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八朔日の贄  作者: 絶山蝶子
二十三話 「私」 八朔日の贄
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八朔日の贄 その1


 灰色がかった分厚い雲が北から吹く風に追いやられ、向島の方へと消えていく。

 初夏を伴ったコバルトブルーは先程まで降り注いだ雨を蒸発させるような熱気を含んで、尾道水道を見下ろしている。

 照りつける日の光が地上を祝福するかのように明るく照らしているにも関わらず、通りを行き交う人々の顔色は総じて青みを帯びた土気色をしていた。


「ごめんなさい。」


 地元の高校名が刻まれた金属バットを握りしめた坊主頭の少年が、商店の窓を叩き割る。猫をモチーフにした雑貨が並ぶ店内にガラスの破片が羽のように舞い散った。少年は割れた隙間から侵入すると、雑貨が陳列された棚を薙ぎ払うようにバットを振り回す。


「ごめんなさい。」


 力任せに店内を荒らす行動に詫びるように少年が謝罪の言葉を繰り返す。目は赤く血走り限界まで広がった瞳孔には目の前の暴挙が映されていた。

 店内で雑貨を物色していた浴衣姿の夫婦が、悲鳴を上げながら店の外へ逃げていく。少年は夫婦をはじめ客には目もくれず一心不乱に棚を金属バットで荒らし続けていた。


「すみません……!」


 店の奥から店員が二人、暴れまわる少年に向かって駆け寄る。

 一人が体当たりをして少年を床に転がすと、もう一人が握りしめていた銀色の刃物で躊躇いなくその腹部を刺した。


「申し訳ございません、申し、わけ……」


 泥に汚れた野球のユニフォームにじわりと血が滲んでいく。

 店員は少年に馬乗りになり、包丁を引き抜くと今度は顔面めがけて振りかざす。

 鈍い音と共に少年の頭部から鮮血が床に飛び散った。

 もう一人の店員は突然の惨劇を止めるどころか、近くに陳列されていた日本刀を模した傘の先で少年の胸部めがけて振り下ろした。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 店員は謝罪の言葉を繰り返しながら少年の体に刃を振り下ろし続ける。

 夏の大会に向けて鍛えていただろう少年の体躯は、暫く鈍く痙攣していたがやがてピクリとも動かなくなった。店員は人形のようにだらりと弛緩した少年を息を切らしながら眺める。お互いの顔を信じられないという表情を浮かべたまま見つめ合った時、包丁を手にしていた店員の頭部がぐちゃりと音を立てて潰れた。


「ごめ……」


 メキメキと音を立て頭部から植物の茎が生える。尋常ではない速さで成長を遂げた植物はやがて原型を留めないほど頭部に根を下ろし、白く小さな花を咲かせた。


「ひっ……」


 残されたもう一人の店員はもはや言葉にならない叫び声を上げ、持っていた傘を振り回す。突然訪れた少年と同じ動作で土産売り場を荒らしながら周囲に視線を走らせる。


「誰か……許してください、誰か……ッ!!」


 店員が助けを求めるも、店内には誰も残っていない。そこにあるのは転がった2つの死体だけである。

 店員は傘を振り回しながら店の外に出る。そして顔を上げて映り込んできた光景に何かを悟ったように、静かに瞳を閉じて大きく深呼吸をする。そして、少年の血で汚れた傘の先端に自身の右目を押し付けると、体重に身を任せて深く貫いた。


 店の周囲、自死を選んだ店員を気に留める者は誰もいなかった。

 土産屋の向かいの飲食店の窓も同様に割られ、中で店員と客が箸と包丁を片手に互いに突き刺し合っていた。隣の八百屋に並んだ八朔を一心不乱に買い物袋に詰める主婦、部活帰りの女子高生をひたすら殴り続ける観光客の男、店のレジはどれも空っぽで血に濡れた千円札が数枚辺りに散らばっている。それを親とはぐれた幼い子供が一つ一つ拾い上げては天井にかざしてビリビリと破っていた。



「ひっでぇ光景だなあ、おい。」


 車を運転する山上伊吹やまがみいぶきがタバコを吹かしながら吐き捨てる。

 線路と商店街を挟んだ国道は元々祭りの為に交通規制が敷かれており、車は村上達が乗る黒いセダンのみ。それでもまだ正気を保った人々が道路を右往左往逃げ惑うので、セダンは思うように進まず、ただサイレンを流しながら立ち往生していた。


 後部座席に乗り込んだ村上八朔むらかみほづみはいつもの薄ら笑みを消し、眉間に深くシワを寄せ薄い唇を血が滲むほど噛み締めて俯いていた。

 喪服のような黒いスーツの下に着込んでいた赤いシャツは、多摩の返り血で所々黒くにじんでいる。村上は鴉の羽のような毛髪と同じ色をした黒い爪を自身の腕に突き立て、今直ぐ車から降りたいという衝動をぐっと抑えた。


