2、灯火の消える夜
このお話はムーンライトノベルズに掲載中の
【R18】人質同然だったのに何故か普通の私が一目惚れされて溺愛されてしまいました
https://novel18.syosetu.com/n9568hg/
の登場人物、炎のセイレーンこと、ヘリュ・イリニヤ・ヴィルッキラが主役のスピンオフ作品です。
とはいえ、この話単品でも全然読めます。
R18のTL小説ですが、世界観の補完目的で読むとより世界に奥行きが見えて楽しんでいただけると思います。
是非是非ご一読下さいませ。
暮れかかった空の下を駆けて亭に着くともう皆揃っていた。
亭には幾つかのココナツ油のランプが吊るされ、仄かな光量で亭内を灯していた。
朝会ったイラやユホ、その他に4歳から12歳までの子供達8人が長机の前に並んで床に座っている。
その長机を挟んだ向かいには年配の男がニコニコと微笑んで背を丸めて座り、子供に文字を教えている。
「あ、ヘリュ来た!」
「遅かったね、ヘリュ」
ヘリュは笑顔で手を振って出迎えてくれたイラの隣に座りながら答えた。
「黒板忘れちゃったんだ」
イラの隣にはユホがいる。机に両腕を乗せて、身を乗り出しヘリュに訊ねた。
「今日もイラリさん来たのか?」
「うん、来たよ」
「イラリさん、イリニヤさんの事ホント気に入ってるよな」
「こら、ユホ。お喋りは後にしなさい」
年配の男はヘリュの前に立って、やはりニコニコと笑いながらユホを窘めた。
「はーい、先生」
この先生と呼ばれる男は5年ほど前,、島に流れ着いてきた。
元々はこのシビディア大陸の北東に位置するヴィンゼンツ大陸のボラオルーシ王国で神父をやっていたらしいが、破門されて国を出たという。
この島に来てからはこうして夜はこの亭に集まっている娼婦の子供達に読み書きを教えている。
ヘリュも4歳からこの亭で過ごしていたので、その頃から読みを教わって大体読める様になった。
今は書く練習をしているところだ。
先生はヘリュの前に小さな椰子殻で作られたランプを置き、ヘリュの黒板にチョークで字を書く。
「ヘリュは今日はこの文字を覚えようか。さて、読めるかな?」
「はい。『大きな海』」
先生はニコニコと笑ってヘリュの頭を撫でた。
「そう、正解だよ。じゃあ、まずは10回書いてみようか」
ヘリュはチョークを握って早速先生の字を真似て書く。
こうして何かに集中してる時、ヘリュはあまり周囲の様子が意識に入ってこない。
皆が話してるのはわかっているけど、遠くの事の様に感じる。
そして先生はいつも10回と指示するが、ヘリュは気が付くと50回、放っておくと本人が覚えたと納得するまでずっと書き続けてしまう。
そんなヘリュの事を先生は素晴らしい集中力だと褒め称えた。
今日も何度も何度も書いて、自分の黒板がいっぱいになったら自分の書いた文字を消して、更に書き続けた。
「そろそろ覚えられたかな?」
先生はヘリュに話しかける。
その声に弾かれたようにぱっと顔を上げるとやはり先生はニコニコと優しく笑ってヘリュの前に膝をついていた。
「……うん、覚えた」
「そうか。もう皆休憩してるから、ヘリュもちょっと休もう」
「はい」
やっと意識の向いた周囲に目をやると、男の子同士がふざけてじゃれ合ったり、女の子達が小さな子達に本を読んでやったり椰子殻で作ったおもちゃで遊んでいた。
「あ、ヘリュ、やっと終わった?」
イラが周囲を見渡すヘリュに気が付いて笑う。
「うん」
「今日はお泊りになるかな?」
「多いの?」
ユホがヘリュの隣にドスンと座って代わりに答えた。
「ああ、今日は小型船が2隻だってさ」
イラが一番下の4歳の女の子を膝の上に乗せて言った。
「じゃあ、お泊りの子多いだろうね」
「俺、お泊り結構楽しいから好きだけどな」
「私も好きだけど、小さな子達はやっぱりお母さんと一緒じゃないと寂しいよね」
島の宿屋の数は限られている。
今回の様に小型の帆船が2隻も同時に補給に入るとすぐに宿は埋まってしまう。
なので客が多いとそのまま娼婦を一晩買い上げて一泊する客も多い。
ずっと続いた航海で揺れ続ける中を過ごしていた水夫達はどうしても揺れないベッドで穏やかに眠りたいと渇望する者も多く、そんな客を娼婦達が受け入れる。
