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第一話 不穏な影、そして毛糸の女王

 あの決戦から半年ほど経った、ある日のことだった。


「隊長、また辺境から報告が。北西の国境沿いで、魔物の勢力が急速に広がっているようです」


 カイルが差し出した報告書に目を通しながら、俺は首をひねった。以前戦ったような、統率の取れた黒い光の魔物とはまた違う。ただ、魔物の縄張りが、じわじわと人里の方へ広がってきているらしい。


「被害状況は?」


「それが……妙なんです。占領された村の住人に話を聞いても、みんな口を揃えて『そんなに怖くなかった』『むしろ畑仕事を手伝ってくれた』と」


「畑仕事を、手伝った……?」


 どう考えても、聞いたことのない魔物の生態だった。ロドリクをはじめ、宮廷の重鎮たちも困惑を隠せずにいた。


「魔物が版図を広げているというのに、被害の報告がまるで上がってこない。前代未聞の事態です」


「隊長殿、これは一度、直接視察に向かうべきかと」


 バルトの提案に、俺は頷いた。何か様子がおかしい。この胸騒ぎには、覚えがあった。


(あの黒い首輪のときと、似た匂いがする)


 俺は、バット丸の頭をそっと撫でながら、そう呟いた。バット丸も、心なしか神妙な顔つきで、翼をぱたりと畳んだ。



「行くのは、カイル、ゴードン、バルト、それとバット丸と、ロボットも連れて行こう」


 鍛錬場に集まったメンバーを見渡し、俺はそう告げた。この半年で、隊の面々はすっかり頼れる戦力になっていた。


「隊長、俺のネズミも連れて行っていいですか」


「今回は偵察も兼ねてるからな。荷物持ちとして期待してるぞ、ゴードン」


「はい! 任せてください!」


 嬉しそうに敬礼するゴードンに、周りが小さく笑う。すっかり隊の空気に馴染んだ光景だった。


 数日かけて国境近くまで進むと、遠目にも異様な光景が広がっていた。畑や集落のすぐ脇に、当たり前のように魔物たちが群れているのだ。それなのに、村人たちは普段通り畑仕事に精を出している。


「……なんだ、これ」


 カイルが呆然と呟いた。俺も同じ気持ちだった。魔物と人間が、争うどころか、奇妙な距離感で共存しているように見える。


「村長さん、あの魔物たちは……」


 通りがかった村人に尋ねると、彼はどこか困ったような笑顔を浮かべた。


「ああ、あの子たちね。急に住み着いて、畑を耕すのを手伝ってくれるようになったんだよ。ただ、その……」


「その?」


「なんというか、みんな心なしか、疲れた顔をしているんだよなあ」


 その言葉に、俺は言いようのない胸騒ぎを覚えた。



 村の外れ、森との境目に近づくと、規則正しく整列した魔物の一団が見えた。指揮官らしき大きな個体の号令に合わせて、隊列を組んで移動している。


「あれは……」


 整った動き自体は、以前戦った黒い光の群れを思い出させた。だが、決定的に違う点があった。


「なんか……みんな、足取り重くないか?」


 ゴードンの言う通りだった。魔物たちの動きは統率されているものの、心なしか、げんなりとした空気を纏っている。隊列の後ろの方では、小さな魔物が欠伸を噛み殺しながら歩いていた。


「まるで、やらされてる仕事、みたいな」


 カイルが呟いた言葉に、俺は妙に納得してしまった。


 よく見ると、先頭を歩く一際大きな狼型の魔物の首元に、見覚えのある意匠の首輪が光っていた。


「あの首輪……!」


 半年前、あの決戦で目にしたものと、ほとんど同じ意匠だった。だが、あのときの禍々しい黒い光とは違い、こちらは淡く、どこか儚げな光を放っている。


「隊長、どうします」


「……ひとまず、様子を見よう。何かがおかしい」


 俺たちは物陰に身を潜めながら、その一団を見送った。魔物たちの誰一人として、俺たちのことを敵として認識していないようだった。むしろ、疲れきった顔で、そそくさと通り過ぎていっただけだった。



 その日の夕方、俺たちは森の奥に築かれた、奇妙な陣地に辿り着いた。


 そこには、丸太と蔦で組まれた簡素な玉座があり、その上に、一人の女性が座っていた。歳の頃は俺と同じくらいだろうか。柔らかそうな栗色の髪を三つ編みにし、膝の上には編みかけの巨大な毛糸玉を抱えている。


「あら、お客さん?」


 女性は俺たちに気づくと、にこやかに立ち上がった。その手には、見覚えのある――かぎ針。


「はじめまして。わたし、毛糸の女王、麻衣と申します」


 朗らかに名乗る彼女に、俺は思わず身構えた。周囲には、先ほどの疲れた顔の魔物たちが、ずらりと控えている。


 それにしても、と思う。物腰も言葉遣いも、どこかお嬢様然としていて浮世離れしている。修羅場のはずのこの状況で、彼女だけがまるで、お茶会にでも招かれたかのような余裕を纏っていた。


「あなたが、この辺りの魔物を従えている……?」


「従えているだなんて、心外です。わたしはただ、魔物さんたちのお手伝いをして差し上げているだけなんですから」


 彼女は胸を張って、堂々とそう言い放った。


「お手伝い?」


「そうなんです。魔物さんたちって、本当は立派で、恐ろしいはずなのに、なぜか遠慮がちで……。だから、わたしが編み物の力で、後押しして差し上げているんです。これも、わたしを助けてくださった魔物王様への恩返しなんですの」


 あまりに堂々とした物言いに、俺は返す言葉を失った。背後で控えている魔物たちの目が、なぜか一様に虚ろだった。


(……これは、思っていたのと、根本的に何かが違う気がする)


 俺は、なんとも言えない予感に襲われていた。

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