枯れない薔薇の少女
チリンチリン、鈴の音が部屋に響く。
この音を聞いて私たちはすぐに食堂の席の前に起立した。
「「「おはようございます。マーガレット院長先生。」」」
「おはよう。」
白髪混じりの焦茶の髪と、狐のように吊り上がった目、マーガレット・トレントはこのドロレア孤児院の院長だ。
孤児のことを奴隷か商品としか思っておらず、最低限の衣食住だけ与え、奴隷のようにこき使う。
反抗的な子供や気に食わないことがあるとその腰に下げた鞭で背中を打ちつけられ、地下倉庫に三日間飲まず食わずで閉じ込める悪魔のような女だった。
過去の私は彼女が恐ろしく、早く孤児院から逃げたい気持ちから神殿に身寄りを移した。しかし、この悪魔を野放ししたせいで、マリーは女癖が悪いと噂の貴族に売られ、ラッシュたちはリリアナの生贄にされた。
まずはこの女を追い出すことが新しい人生の第一歩となるだろう。
「院長先生、おはようございます。
今日のスープは私が仕込んだんです。」
「あら、リリアナ。ありがとう。あなたのスープはとても美味しいから楽しみだわ。」
リリアナはその可憐な容姿と人懐こい性格から院長のお気に入りだった。そのため、リリアナの服だけは他の子どもよりも良い生地だ。
昔はリリアナが気の利く良い子だからだと思っていたが、それは違う。リリアナは自分は奴隷ではなく“商品”としての価値があると院長にアピールしていたのだ。
「本当に、リリアナはいい子ね。
それに比べて、そこのドブネズミはこの施設に赤ん坊のころからいるのにいつまで経っても出て行きやしない。
まったく役立たずだよ。」
一方の私は一番嫌われていた。他の子どもはある程度の預け金を渡されて引き取られたのに、私だけは玄関先に捨てられていたからだ。
「あ、あの…院長先生……!今日はバザーの日ですから、私とザックとリリアナが行きます。」
院長の私への嫌味が続く中、マリーが話題を変えるために声を上げる。今日は月に一度のバザーの日で、私たちは内職で作った布の造花を売りに出す。
いつもは計算が得意なマリーと見栄えが良いリリアナが行くが、今日だけはそうはいかなかった。
「あの、院長先生。今日は私がついていっていいですか?
リリアナにはいつも任せちゃってるし、私もマリーやザックのように働けるようになりたいんです。」
「珍しく良い心がけだこと。いいわ、いってきなさい。その代わり全ての品物が売れなかったら、売れ残りの数だけ鞭打ちするわよ。」
わかりました、と返事をする私の横で、リリアナが心配そうに眉尻を下げた。
「エリシア、本当に大丈夫?今日は前の分の売れ残りも合わせて50個もあるのに…。私が院長に罰を軽くしてもらえるようにお願いしようか?」
表面上は心配しているような素振りをしているが、瞳の奥では私が鞭に打たれるのを楽しみで仕方がないというのが隠せていない。
「大丈夫よ。心配しないで。」
いつもの私なら鞭に打たれる恐怖からリリアナに泣きつき、彼女が院長に頼み込むことで余計に院長の怒りを買って罰が増えたことだろう。
「でも……私が頼めば院長先生だって…」
「リリアナ、そう言って前に私がどんな目にあったのか覚えてないの?鞭打ちされたうえに三日間も食事抜きで地下倉庫に閉じ込められたのよ?
