第8章:その一皿の先へ
「——動力、か」
「料理人は、食べてくれる人がいないと、力が出ません」
「それは——魔法的な意味か」
「感情的な意味です」
「——俺が食べるから、お前は作れる」
「はい」
「それは——」
「循環です」
「循環」
「あなたが食べる。私が作る。あなたが美味しいと言う。私がまた作りたくなる。ずっと続く」
アルヴェルトが、星を見た。
「——悪くない循環だな」
「私は好きです」
「——俺も」
風が吹いた。
秋から冬に向かう、少し冷たい風だった。
「ぐるるっ」
パフが、私の足元に来た。
寒いのか、丸まろうとしていた。
「——部屋に戻りますか」
「そうするか」
「ミオがホットミルクを作ると言っていました」
「——ミオが、俺の分も作るのか」
「あなたの分も頼んでおきました」
「……俺の好みを知っているな」
「ハチミツを少しだけ入れたものが、好みですよね」
「——観察が細かすぎる」
「料理人ですから」
「……」
「嫌でしたか」
「——嫌ではない」
「良かったです」
「ただ——」
「ただ?」
「——これからも、ずっとそうやって観察されるのだと思うと」
「はい」
「……慣れる気がしない」
「慣れなくていいと思います」
「なぜだ」
「慣れると、照れなくなります。照れている時の顔の方が、好きです」
アルヴェルトが、少しだけ——顔を逸らした。
「——余計なことを言うな」
「事実の報告です」
「事実の報告が、一番余計だ」
「ぐるるっ!」
「パフも同意していますよ」
「っぐ!!」
「同意していないつもりらしいですが、そのタイミングで鳴いたので」
「ぐ……っ」
アルヴェルトが城壁から離れた。
階段に向かいながら、言った。
「——行くぞ」
「はい」
「ホットミルクが冷める」
「ハチミツは、熱すぎると香りが飛びます」
「——知らなかった」
「冬になったら、シナモンも足します。温まります」
「——そうか」
「楽しみにしていてください」
「——している」
階段を降りながら、私はその言葉を、静かに受け取った。
楽しみにしている。
次の季節を、楽しみにしている。
それが——どれほど大切な言葉か。
「美味しいって言わせてみせる」
小さく、口の中だけで呟いた。
これからも。
ずっと。
城の廊下に、明かりが灯っていた。
食堂からミオの声が聞こえた。
「——できましたー! リリア様の分と、アルヴェルト様の分と——セドリック先生の分も!」
「私の分もありますか!!」
「先生の分は三杯用意しました!」
「なぜ分かったんですか!!!」
「ぐるるっ!」
「パフの分は——クッキーです! シナモン入りの!」
「っぐ!!!!!」
アルヴェルトが、廊下を歩きながら言った。
「——騒がしい城だ」
「そうですね」
「——三ヶ月前は、静かだった」
「私が来たせいですか」
「——そうだ」
「すみません」
「謝るな」
「でも——」
「——騒がしい方が、いい」
私は少しだけ、立ち止まった。
アルヴェルトも、一歩先で止まった。
振り返った。
「——何だ」
「今の言葉、もう一度言ってもらえますか」
「——恥ずかしいからやだ」
「やだ、という言葉を使えるようになりましたね」
「——うるさい」
「ふふ」
「笑うな」
「でも——」
「笑うな、と言っている」
「——嬉しいので」
アルヴェルトが、また顔を逸らした。
でも、歩き出した。
食堂に向かって。
「——行くぞ」
「はい」
「ホットミルクが——」
「冷めますね」
「そうだ」
並んで歩いた。
食堂の扉が近づいた。
中から、声と笑い声と、温かい匂いが漏れていた。
「——ぐるるっ!」
パフが先に走った。
食堂の扉の前で待っていた。
「急がなくていいです」
「っぐ!」
「クッキーは逃げません」
「ぐるるっ!!!」
「——信じていないようだ」
「ミオが食べちゃうと思っているんです」
「ミオが食べるのか」
「食べません! パフの分はちゃんと取ってあります!!」
中からミオの声がした。
「——聞こえていたのか」
「扉が薄いので! 早く来てください! 冷めます!!」
アルヴェルトが扉を開けた。
温かい空気が、廊下に流れ出た。
ミルクの匂い。シナモンの匂い。
ミオが待っていた。セドリックがカップを三つ並べていた。パフがクッキーの皿に突進した。
「ぐるるっ!!!!!!」
「——一枚だけです!!」
「っぐ!!!!!!!!」
「二枚にします! それ以上はだめです!!」
「ぐ……っぐ!!!」
「三枚は多いです!!」
「——交渉になっている」
「毎晩こうです」
「ぐるるっ!!!!!!!!」
アルヴェルトが椅子に座った。
ミオがホットミルクを置いた。
「——ハチミツ、少し多めにしました。寒かったかなと思って」
「——ありがとう」
「え、アルヴェルト様がありがとうって——!!」
「何だ」
「いえ! 初めて言ってもらった気がして!」
「——そうだったか」
「そうです! 嬉しいです!!」
「……」
「ぐるるっ!」
「パフも嬉しいそうです!」
「っぐ!」
「嬉しくないんですか」
「ぐ……っぐるっ……」
「——小声で認めた」
「かわいいです!!」
「っぐ!!!!!!!!」
私はカップを持った。
温かかった。
手の中に、ミルクの熱が伝わった。
飲んだ。
甘くて、温かくて——ミオが少し多めに入れたハチミツが、喉の奥まで温めた。
「——美味しいです」
「本当ですか!」
「本当です。上手になりました」
「えへへ!!」
セドリックがカップを飲んだ。
「——素晴らしい! ミオさんの手から、ごく微量の魔力反応が出ています!」
「え!?」
「料理への愛着が、食材に移っているのかもしれません! リリア様の影響を受けて、才能が芽生えつつある可能性——」
「先生、今夜の研究はここまでにしてください」
「でも——!」
「明日にしてください」
「……分かりました。でもメモだけ——」
「ぐるるっ!」
「あっ、ハリネズミさんが私のメモを——!」
「っぐっぐ!」
「パフ、メモを食べないでください」
「ぐ……っ!」
「食べていない?」
「っぐるっ!」
「——ペンを持って行った」
「先生のペンを返してください」
「ぐるるっ!」
「交渉の材料にしないでください」
「っぐ!!!」
食堂に、笑い声が重なった。
ミオが笑った。セドリックが笑った。
アルヴェルトが——口の端を上げた。
笑い声は出なかった。
でも、確かに笑っていた。
私はその顔を見た。
この顔が見たくて、今日も作った。
明日も、作る。
明後日も。
冬になったら、シナモンを足したものを作る。
来年の春には、新しいハーブが採れる。
夏には、冷たいスープを作る。
ずっと先まで——作り続けるものが、ある。
食べてくれる人が、ここにいる。
「——美味しいって言わせてみせる」
声には出さなかった。
でも確かに、そう思った。
これからも。
ずっと。
一皿ずつ。
その先へ。




