踏み出した一歩
その晩、私は今日起こったことを整理した。
まず、前回と同じく酔っ払いが現れたが、マリーの怪我は防ぐことができた。つまり未来は変えられるということだ。
ただ、未来を変えたことで、回帰前にはなかったことも起きた。
「ギルベルト・ローゼンベルグ大公…」
この街は大公領の一つではあるが、大公は夫人を亡くしてから狂ったように魔物討伐に明け暮れ、滅多に表にでることはなく、彼とマリーたちが出会ったとは回帰前に聞いたことがなかった。
「いや、名前は聞いたことがあった………確かザックが……」
回帰前、新聞販売をしていたザックが、近隣の魔物退治のためにこの街に大公が来ると話していたのを聞いたことがあった。あの頃はすでに神殿に引き取られることが確定していたので特に気にしなかったが、今は違う。
マリーが貴族に売られることを阻止し、あの院長を追い出すためにはどうしても貴族の力が必要だ。それも権力は大きいほどいい。
「確か行方不明の娘さんを探してるのよね。国王は再婚を急かしてるとか…」
冷酷だといわれる大公だが、夫人への愛情深さは有名だ。回帰前は生涯妻だけしか愛することはなく、国王の婚姻命令も拒み続けた。結局そのせいで叔父である国王との確執に繋がり、大公領の資産だった鉱山地域を没収され、さらに過酷な魔物討伐に送り込まれることになったそうだ。
「ということは、取り入る隙はあるかも…」
そうと決まれば話は早い。私はすぐに眠りにつき、明日に備えることにした。
翌日、回帰前の記憶通りわたしは院長からお使いを頼まれた。孤児院を出てすぐに、大公が泊まっていると聞いたこの街で一番大きな宿に向かうと案の定、昨日見かけた側近の男が宿の前に立っており、大公はちょうど馬に乗るところだった。
「待ってください!!」
大声で声をかけると、側近の男がギョッとした顔をする。
私は大公が足を止めたことを確認すると、そのマントを握りしめ、頭を下げた。
「あの、私を………私を養子にしてください!!!」
「…………なんだと」
冷たく低い声に背筋が凍る。
その声からは殺気すら感じ、気を抜くと足が震えそうになるのを必死で堪え、その青い瞳と目を合わせた。
「私を養子にしてくれれば、あなたの悩みをひとつ解決できます。もちろん、貴方の娘が帰ってきたらすぐに養子縁組を取り消してくれて構いません。」
「…………」
ギルベルト大公は何も言わない。
やがて私の手を振り払い、馬に乗ると側近に短く出発の意を告げて馬の腹をかるく蹴った。
「私、ドロレア孤児院のエリシアです!!!」
最後に叫んだその言葉が届いていたか確認する術はない。大公の養女になれなくともまだ別の手はある。
ただ、あの時酔っ払いから守ってくれた時の手の温もりがなんとなく忘れられなかった。
「ただいま戻りました」
お使いを終えて孤児院に戻るころには既に夕方になっていた。扉を開き、荷物を置いた瞬間、突如髪を引っ張られ、床に叩きつけられた。
「あぐっ……!?」
「この小賢しいドブネズミめ!アンタ、昨日の造花を全部売り切ったと嘘をついたわね!」
床に叩きつけられた衝撃で鼻血が垂れる。チカチカする視界で院長の方を見ると、その手には造花が握られていた。
あれは、昨日リリアナに渡した失敗作だ。
「鞭で打たれるのが怖くて嘘をついたのかい!?