すると子供達はこのままこの亭で一泊する事になる。
亭には簡単な寝具も置いてあるし、夜は風通しのいいこの場所で皆でごろりと眠るのも案外心地が良かった。
30分程休憩をして、再び勉強を始める。
そろそろ夜更けに入ろうかという時間になり、ぽつりぽつりと仕事を終えた娼婦が子供達を迎えに来る。
そんな子達を見送って、更に夜が更けたので寝具を整えた始めた頃、イリニヤが迎えに来た。
イラやユホに別れを告げて、亭を後にする。
イリニヤとヘリュは手を繋いで家路に就いた。
家に着くと寝室棟にあるベッドから客用の少し上等なシーツを取り外して普段使いのシーツを整える。
そして二人はそのベッドで一緒に眠る。
ココナツ油のランプを消すと、遠くから虫の声が幾重にも重なって聞こえてきた。
ヘリュがそっと目を閉じようとした時、イリニヤの静かな声が薄闇に落ちた。
「ヘリュは大きくなったら何になりたい?」
ヘリュは閉じかけた瞳を再び開いてイリニヤを見つめた。
寝転がったイリニヤの顔には少しはぐれ髪がかかっている。
仄暗く見えるイリニヤは少しだけ微笑みを浮かべている事が分かった。
「……わかんない」
「そう……。でも娼婦にはなりたくないでしょ?」
ヘリュはイリニヤの灰色の瞳をじっと見つめて少し考えた。
「……なりたくないって言うよりは、多分向いてないと思う」
「なんで?」
「……だって、よくわかんないんだ。アーダさんが怒るとか、だから道譲らなきゃならない、とかそういうの。きっと私だけだとそういうの気が付かないですごく怒られると思うんだ」
イリニヤの顔が綻ぶ。
「ははは。確かにヘリュに人あしらいは難しいだろうね。だったらヘリュはこの島を出た方がいいかもね。この島じゃ娼婦以外になるのはちょっと無理だろうから。ヘリュの父さんが言ってたよ? この世界は凄く広いんだって。グリムヒルトの本土には幻獣ってのがいるらしいし、魔物がいたっていう大陸もあるらしいし、銀色の魔女が何でも願い事を叶えてくれるって御伽噺がある大陸もあるんだって」
「父さんは、グリムヒルトの海軍の軍人だったっけ?」
イリニヤの表情に少し懐かしむような色が浮かぶ。
「うん、そう。だから航海で色んな大陸に行ってるみたいだよ。色んな事知ってた。ヘリュとよく似た赤い髪と黄色い瞳だったんだ。……もし万が一どこかで会う事があっても、迷惑かけちゃいけないよ?」
「うん、わかってるよ」
イリニヤはヘリュのその返事に更に優しく微笑んでそっとヘリュの髪を撫でた。
「ヘリュも父さんと同じ様に色んなトコに行ってみてもいいんじゃない? そしたらなりたいもの、みつかるんじゃないかな?」
「……母さんは、行かないの?」
「え?」
「母さんだって色んなもの、見てみたいでしょ?」
イリニヤはヘリュの髪を撫でる手を止めた。
ヘリュはそんなイリニヤの瞳をじっと見つめる。
「わたしは、母さんと一緒ならどこでもいいよ?」
イリニヤはその言葉に更に少し驚いた様子でヘリュを見つめて、ややあって目を瞬かせた。
そしてその表情がふわりと緩む。
「……そうだね、確かに娼婦なんてどこでも出来るもんね」
ヘリュはやはりイリニヤを見つめて、囁く様に言った。
「娼婦じゃなくても、いいんじゃない? この島だと他に仕事もないけど、世界は広いんでしょ? だったら娼婦じゃない仕事がたくさんある所もあるんじゃないかな?」
イリニヤはぎゅっとヘリュを抱き寄せた。
「……そうだね、ホントにそうだ。……ヘリュはすごいね」
ヘリュはイリニヤの胸に抱かれながらそっとその顔を見上げてみた。
イリニヤはいつも微笑んでいる人だが、どこか影の差す微笑みを落とす。
瞳の奥のどこかに諦観を飼っているような、そんな表情を常にしていた。
だけど、今見上げているイリニヤの瞳にはほんのりと希望が宿っている。
ヘリュはその事が嬉しくてイリニヤをぎゅっと抱き返す。
イリニヤの手が優しく、まるで宝物を扱う様にヘリュの髪を撫でて、ヘリュはそんなイリニヤを感じながら眠った。
いつもの様に朝がやって来た。
朝日で目を覚ましたが、今日はほんの少しだけ眠るイリニヤに擦り寄ってみた。
イリニヤは眠ったまま無意識にヘリュを抱きしめ、互いにそのぬくもりに安らぎを感じた。
そしていつもとなんら変わらない一日が始まる。
