第二話 正体と決裂
「あの……麻衣さん、でしたっけ。魔物たちは、本当に領土を広げたいと思っているんですか?」
「もちろんです。魔物さんたちは奥ゆかしいから、口には出しませんけれど、心の中ではきっと『もっと暴れたい』『もっと恐れられたい』と思っているはずですわ」
麻衣は自信満々にそう言い切った。その足元で、先ほどの狼型の魔物――麻衣が「モコ」と呼んでいた個体――が、こっそりとため息をついたのを、俺は見逃さなかった。
「その、モコって子は、今どんな気持ちだと思います?」
「モコですか? きっと『もっと領土を広げてみんなを守るぞ』と、燃えていますわ」
当のモコは、麻衣の視界の外で、力なく首を振っていた。
(絶対、燃えてない……)
俺は確信した。この麻衣という女性は、悪意があるわけではない。むしろ、魔物たちのためを思って行動している。だが、その方向性が、盛大にズレているのだ。
「抵抗はほどほどにしてくださいね。わたしだって、これでも手加減しておりますのよ」
そう言って快活に笑う麻衣に、俺は何と切り出せばいいのか分からなくなっていた。
少し離れた場所で、カイルたちがこそこそと耳打ちし合っていた。
「隊長、あの人、もしかして……相当な変わり者ですかね」
「悪い人ではなさそうなんだけどな……」
「さん付けですよ、さん付け。魔物さんたち、って。俺、初めて聞きました」
ゴードンが、感心とも呆れともつかない顔で呟く。バルトも、腕を組んだまま神妙に頷いた。
「魔物にさん付けする人間、儂も初めて見た」
「あの、皆さん、聞こえてますわよ」
麻衣がじとっとした視線を向けると、三人は揃って明後日の方を向いた。
「……あの、麻衣さん。魔物たちの本当の気持ち、一度ちゃんと確かめてみたことは」
「確かめるまでもありません。だって、みんな、わたしを裏切らないと誓ってくれていますもの」
その台詞に、俺は嫌な予感を覚えた。誓わされているのだとしたら、それは決して、本心からの言葉ではない。
◇
押し問答を続けるうち、麻衣がふと、こんなことを口にした。
「そういえば、あなた……その、そのかぎ針、見覚えがありますわね。もしかして、それ……クロバー製、ですか?」
「え? ああ、はい。使い慣れたやつを、事故のときもたまたま持ってて」
「事故……! やっぱり。あの、もしかして」
「もしかして?」
「日本の方、ですか?」
その一言に、俺は思わず息を呑んだ。
「……あなたも?」
麻衣の表情が、初めて崩れた。驚きと、懐かしさが入り混じったような顔だった。
「やっぱり! わたし、入院中に、ずっと編み物をしていたんです。他にできることが、あまりなかったから……。まさか、こんなところで同郷の方に会えるなんて」
その声に、一瞬だけ、女王然とした態度が抜け落ちた。年相応の、どこか寂しげな一人の女性の顔が覗いた。
「俺も似たようなものです。編み物してる最中に、車に轢かれて」
「あら、わたしと似てますね。わたしは、病室のベッドの上で、そのまま……」
互いに、少しだけ黙り込んだ。同じ世界から来て、同じように毛糸を頼りに生きてきた者同士。そのことに、悪くない親近感を覚えたのは事実だった。
だが――。
「でも、だからこそ、あなたにも分かってほしいんです。わたしは、魔物さんたちのために、正しいことをしてるんです」
麻衣の目には、迷いのない確信が宿っていた。同郷であることと、彼女の思い込みが正しいかどうかは、また別の話だった。
◇
その夜、野営の見張りに立っていた俺のもとに、こっそりと一匹の小さな魔物が近づいてきた。麻衣の陣地で見かけた個体の一匹だった。
「お前、こんなところまで……」
その魔物は、震える声――なのか鳴き声なのか判然としないが――で、必死に何かを訴えかけてきた。身振り手振りを見るに、どうやら「助けてほしい」と言っているらしい。