リリアナは私にまた同じ目にあってほしいの?」
「そんなこと……!!」
「リリアナ、食事中に騒ぐなら今すぐここから出て行きなさい。」
いつもと様子が違う私にリリアナはピクリ、と眉を寄せ、苛立ったように声を上げる。
さすがの院長もそれを許せなかったのか、リリアナは叱られ、ほとんど食事に手をつけないまま食堂から追い出されることになった。
「………失礼しました。」
震える声から怒りが伝わってきて、私は笑みを抑えきれない。記憶のリリアナよりも幼いためか、はたまた私の精神が大人だからか、彼女の考えが手に取るようにわかり、おかしくて仕方なかった。
「エリシア姉ちゃん、本当に平気?」
8歳のジニーが服の裾を引っ張り、心配そうに見上げてくる。
「大丈夫よ。良い考えがあるの。
それに、今日だけは必ず行かなきゃいけないから。」
ジニーの頭を撫でながら、回帰前のことを思い出す。
今日、バザーでマリーとリリアナの屋台は酔っ払いの喧嘩に巻き込まれ、マリーはリリアナを庇って顔に怪我をした。
血塗れで施設に帰ってきたマリーにしがみつき、“傷が無くなればいい”と願ったら神聖力が開花したのだ。
今回は神聖力があることを隠して生きることを決めた以上、マリーに怪我をさせるわけにはいかないのだ。
まず、私はバザーに行く前に自室に戻り、ボサボサで絡まった髪に櫛を通すことにした。なんと根気よくやれば、埃でくすんだ銀色の髪がわずかに輝きを取り戻した。
水で顔を注ぎ、タンスの中で一番綺麗な服に袖を通せば、貧相な体つきは隠せないものの、リリアナに劣らない可憐な少女が鏡に映っていた。
「うん、中々ね。これでも前は白百合の聖女なんて呼ばれていたのよ。」
聖女教育で学んだ礼儀作法と完璧な表情管理があれば、御伽話にでてくる憐れで可哀想な美少女の出来上がりだ。
「わぁ、エリシアお姉ちゃん、すごく綺麗!」
「きれー!」
部屋から出ると7歳のレベッカと3歳のクリスがパチパチと拍手をしてくれる。その声に気づいたリリアナがこちらを見ると、一瞬目を見開いた後に演技を忘れて恨めしそうな顔をしていた。
「どうしたの?リリアナ。」
「う、うん。エリシアがいつもと違うからビックリしちゃって…」
「物を売るんだもの。髪くらいとかさないとね。」
「あら、エリシア!可愛いわね。
こんな可愛い子がいたら今日はたくさん売れるわ」
「そんなこといって、マリー姉さん目当てのお客さんの方が多いんじゃないの?」
「まさか!そんなわけないでしょ!
さぁ、行きましょ!」
マリーは謙遜しているが、彼女は気立がよく愛嬌があるため街ではかなりの人気者だ。この孤児院の評判が良いのもマリーのおかげでもあるため、院長もこの歳まで里親に渡さなかったのだ。
さらに頭も良いため、この孤児院の経営はマリーによって成り立っているといっても過言ではない。
「……あれ?それなら何でマリー姉さんは、貴族のところに…?」
院長にとって私たちが奴隷、リリアナが商品だとするとマリーは給料のいらない従業員だ。あの貴族にメイドとして売り渡すならマリーでなくともいいはず……そこまで考えていたところでザックがひいていた荷車が止まった。
「よーし、着いたぞ。
俺はこのまま新聞売りに行くから、お前たち頑張れよ。
帰りも俺が運んでいくから。」
「うん、いつもありがとうね。」
ザックは荷車から荷物を下ろした後、駆け足でその場を去っていく。その後ろ姿を見送った後、私はマリーの脇腹をひじでつついた。
「マリー姉さん、愛されてるねえ」
「こらっ、変なこと言わないの!」
マリーを茶化しながらもバザーの準備は進んでいく。
「流石に考えすぎだったかな…」
“マリーがリリアナを庇って怪我をした”というのが引っかかり、まさかとは思ったが、どうやら勘ぐりすぎたようだ。
