禁止されているわけじゃない。ただ力では絶対に敵わない上に、ここまで異類婚姻譚の異常性癖を抱えた変態の悪党どもに寄り添う御方もいやしないから、俺達はあの方に従っている。お前が想像するよりずっと気安く、厳しい上下関係だよ。」
「俺に理解が出来ないほどいい加減なものである、と言うのは良く解った。それで……――――本当に面倒だったからなのか?弟は……朔也は、そんなつまらない理由で命を見逃されているのか?」
弟の顔を思い出し村上の心臓が再び強く痛みを帯びて収縮し、目尻に一雫の涙が浮かび上がる。
あと少し、同じ市内に命をかけて守ると誓った、村上に残された最後の家族が待っている。
何も知らないあの子供は、獣退治の報酬としてこの世に産み落とされ、それを神の怠惰により生かされているのか……――――