「もしかして、本当は、戦いたくないのか?」
魔物は、勢いよく頷いた。
「麻衣さんに、そう伝えたことは?」
魔物は、悲しげに首を振った。それから、自分の首元をとんとんと叩いてみせる。あの、淡く光る首輪だ。
(言葉にできない、というより……言っても、届かない、ということか)
麻衣は、魔物たちの様子を見て「もっと暴れたがっている」と解釈している。だが実際の魔物たちは、控えめに抵抗の意思を示しているに過ぎないのだ。彼女の圧倒的な善意が、そのサインをことごとく塗り替えてしまっている。
「分かった。俺たちが、なんとかする」
その言葉に、魔物は安堵したように、俺の手にそっと額を擦り付けてきた。バット丸が、仲間を見るような優しい目で、その様子を見守っていた。
翌朝、俺はカイルたちにこの話を伝えた。
「つまり、麻衣さんは本気で善意でやってるってことっすよね……」
「厄介ですね。悪意があるなら、まだ話は早いんですが」
バルトの言う通りだった。純粋な善意が、これほどまでに人を――そして魔物を――追い詰めることがあるとは、俺自身、想像していなかった。
◇
「昨夜、あなたの魔物と話をしました。彼らは、戦いたくないと言っています」
俺がそう切り出すと、麻衣の顔から、すっと笑みが消えた。
「……そんなはずありません。あの子たちは、わたしを慕ってくれています」
「本当にそうなら、直接聞いてみればいいじゃないですか」
「聞くまでもないと、さっきも言ったはずです!」
麻衣の声に、初めて棘が混じった。
「あなた……もしかして、魔物さんたちに丸め込まれているんじゃありませんか? 魔物は、時に人を欺くこともあるんですよ」
「それは、あなたの中の『魔物=悪』っていう思い込みじゃないですか」
その一言に、麻衣の表情が凍りついた。
「思い込みなんかじゃありません! 現世にいた頃だって、小説でも、みんなの話でも、魔物っていうのはずっと、人を襲う恐ろしい存在だって言われてきたじゃないですか」
「……それ、直接怖い目に遭ったわけじゃ、ないですよね」
麻衣は、一瞬だけ言葉に詰まった。それから、目を伏せて、静かに続けた。
「……正直に言うと、この世界で、魔物さんに襲われたことは、一度もありません。それどころか」
「この世界に来た日、わたし、森で行き倒れかけたんです。誰も助けてくれなくて……。そこへ現れたのが、魔物王様でした」
その声には、確かな感謝の色があった。
「魔物王様だけが、わたしを救ってくださった。だから、恩返しがしたいんです。魔物さんたちが、もっと胸を張って、堂々と生きられる世界を作ることが、わたしにできる恩返しだって」
麻衣は、森の奥深くへ、ちらりと目をやった。
「魔物王様は、滅多にお姿を見せません。でも、いつもこの森のどこかから、わたしたちを見守ってくださっているんです。あの日、行き倒れたわたしを見つけてくださったときのように」
「それって、実体験というより……本や噂話の『魔物は怖い』っていうイメージの方が、先に立ってるんじゃないですか」
「そう、かもしれません。でも――」
麻衣は、一度目を閉じてから、まっすぐにこちらを見返した。
「思い込みだったとしても、魔物さんたちに、もっと胸を張ってほしいと思う気持ちは、本物です。それを、簡単に諦めるわけにはいきません」
その動機自体は、決して悪いものではなかった。だが――。
「その恩返しの形が、魔物たちを苦しめているとしたら?」
「……そんなこと、あるはずがありません!」
麻衣は叫ぶように言うと、かぎ針を構えた。
「これ以上、魔物さんたちを惑わすなら――わたしも、力ずくで分からせるしかありません」
こうして、話し合いは決裂した。