いつもの様にイラと合流して市場に行く。
水汲みをして浴槽と瓶を満たす。
食事の準備をし、起きてきたイリニヤとそれを食べ、昨日採ってきた芋や香草を選り分けて数を確認したら、日の傾き始めた時間になったのでヘリュは森へと出かけて行こうとイリニヤに声をかけた。
「母さん、森に行ってくる」
「そう、行ってらっしゃい。そのまま亭に行くんでしょ? 送ってく」
今日はしっかり黒板を腰に括りつけているヘリュを見て、イリニヤは微笑んだ。
二人は門の前まで歩く。
「じゃあ、気を付けて行くんだよ?」
「うん、行ってくる」
イリニヤはヘリュの事をじっと見つめている。
ヘリュはそんなイリニヤに気が付かず、歩き出した。
「……ねえ、ヘリュ?」
歩き出したヘリュを引き止める様にイリニヤはヘリュの背中に声をかけた。
その声にヘリュは振り返る。
「……あのね、母さん、少し仕事頑張ろうと思うんだ」
ヘリュはじっとイリニヤを見つめる。
「お迎えに行くの、しばらく遅くなってもいい?」
「うん、大丈夫。でも無理しないで」
「わかった」
ヘリュはイリニヤの優しい笑顔に喜びがこみあげる。
いつもの影差す憂い帯びた微笑みとは違い、そこにはとても小さな希望が見えたから。
「行ってらっしゃい、ヘリュ」
「行ってきます」
ヘリュはいつもよりも軽い足取りで森への道を歩く。
子供達の集まる亭には小さな子達が早めに預けられていた。
それに軽く挨拶をしてヘリュは森のある丘を登る。
丘の上から漁港を見下ろすと、いつもと同じように網の手入れや船の整備をする男達がぽつぽつといるだけだ。
それを横目に森へと入っていく。
香草が少なくなっていたので、いつもよりも森の奥深くへと歩みを進めた。
香草を採り始めるとついいつもの癖で集中してしまい、どんどん森の更に奥へと入ってしまう。
普段はあまり入らない、森の泉の畔までやって来てしまった。
手元が暗くなってきた事に気が付いて、ふと空を見上げる。
木々の隙間から見える空はもう闇色に染まりかけていて、ヘリュは急いで立ち上がって来た道を引き返し、森を出た。
丘へとやって来た時、いつもと違う光景に目を見開いた。
いつも見下ろしている漁港が炎に飲まれていた。
ヘリュは燃え盛る漁港をしばらく呆然と眺めて、はたとイリニヤの顔を思い浮かべた。
すぐに踵を返し、全速力で母がいるはずの家へと駆けていく。
その途中、子供達の集められている亭を横目に見たら、そこにも火の手が上がっていた。
ヘリュはイリニヤの許に早く向かいたかったが、小さな子達が助けを求めていたらと思い、亭へと向かう。
燃える亭を目を凝らして見ると炎の隙間から横たわる複数の人影が見える。
しかしその人影が全く動くことはなかった。
焼け焦げた椰子や竹の匂いの中に、何か鉄臭い香りが混じっていることに気がつく。
ふと地面を見ると、点々と黒っぽい液体が大きな道の方へと続いている。
屈んでその液体に触れてみたら、ぬっとりと粘着質な感触で、鉄臭い香りは一層強くなった。
燃え盛る炎を頼りにその液体を見ると赤黒い。
「……血だ……」
ぽつりとつぶやいて、ハッと顔を上げるとやはり転げそうな勢いで家へと駆け出した。
肩で息をして家の前に着くと、やはり家にも火の手が上がっていた。
まだ燃えていない門を潜ってイリニヤがいそうな寝室棟へと向かう。
ベッドの上にはうつ伏せで横たわるイリニヤがいた。
「母さん……っ!」
ヘリュは駆け寄ってイリニヤを起こそうと体に手を回すがぐったりした大人は重くて動かす事すらできない。
やっと顔だけ見られたけれど、イリニヤの薄く開かれた目がもう永遠にヘリュを映す事はないのだと、すぐに悟った。
「……っ! 嫌だ、母さんっ……!」
イリニヤの首をぎゅっと抱きしめる。
イリニヤのふわふわとしたこげ茶色の髪に顔を埋める。
生活の全てが焼け焦げる匂いのする煙の中に、いつもの嗅ぎ慣れた母の髪の香草の香りを仄かに嗅ぎ取ると、止めどなく涙が溢れてきた。
共同体の性質は実はあんまり関係なく、子供たちは案外明るく育つもんじゃないかなと思うのです。
読んでくださってありがとうございます。
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