第三話 総力戦、そしてほどく
「総員、戦闘配置!」
麻衣の号令とともに、統率された魔物の群れが動き出した。だが、その動きは、以前戦った黒い光の群れとは、明らかに違っていた。
「……なんか、動き、鈍くないか?」
カイルの疑問はもっともだった。突進してくるはずの魔物たちが、明らかに手加減している。爪を立てる素振りだけして、実際には触れずに引く。牙を剥いても、噛みつく寸前で止める。
「隊長、これ、もしかして……」
「ああ。本気で戦う気、ないんだろうな」
俺は、努めて彼らを傷つけないよう、拘束系の編みぐるみを中心に繰り出した。柔らかい網、絡みつくだけの蔦、行動を封じるだけの毛玉。殺し合いではなく、あくまで足止めに徹する。
「これなら、みんな怪我せずに済みそうですね」
バルトの盾も、今日は防御に徹していた。攻撃を受け止めるだけで、反撃はほとんどしない。妙に和やかとさえ言える、奇妙な戦場だった。
だが、麻衣本人だけは違った。
「魔物さんたち、もっと本気を出してください! これじゃあ、あなたたちの強さが伝わりません!」
彼女の号令に応じるように、編み目が輝きを増し、魔物たちの動きが一瞬だけ強制的に加速する。首輪が、ぎゅっと締まる音がした気がした。
「くっ……!」
俺は、その瞬間を見逃さなかった。
◇
「バット丸、正面のモコを頼む。でも、絶対に傷つけるなよ」
バット丸は、任せろとばかりに力強く鳴くと、翼を大きく広げた。
バット丸が、モコの前に立ちはだかる。ぶつかり合いそうになった瞬間――バット丸は、あえて体当たりを軽く受け流し、翼で優しく包み込むように動きを封じた。それから、心配そうにモコの顔を覗き込む。
バット丸の意図を汲み取ったのか、モコもまた、力の抜けたような目でこちらを見つめ返してきた。牙を剥く素振りすら、もう見せなかった。
「隊長、こっちも似たような感じです!」
ゴードンの声に振り向くと、彼のネズミが、小型の魔物たちと戯れるように取っ組み合っていた。傍から見れば戦闘というより、じゃれ合いにしか見えない。
「みんな……本当は、争いたくないんだな」
その光景に、俺は確信を深めた。あとは、この歪んだ支配の構造そのものを、どうにかしなければならない。
「麻衣さん! もう一度言います、魔物たちは、あなたが思っているような戦い方、望んでいません!」
「黙りなさい! あなたに、何が分かるって言うんですか!」
麻衣の声が、初めて悲鳴のように裏返った。かぎ針を握る手に、力がこもる。編み目が、ひときわ強く輝いた。
次の瞬間――モコの首輪が、これまでで最も強い光を放った。
「モコ……!」
麻衣の絶叫にも似た声とともに、モコの体が、苦しげに大きく仰け反った。
◇
「モコ! どうしたの、ちゃんと戦って……!」
麻衣の焦った声に反して、モコは膝から崩れ落ちるように地面に伏せた。荒い息を吐きながら、それでも麻衣の方を、悲しげに見つめている。
「隊長、あれは……!」
「限界が来てるんだ。無理やり力を引き出され続けて」
俺は急いでモコに駆け寄った。近くで見ると、その首輪は、想像以上に複雑に編み込まれていた。何重にも重ねられた編み目が、モコの意志を無視して、力を絞り出し続けている。
「麻衣さん、見てください。これは、モコを助けているんじゃない。追い詰めているだけです」
「そんな……わたしは、ただ、モコの本当の強さを、みんなに知ってほしくて……」
麻衣の声が震えていた。彼女なりの理屈と、目の前の現実との間で、何かが軋み始めているのが分かった。
その時、モコが、震える体を無理やり起こし、麻衣の方へと近づいた。そして、消え入りそうな声で――言葉ではない、鳴き声のようなものだったが――何かを必死に訴えかけた。
「モコ……? 何を言って……」
麻衣は、初めて戸惑ったような顔で、モコを見つめた。長年ともに過ごしてきたはずの相棒の声が、彼女にはまだ、正しく届いていなかった。
ふと、森の奥の方から、ひんやりとした気配が漂ってきた気がした。誰か――何か大きなものが、じっとこちらの様子をうかがっている。そんな感覚に、俺は思わず背筋を伸ばした。だが、目を凝らしても、木々の影が揺れるばかりで、それらしい姿はどこにも見当たらなかった。
(気のせい……か?)
