第4章:奪われる日常
シーン1:城内の違和感
異変に気づいたのは、小さなことからだった。
朝、厨房に入ると、スパイスの配置が変わっていた。
昨日、私が並べた順番と違う。ローズマリーとタイムの位置が入れ替わっている。誰かが触った、というより——誰かが確認した、という感じの乱れ方だった。
「ミオ、昨日の夜、厨房に来ましたか」
「いいえ。夕食の片付けが終わったら、すぐ部屋に戻りました」
「ガルドさんは」
「料理長は昨夜、体調が悪くて早退されてました」
「……そうですか」
私は棚を全部確認した。
スパイスの瓶。保存食材。調味料。全部が微妙に、動いている。一つ一つは小さな違いだ。知らない人間が見ても気づかない。でも毎日ここに立っている私には分かる。
「何かありましたか」
「分かりません。でも、誰かが入った」
「泥棒?」
「盗まれたものはないと思います。確認のために入った感じです」
ミオが眉を寄せた。
「何を確認しに?」
「——私の料理の材料を、見たかったんじゃないかと思います」
ミオが黙った。
セドリックの話を、昨夜ミオも聞いている。禁忌の血。封印された能力。それを知っている誰かが——
「リリア様、怖いです」
「私もです」
「でも顔に出てないです」
「出したら、相手に気づかれるから」
ミオが、ぎゅっと唇を結んだ。
それから、いつも通りにエプロンを締め直した。
「——今日の朝食、何作りますか」
「普通のものを。変えません」
「はい」
私は包丁を取った。
指先に、いつもの電流。
今日は抑える。引き出しすぎない。セドリックに言われたことを守る。材料と自分の間に、薄い壁を作るイメージで——
「ぐるる」
パフが棚の上から、扉の方向を見ていた。
この小さな生き物は、人の気配に敏感だ。扉の向こうに誰かいる、という意味かもしれない。
私は料理を続けながら、耳を澄ませた。
廊下の足音。普通の足音だった。でも——止まった。扉の前で、止まった。
三秒間。
それから、遠ざかった。
「……ミオ、今日から厨房の鍵を管理します。合鍵をハロルドさんに頼めますか」
「はい。でも、アルヴェルト様には話しますか」
「今夜、話します」
「分かりました」
ミオが動き出した。
私は玉ねぎを刻んだ。
単純な作業に、集中する。
でも頭の一部では、ずっと考えていた。
誰が入ったのか。何を探していたのか。そして——なぜ今なのか。
セドリックの調査結果は、研究院に報告される。王都に届く。王国の中枢に——届く。
「美味しいって言わせてみせる」
口癖を、小さく呟いた。
料理に集中する。
それだけが、今の私にできる抵抗だった。
シーン2:使用人の変化
三日後、城内の空気が変わり始めた。
最初に気づいたのは、廊下ですれ違う使用人の数が減ったことだった。
朝、執務棟の廊下を歩くと、いつもなら四、五人はいる使用人の姿がない。一人だけいた若い女性に声をかけると、「朝の当番が変わりまして」と言って、目を合わせずに去っていった。
昼、食堂に料理を運ぶと、給仕係が二人から一人に減っていた。
夜、ハロルドに会うと、いつもより表情が硬かった。
「ハロルドさん、何かありましたか」
「……旦那様がご存知のことですので、私からは」
「つまり、アルヴェルト様は知っているんですね」
「……」
沈黙が、答えだった。
私はアルヴェルトの執務室に向かった。
扉をノックすると、「入れ」という声。
中に入ると、アルヴェルトとレイガルが地図の前に立っていた。二人とも、私を見た。
「丁度よかった。話がある」
「私もあります」
「お前から先に聞く」
「厨房に誰かが入りました。三日前の夜です。スパイスの配置が変わっていました。それ以降、廊下の人通りが減っています。使用人が減った理由を教えてください」
レイガルが何か言いかけた。
アルヴェルトが手で制した。
「——内通者がいた」
「使用人の中に?」