 村上は顔を上げ視線を行き交う人々ではなく青空へと向ける。

 さんさんと降り注ぐ陽の光には一点の慈悲もなく、容赦なく目の前の惨劇を舞台照明が如く照らしている。時折、残酷なまでに青い空に瀬戸内海を覆い尽くすほど巨大な女の顔が現れては苦痛に表情を歪ませながら消えていった。


「しかし、なんで人間ってのはパッと思いつく悪行が揃いも揃って略奪になるのかね。」


 山上は車の窓を開けて肘を置き、惨劇を眺めながら心底興味がなさげに呟く。


「つまんねえよなあ。太平だろうが戦乱だろうが、いつの世も《《畜生に唆されて行う悪行》》は《《強盗》》、《《殺人》》、《《強姦》》の3セットだ。三大欲求なんだろうけどよ、もっと一捻り欲しい所だぜ。」

「…………カスめ。」


 青空に浮かび上がっては消えていく女の顔の周りで虫のように飛び回る黒い影を見つけ、村上は湧き上がる焦燥感から深く息を吐きだした。

 黒い影が白い飛行機雲のような轍を刻む度、巨大な女の顔に爪で引っ掻いたような赤い痕が残る。


 ――――甚振っている。


 細く血も吹き出さない程小さな傷が白粉を載せた肌に刻まれては消えていく。

 その様子を眺めて村上は眉を顰ませる。痛々しい女の表情に頭の中で黒い影の高笑いが聞こえてきそうだった。


 あの黒い影……――――斎東多聞さいとうたもんは先刻、村上の親友である多摩誠司を殺害し、瀬戸内の空に顕現した大蜈蚣の親を退治するべく、両手に二叉槍を携えて嬉々として空に飛んでいった。

 大蜈蚣は過剰な進化を強制され、霊長の頂点に立たんと人を襲って喰らう動植物たち……――禍津物と称される怪異の王。時に龍をも喰らうとされるその虫は、一度顕現すれば大厄災となって歴史に名を刻む。


 それでも神にとっては、所詮害虫の域を超えない。


 斎東の神格がどれほどのものなのか、村上にはわからない。

 規模で言うなら村上が信仰する宇摩志多智花津隠里比古神うましたちばなつごもりひこのかみの足元にも及ばないのは確かだ。人にやすやすと”知恵”を奪われるような迂闊さや、たった一人に執着し身を滅ぼす幼稚さから、村上は斎東は比較的若い神なのだろうと推測していた。


 だが、人が観測する範囲では神の年齢は然程重要ではない。

 斎東がどれほど幼稚であっても神は神だ。

 ひとでなしとして人の生を与えられ、村上以外の誰にも悟られずに人の世にのさばり続けただけでも、人の世に紛れる人ならざる者の中では最上位に位置している。


 多摩を殺害し”知恵”を取り戻した後の奴の反応は、遊んでいたゲームのステージが最終段階に差し掛かった子どものそれに良く似ていた。

 斎東にとって大蜈蚣を駆除する事とは、ごっこ遊びと同義なのだ。

 できるだけ長く苦戦して楽しむ為に、あえて致命傷を与えずじわじわと嬲り殺すつもりなのだろう。


 ――――全くもって悪趣味だった。



 村上は反吐を吐きたい衝動を抑えて、目の前の地獄絵図を見る。

 先程まで楽しく散歩していただろう飼い犬が、飼い主に生きたまま毛皮を剥ぎ取られきゅうきゅうとか細い悲鳴を上げている。

 自身の愛犬に手をかけた飼い主は周囲に「ごめんなさい、殺してくれ!」と泣きわめきながら顔の毛皮を宙に振り回し、その背後で獲物を見つけたヒグマほどの大きさをした鶏が、くちばしを大きく広げ男性を飲み込もうとしていた。


 村上は思わず「やめろ」と後部座席のドアに手をかけようとしたが、それよりも先に山上が燃え尽きたタバコを唾ごと窓の外に吐きつけると鶏に威嚇をした。

 獣の低い呻き声のようなそれに、鶏は甲高い悲鳴を上げその場に卒倒する。車の前に立ちふさがるように横たわったその体を、山上はアクセルを踏み何の躊躇いもなく轢き殺した。


「おい!」

「あーあー、気色悪ぃなあ……もう……」


 ぶつくさと悪態をつきながらも山上は行き交う人を避けながら少しずつ前に運転していく。ぶつかる小さな禍津物に舌打ち、くたびれたスーツの内ポケットから新しくタバコとライターを取り出し火をつける。

 山上はバックミラー越しに歯ぎしりをして激しく睨みつける村上の姿を見つけて、煙と共にため息を吐き出した。




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