悪女が生まれた日
不思議な感覚だった。
体は地面に沈んでいるように重たいのに、心は宙に浮いているように軽かった。
意識はあるのに、目は開かず、言葉を出したいのに口が開かなかった。
「正気なのか?時を戻すなんて…」
「えぇ、もともと私が招いた種です。
この子には辛い運命を背負わせてしまいました…。これはせめてもの罪滅ぼしです。」
誰かが真剣に話しているのが聞こえる。
戸惑う男性の声と悲しそうな女性の声だ。
「だが、お前が眠りについたらアイツの封印はますます弱まるぞ…」
「そうですね…、だからこの子には私の力の一端を授けようと思います。きっと、うまく扱えるはずでしょう。」
おそらく女性であろう手が額の上に置かれ、身体の奥に暖かい何かが流れてくるのがわかった。
「さあ、可愛い私の子、今度こそ幸せにね。」
待って、と声を出したくても身体はピクリとも動かず、ゆっくり意識が沈んでいく。ただ、頭を撫でるその手はまるで母親のように優しく、なぜだかとても泣きたくなった。
カンカンカンカン!!!
「なに!!?」
頭に響く甲高い金属音に飛び起きる。
ギシ、と寝ていたベッドが大きく軋む音がした。
「え、、い、生きてる……?」
おそるおそる自分の首に手を当てる。頭と胴体は間違いなくつながっており、ドクドクと波打つ心臓の音も聞こえる。ただ、なぜ涙が出ているのかだけはわからなかった。
「誰かの声が聞こえたと思ったんだけど…」
「エリシア?どうしたの?」
呆然と頬を湿らせる涙を拭き取ると、上から声がかけられた。顔を上げると、リリアナが2段ベッドの上から心配そうに覗き込んでいた。
「リ、リリアナ……!!!アンタ、なんで…!」
「?エリシア……?本当にどうしたの?様子が変よ?」
演技ではなく本気で困惑した様子のリリアナに私はハッと口を塞ぐ。冷静になって周りを見れば、ここは神殿の自室でも牢獄でもない。10年前まで暮らしていた孤児院の部屋だ。
よくリリアナを見れば彼女も使い古されたワンピースを着ているし、顔も随分幼い。
「ねぇ、今は何年?何月何日?」
「え?なにいってるの?今は聖歴490年の4月1日でしょ?」
490年ということは本当に10年前に戻ってきたようだ。
ただ、季節は真冬ではなく今は春。なにより今日は神聖力が発現した日だ。
「エリシア?本当に大丈夫?」
「えぇ、もちろん!ちょっとボーッとしてただけ!
さぁ、はやく食堂に行きましょう。院長先生に怒られちゃうわ!」
ニコリと笑みを貼り付け、リリアナの背中を押して部屋から出る。リリアナはまだ納得していないようだったが、孤児院の朝は忙しくそれ以上は追及してこなかった。
「お姉ちゃんおはよう!!!」
食堂に降りると子供たちが忙しなく朝の支度に動いていた。そのうち、硬い黒パンを運んでいた5歳くらいの少年がこちらに気づき大きな声で挨拶する。その声に気づいた周りの子供たちもすぐにこちらに向かってきて、おはよう、と声をかけてくれた。
「みんな……!」
ここドロレア孤児院は私とリリアナを入れて10人の孤児たちが暮らしており、私とリリアナは下の子供たちから姉のように慕われていた。
神殿に行ってからは外出が制限され、こうして会うのは8年ぶりだ。感極まって全員を抱きしめると、クスクスという笑い声が耳をくすぐった。
「ラッシュ、ジニー、レベッカ、ドロシー、グラン、クリス、みんな………おはよう。」
「どうしたの、お姉ちゃん。苦しいよぉ!」
「みんな、なにしてるの?早く支度なさい。」
「なんだ?朝から随分賑やかだなぁ」
子どもたちとの再会に浸っていると、階段の上から呆れたような声と楽しそうな声がかけられる。その声は随分と懐かしいもので、私はハッと顔を上げた。
「マリー姉さん!ザック兄さん!」
見た目はおっとりとしているが、しっかり者のマリーとお調子者のザックは私よりも年上でこの後直ぐに働き先が見つかり、孤児院を出て行ってしまうのだ。
心優しく実の姉のように慕っていたマリーは貴族にメイドとして雇われ、そこの主人に無理矢理純潔を奪われ、自ら命を落とし、それを知ったザックは復讐しようとして貴族の護衛に殴り殺されてしまった。
まさかもう一度会えるとは思わず、私は2人に思い切り抱きついた。
「もぉ、エリシアったらどうしたのかしら。」
「なんだ、もう10歳なのにまだ甘えん坊か?」
「ううん、なんでもないの」
こっそり涙を拭き取り、2人から離れる。
どうして過去に戻れたのかわからないが、今度こそ、私は彼らを守ってみせると心に決めた。
そのためにはまず、マリーとザックの不幸な未来を変えて、この孤児院をリリアナが手を出せないくらい安全な場所にしなければならないだろう。
「リリアナ、今度は貴女の思い通りにはさせないわ。」
今までの私は馬鹿正直に善行には善行が返ってくると信じ、死ぬまで自分の愚かさに気づかなかった。
私の善行によって実った果実を他人が奪うのなら、私はもう分け与えるのはやめよう。
全ての人を愛し、平等に慈悲を与えるのが聖女なら、これからは魔女にも悪女にもなってやろう。
慈悲深く愚かな聖女はあの時死んだのだ。
私は子どもたちと笑い合う、リリアナの横顔を遠くから見つめ、固く誓った。