「三名。王国側に情報を流していた」
「どんな情報を」
「お前の料理の内容、使用した材料、食べた者の変化の様子。それを報告していた」
私は少しだけ時間をかけて、整理した。
三名が情報を流していた。つまり、城の内側から、私の料理を監視されていた。厨房に入ったのも、その三名のうちの誰かだ。
「その三名は今」
「拘束して尋問した。全員、王国魔法省の人間に接触していたことが分かった」
「魔法省」
「王国中枢の魔法至上主義派閥だ。俺たちの国と外交関係はある。だが内部に工作員を送り込んでくるとは思っていなかった」
レイガルが腕を組んだ。
「お前を連れてきたことが、早々に知れ渡ったということだ」
「……北砦の報告書が、王都に届いた」
「セドリック研究員が提出した。正規の手続きだ。問題はない——はずだったが」
「報告書の内容が、魔法省の人間の目に入った」
「そういうことだ」
私はアルヴェルトを見た。
「これから、もっと動きが活発になりますか」
「なる」
「私を奪いに来ますか」
「——その可能性がある」
「対策は」
「考えている」
「私にできることはありますか」
アルヴェルトが、私をじっと見た。
「今は、普通に過ごせ」
「普通に」
「異常な行動は取るな。料理をしろ。ミオと話せ。いつも通りにしていろ」
「……それは、囮として?」
「違う」
「では何故」
「——お前が普通でいることが、一番の抑止になる」
意味が分からなかった。
顔に出たのか、アルヴェルトが続けた。
「向こうが欲しいのは、お前の力だ。暴れれば、それは正当化される。大人しくしていれば、動きにくい」
「……なるほど」
「理解したか」
「はい。でも——」
「何だ」
「私が大人しくしていられる保証はありません」
レイガルが、微かに噴き出した。
アルヴェルトの目が、わずかに和らいだ。
「——知っている」
「それでも言いますか」
「言い続ける」
「……分かりました」
私は扉に向かった。
「リリア」
「はい」
「夜間は部屋から出るな。厨房に行く時は、必ずミオか衛兵を連れていけ」
「料理の邪魔になります」
「邪魔にならない衛兵を選ぶ」
「口出しをしない人を」
「約束する」
「——分かりました」
廊下に出た。
「ぐるるっ」
「そうね」
状況が動いている。
目に見えないところで、何かが変わろうとしている。
「美味しいって言わせてみせる」
呟いた。
普通に過ごす。料理をする。それが抵抗だという意味が、少しだけ分かった気がした。
シーン3:セレナ・ヴァルディア登場
翌朝、来客の知らせが届いた。
「ヴァルディア家のセレナ・ヴァルディア嬢が、グランディア城をご訪問です」
ハロルドが朝食の最中に告げた。
私はパンを持ったまま、止まった。
ヴァルディア。王国の有力貴族。魔法至上主義派閥の中核に近い家名だ——とセドリックが昨日、さりげなく教えてくれた。その令嬢が、直接来た。
「アルヴェルト様はご存知ですか」
「昨夜、連絡が届いておりました」
「……迎えますか、私も」
「旦那様は、リリア様にも同席を求めております」
私はパンを置いた。
「分かりました」
「ぐるる」
「あなたは袖の中にいてください。目立っちゃいけない時です」
「っぐ」
渋々、という感じでパフが袖に収まった。
来賓用の応接間は、城の一階にある。
窓が大きくて、中庭が見える部屋だ。白いカーテンが光を柔らかく通して、朝の空気が明るい。
でも部屋に入った瞬間、私はその空気が変わるのを感じた。
セレナ・ヴァルディアが、ソファに座っていた。
十九歳、と聞いていた。見た目は確かにそのくらい。でも、目が違う。年齢よりずっと古い目だ。磨き込まれた宝石みたいに、表面が硬くて、光の当たり方によって冷たく見える。
髪は白に近い金色。肌が青みがかって白い。氷魔法の使い手は、長年の魔力の影響で肌の色が変わると聞いていた。
彼女は私を見た瞬間——わずかに、目を細めた。