「とにかく、今はこの造花を売るのが先決ね。」
マリーの顔馴染みの客がちらほら買ってくれてはいるものの、完売まではほど遠い。
私は空箱を首に下げ、造花が入った籠を持つと大通りへと向かった。
「こんにちは、私たちの孤児院に寄付をしてくれませんか?寄付をしてくださった方には勇気と善行のしるしとして枯れない花を差し上げます。」
できるだけ可憐に、御伽話の少女をイメージして通りすがる人々に声をかける。すると、平民にしては小綺麗な格好をした老夫婦が足を止めてくれた。
「可愛らしいお嬢さん、お花を売ってるの?」
「いいえ、わたしたちは人に売れるような物はまだ作れません。なので、寄付をしていただいた方にせめてものお礼としてお花を配っているんです。
不恰好ですが、一本一本感謝の気持ちを込めて作ったものです。」
少し拙い口調で、恥ずかしそうにしていると、老夫婦は顔を見合わせたあと、硬貨を数枚箱に入れてくれた。
「ありがとうございます。
あなた方に幸せが訪れますように。」
「こちらこそ、心のこもったお花をありがとう。」
老夫婦は花を大切そうに一輪ずつ抱えるとその場を去っていった。その光景を見ていた人々も少しずつ寄付をしてくれたことで、花はあっという間になくなった。
「すごいわ、エリシア!まさか全部売れるなんて…!それに売上金も予想以上よ!」
「マリー姉さん、これは売ったんじゃないの。寄付のお礼にあげたのよ。」
早めに仕事を終えたザックと合流し、手持ちの金額を確認する。箱の中には銅貨52枚と銀貨12枚あの花の値段は1本銅貨1枚のため、かなりの儲けだ。
「寄付のお礼?どういうことだ?」
「最近、貴族の中ではチャリティーが流行っていて、孤児院や救貧施設に寄付をしたり、そこで作った商品や作品を買って展示するらしいの。
バザーの日にはお忍びの貴族が多いから、寄付の“感謝のしるし”に手作りの花をプレゼントする方が貴族たちからの注目を集めやすいと思ったの。」
さらに寄付で金額が決まっていないため、普通に売るよりも儲けやすいのだ。そう何度も使える手ではないが、これだけ手元に金が残れば充分だ。
「これだけ金があれば院長も満足するだろうな!」
「違うわ、ザック兄さん。院長に渡すのは、造花の金額分の銅貨50枚だけよ。こんな大金を稼いできたと聞いたら、泥棒を疑われるか、もっと稼いでこいとこき使われるかのどちらかに決まってるんだから。」
「そんなこと………」
「ないとはいえないな…」
お気に入りのリリアナならともかく、私たちの成果を喜び褒めてくれるような人柄ではないことは私たちはよくわかっていた。
「それならどうするんだ?そんな大金」
残りの金は銅貨2枚と銀貨12枚、両親と子ども1人の3人家族が1ヶ月暮らせるのが銀貨5枚程度とされているので、これはかなりの大金と言える。
「マリー姉さん、この間15歳になったのよね?」
「ええ、そうだけど」
マリーは先月15歳を迎え、法律上は成人となった。わたしはマリーの手を引いて町の証券取引所へと案内する。
「こ、ここって証券取引所じゃない!株なんて私わからないわ!」
この国では成人であれば、平民でも少額から証券を買うことができる。
もっとも、読み書きと計算ができる者に限られるため、利用する平民はそう多くないのが現状だ。
「大丈夫よ。私に任せて。
マリー姉さんはこのお金でレッドフォールド造船所の株を買ってきてほしいの。そのまま姉さん名義で証券を保管しててもらって。」
「レッドフォールド造船所なんて聞いたことないぞ?同じ造船所ならルーセント造船所の方がいいだろ。あそこは第一王妃の実家が出資してるって噂だし…」
さすがは毎日新聞販売をしているだけあって、ザックは情報通だ。堅実な考え方をしているところも商人には向いているかもしれない。