◇
「麻衣さん。モコの声、ちゃんと聞いてあげてください」
俺の言葉に、麻衣は唇を噛みしめながら、モコの前に膝をついた。
「モコ……わたし、間違って、いた?」
その問いに、モコは、ゆっくりと頷いた。それから、地面に爪で、たどたどしく何かを描き始めた。不格好な、けれど確かに意味の分かる絵――畑を耕す魔物と、笑う人間の絵だった。
「これは……」
「多分、モコは伝えたかったんだと思います。魔物は、本当は、争わなくても生きていけるんだって」
麻衣は、絵と、モコの疲れきった顔を、何度も見比べた。
「わたし……ずっと、勘違いしていたんですか? 魔物さんたちのため、だと思っていたのに……」
「勘違いは、誰にでもあります。でも、気づいた今なら、まだやり直せます」
俺がそう言うと、麻衣は震える手で、モコの首輪にそっと触れた。
「ごめんね、モコ。わたし、あなたの声を、ちゃんと聞こうとしていなかった」
モコは、答えるように、麻衣の手に優しく鼻先を擦り寄せた。長年の主従関係の中で、初めて交わされた、対等な言葉のようだった。
周囲の魔物たちも、固唾を呑んでその光景を見守っていた。
◇
「麻衣さん、その首輪、俺にほどかせてもらえませんか」
「……お願いします」
麻衣の了承を得て、俺はモコの首元に編み込まれた糸を見つめた。複雑に絡み合った編み目の中に、最初の一目――すべての始まりとなった結び目を見つけ出す。
「編んで生み出せるものは、ほどいて解除できる。俺がこの世界で最初に学んだことです」
かぎ針の先を、そっとその一目に滑り込ませる。糸を、ゆっくりと引く。
するすると、まるで長年の緊張が解けるように、首輪が緩んでいった。モコの体から、力みが抜けていくのが分かった。
「モコ……」
麻衣が、震える声でその名を呼ぶ。首輪が完全にほどけきったとき、モコは大きく伸びをして、心底安堵したような、深いため息をついた。
それを合図にしたように、周囲の魔物たちが、次々と自分の首輪を見せてきた。
「みんなも……?」
「全部、ほどきましょう。一匹残らず」
俺と麻衣は、並んで作業に取り掛かった。一つ、また一つと首輪がほどけるたび、魔物たちの表情から、張り詰めていたものが抜けていく。中には、その場でごろりと寝転がって、盛大に伸びをする個体までいた。
一匹の小さな魔物は、首輪が外れた途端、まっすぐゴードンの足元に駆け寄ったかと思うと、彼の腰にぶら下げてあった不格好な編みぐるみのネズミに、ものすごい勢いでじゃれつき始めた。
「わっ、お、おい……! それ、俺の作品……!」
ゴードンが慌てて引き剥がそうとするも、魔物は歯を立てるでもなく、ただひたすら夢中でじゃれ続けている。よほどストレスが溜まっていたのか、それとも単に、久しぶりに好きに動ける喜びを持て余しているのか。
「そいつ、お前のネズミがよほど気に入ったみたいだな」
「複雑な気持ちです……」
半泣きになりながらも、ゴードンはされるがままにしていた。よく見れば、その顔は、まんざらでもなさそうだった。
「……こんなに、みんな、疲れていたんですね」
最後の一匹の首輪をほどき終えたとき、麻衣はその場に座り込んで、静かに涙をこぼしていた。