あの金はどこで手に入れてきた!?どうせ盗んできたんだろう…!!」
バシンッと思い切り頬を打たれ、口の中が切れる。
どうやらリリアナは昨日の腹いせに院長に私が造花を売らずに金を盗んだとでっちあげたらしい。
「違います…!本当に私は売りました…!あれは失敗したやつで…「黙りなさい!!!」」
今度は鞭で殴られ、頭が揺れる。逃げようとすると背中、足、腕に鞭が振るわれた。
子どもたちはマリーによって巻き添えをくわないように避難されている。だいぶ計画が早まったが、プランBを進めるべきだろう。
私はなるべく抵抗をして、顔や腕など見えるところに傷をつくった。身体中が痛みでどうにかなりそうなのを堪えて、私は最後の力を振り絞り、院長を押し退け、外に出た。
「この…待ちなさい!!」
院長が鬼のような形相で追ってくる。
ボロボロの体で孤児院の外門を開けると、私は大きな声で叫んだ。
「痛いっ!ごめんなさい!!!!ごめんなさい院長!!」
孤児院の外は人通りが多い。周りの人々は一斉にこちらを見る。今までなら誰も気にしなかったが、今は違う。
「見て、あの子“枯れない薔薇”の女の子じゃない?」
「可哀想に、あんな院長に育てられてるなんて」
あのバザーで配った造花は慈愛の証として“枯れない薔薇”と名付けられた。おかげでドロレア孤児院は有名になった。本当は大公の養女になって院長を解任したかったが、話題の少女が暴行されるというショッキングなニュースを大勢の目に知らしめれば、役人も放って置けないはずだ。
「い、嫌ですわ…これは教育の一環でしてよ…」
顔では笑っているが、院長が内心怒り狂っているのがわかる。折られそうな勢いで腕を掴まれ、無理やり立たされる。孤児院に戻ればもっと酷い折檻が待っているだろうが、それでもいい。酷ければそれだけこの女の罪が増えるだけだ。
「待て。」
覚悟を決めて腕を引かれるまま孤児院に戻ろうとした瞬間、低い声が響いた。
「ここの孤児院は随分手荒な教育をしているようだな。」
「た、大公殿下………!!?い、いえ、これは……」
突然現れた大公に院長は顔を青白くさせ、慌てて手を離す。大公は言い訳を絞り出そうとする院長に目もくれず、鼻血を垂らし、顔と腕を腫らした私を見ると僅かに眉を寄せ、舌打ちを漏らした。
「………この娘は俺が引き取る。養子縁組の書類は後で部下に渡して置け。それと、この孤児院の調査をするよう通達しておく。」
「そ、そんな大公殿下……!」
まさか本当に養子にしてくれるとは思わず、唖然とする。
何か言おうと口を開こうにも口の中が切れていることを思い出し、痛みで口をつぐんだ。
「お嬢様、こちらで手当しましょう」
側近の男性によって馬車の中に連れられる。丁寧に怪我をしたところを手当してくれた男性は、手当の道具を仕舞うと胸に手を当てて頭を下げた。
「私は大公殿下の側近をしているスコット・トレヴァーと申します。」
スコットは鞭の跡やアザを見るたびに眉を寄せていたので、おそらく優しい人なのだろう。そんな彼が冷酷非情といわれる大公の側近というのがなんだか意外だった。
「……無謀だな」
馬車の扉が開き、大公が乗り込んでくる。相変わらず眉間に皺を寄せたままの無表情だが、声には少し苛立ちが滲んでいるようだった。
「あの、大公殿下………どうして」
「お前が頼んできたことだろう。
俺が養子を断ったことであんな三文芝居を繰り返されたら目覚めが悪い。」
はぁ、とため息を吐く大公は想像したよりも人間らしく、私は思わず目を丸くする。
大公がスコットに無言で手を差し出すと、スコットは懐から十枚ほどの書類を取り出し、大公に渡した。
「あの院長の女は寄付金を横領していただけではなく、里親から譲渡費用を不正に受け取っていた。
これが発覚した以上、院長は解任され、法の裁きを受けるだろう………これで満足か?」
乱雑に書類を馬車の座席に投げるように置く。手にとって見てみるとそこにはマーガレット院長の経歴や孤児院の寄付金の記録などが事細かに記されていた。
どうやら彼女は数多くの違法行為に手を染めていたらしい。回帰前にマリーを貴族に売ったのも、もしかしたらこの事をマリーが気づいてしまったからかもしれない。
「まさか、今朝お会いしてから、この短い時間でここまで調べたんですか?」
「いえ、大公殿下がドロレア孤児院について調べたのは昨日からです。」
「え?」
「昨日、腕や足に痣やミミズ腫れがあるのが見えた。」
驚きのあまり書類から大公の方に顔を向けると、大公は無表情のまま答えた。
まさか、それだけで孤児院を調査してくれたとは思わず、私は大公を凝視する。その視線に気づいたのか、大公は眉間の皺をさらに濃くした。
「…なんだ」
「いえ、大公殿下は………噂よりずっと優しい方だと思いまして。」
なんと言えばわからず、正直に思ったことを話すとブッと吹き出す音が聞こえた。音の方をみるとスコットが必死に笑いを堪えていたが、大公が睨みを効かせたことですぐに真顔に戻った。
「お前の目論み通り院長は解雇され、俺の養子になった。今度はお前が約束を果たす番だ。もし役に立たなければすぐに追い出す。いいな?」
子ども相手に殺気を滲ませ脅してくるなんてやはり優しいという認識は間違っていたかもしれないと思い直す。
なんとか首を動かして頷くが、まるで腹を空かせた猛獣に睨まれているような気分だった。
身体中は痛いし、養父は恐ろしいが、その甲斐あって運命は変えられた。マリーは貴族に売られることはないし、ザックが殴り殺されることもない。
ザックたちがリリアナの生贄になる可能性もグッと減っただろう。
私は運命を変えたのだ。