ただ、私は未来を知っているのだ。ルーセント造船所は目玉だった大型貨物船が欠陥により沈没し、多額の賠償を支払うことになり倒産する。王妃の実家はこの出来事がきっかけでかなりの打撃となるのだ。
一方のレッドフォールド造船所はルーセント造船所がなくなったことで、一気にこの国の造船業の筆頭に躍り出ることになる。
「ザック兄さん。利益を得るためには冒険も必要なのよ。」
ニンマリ、と笑う私に2人は顔を見合わせる。
マリーは戸惑いながらも証券を買い、私たちは帰路に着こうとしたその時だ。
「おー、ガキども。随分と儲けたみたいだなぁ」
鼻につくアルコール臭と、夕暮れで伸びた影が私たちを包み、視界が急に薄暗くなる。
「その金、おじさんに貸してくれよぉ」
酒瓶を持った大柄の男、目の焦点は合っておらず、呂律も回っていない。間違いなく回帰前にマリーを傷つけた男だと確信した。
「このお金は、私たちの孤児院で必要なものです…!やめてください!」
マリーは勇気を振り絞って銅貨の袋を胸に抱く。
ザックも私たちの前に立ち、守ろうとしてくれるが体格差は圧倒的だ。
「あ?どうせ俺たちから盗んだ金だろうが!」
「ぐっ!!?」
「「ザック!」」
男の手によってザックは突き飛ばされ、マリーに向かって空の酒瓶が振り上げられる。
このままではまた怪我をしてしまう。咄嗟にマリーを突き飛ばし、酒瓶とマリーの間に入ったはいいものの、このままでは私の頭が砕けてしまうかもしれない。
「この、汚いドブネズミどもが!!」
ガシャン!という瓶が割れる音と、悲鳴が聞こえる。しかし、想像していた痛みは全くこなかった。
「え?」
「ドブネズミはどっちだ。このクズめ。」
視界に入ったのは自分と同じ……いや、それ以上に美しい髪。まるで月をそのまま写しとったかのような白金色と海の色を切り取ったような深い青の瞳だった。
「そ、その紋章は………!ひぃぃ!」
酔っ払いは突如現れた銀髪の男の胸元を見て顔を青ざめさせる。そこには狼をモチーフにした紋章がつけられていた。狼の家紋と銀色の髪、私は…いやここに住んでいる全ての人間がその存在を知っていた。
国王の甥で大公家の唯一の直系にして、我が国最強のソードマスター……ギルベルト・ローゼンベルグだ。
睨みひとつで大型魔物を気絶させると噂の彼と出会ったことで、男は白目を剥いて気絶した。
「大公殿下、大丈夫ですか?」
「問題ない。あの酔っ払いはあとで治安部隊に引き渡しておけ。」
あとから近寄ってきた側近らしき男に端的な指示をすると、ギルベルト大公は私を抱えていた手をはなし、服についたガラスを払った。
「あの、ありがとうございます…!」
慌ててお礼を言うと、ギルベルト大公は少し目を丸くしたあと、また無表情に戻って背を向ける。
過ぎ去っていく背中を見送ったあと、我に帰ったザックとマリーに抱きしめられ、私たちも孤児院に帰ることにした。
「え……全部売れたの……!?」
「そうよ!エリシアのおかげでね!おかげで院長もご機嫌だったわ!」
孤児院に帰ると、まさか本当に売り切るとは思っていなかったのかリリアナが驚きすぎて硬直していた。
子どもたちは手を取り合って喜んでいるなか、リリアナは爪を噛み、私を憎悪の目で睨む。
その様子を横目で見た私は、気づかないふりをして頭に刺していた布の造花をリリアナに渡した。
「ねぇ、リリアナ。どうやら私は運がいいみたい。
貴女にもお裾分けしてあげるわ。これから良いことがたくさん起こりそうじゃない?」
「あ、ありがとう…」
花を受け取ったリリアナは引き攣った笑みを浮かべていて、悔しそうな顔を隠せずにいた。私はそれを見て目を細めると、リリアナに背を向け、心の中でつぶやいた。
リリアナ、あんたへの憎しみは決して枯れない。
私の幸せはあんたに手折らせはしないわ。