「——あなたが、エルフェン嬢ね」
声は綺麗だった。音程が正確で、感情が乗っていない。でも言葉の選び方に、棘がある。
「リリア・エルフェンです。はじめまして、セレナ様」
「——はじめまして、とは言えないわ」
「え?」
「名前だけは知っていたから。魔力がゼロで婚約破棄された侯爵令嬢、という名前を」
ドレスの裾を整えるような自然な動作で、その言葉が出てきた。
刺すつもりで言ったのか、それとも単純な事実として言ったのか——判別できない。そこが怖い。
「今は、グランディア公爵家の婚約者です」
「今は、ね」
アルヴェルトが椅子に座りながら言った。
「——セレナ嬢、訪問の目的を聞こう」
「お久しぶりです、アルヴェルト様」
「久しぶりだ。目的は」
「直接的ね、相変わらず」
「無駄は嫌いだ」
セレナが微かに笑った。
笑い方が、完璧だった。どこかの教科書に「貴族令嬢の笑い方」と書いてあったら、この笑顔が載っていそうな笑い方。
「——そのエルフェン嬢のことで、お話があって参りました」
「私のことを直接話せます」
セレナが私を見た。
「……そうね。では直接聞くわ」
「どうぞ」
「あなたは、自分の力が何なのか知っているの」
「知っています」
「そして、その力がどれほど危険なものか」
「——承知しています」
セレナが、ソファから立ち上がった。
窓の前に移動した。中庭を見ながら、背中を向けて言った。
「私の兄は、今も動けないわ」
空気が、止まった。
「——十年前の戦争で。ある料理人の作ったものを食べて、限界を超えた。その後、体が戻らなかった」
振り返った顔に、初めて感情があった。
冷たい感情。でも確かに、そこにある。
「その料理人の血筋が——今、ここにいる」
私は黙って、セレナを見た。
兄が動けない。十年間。料理によって限界を超えさせられた結果として。
それは——私の力が引き起こしたことじゃない。でも、同じ力が引き起こしたことだ。
「……お兄様のこと、申し訳なく思います」
「謝罪は要らない」
「でも——」
「要らないと言ったの」
セレナの声が、初めて鋭くなった。
「あなたに謝られても、何も変わらない。兄の体は戻らない。謝罪ではなく——行動が必要なの」
「行動、とは」
「その力を、使うのをやめなさい」
静寂。
「——完全に、ね。料理で能力強化をするのをやめる。力を封じる。それが、あなたにできる唯一の正しい行動よ」
「それは——」
「できないと言うつもり?」
「理由を聞いていいですか」
「理由? 十年前と同じことが、また起きるからよ。あなたは若くて、力を持っていて、善意で使おうとしている。でも——善意は代償を止めない。食べた人間の体への影響は、あなたの意思とは関係なく起きる」
私は少しだけ、間を置いた。
セレナの言っていることは、正しい。
理論として、正しい。
「……セレナ様は、私を排除しに来たんですか」
「排除という言葉は穏やかじゃないわ」
「では何と呼びますか」
「——説得に来たの。あなたが自分から選んでくれれば、それが一番いい」
「選ばなかったら?」
セレナが、また笑った。
今度の笑いは、さっきより少しだけ、冷たかった。
「——選択肢は、あなたが思っているより少ないわ」
アルヴェルトが立ち上がった。
「——セレナ嬢、今日の訪問はここまでにする」
「アルヴェルト様——」
「俺の婚約者への交渉は、俺を通せ。直接の圧力は認めない」
「圧力ではありません。事実を伝えただけです」
「事実の伝え方が圧力だ」
セレナが、アルヴェルトを見た。
それから私を見た。
「——いい婚約者を持ったのね」
「そう思っています」
「でも、いい婚約者でも——あなたを守り切れない状況が来るかもしれない」
「心配ありがとうございます」
「心配じゃないわ。警告よ」
セレナが扉に向かった。
出ていく直前、振り返った。
「——一つだけ聞かせて。あなたは料理が好きなの?」
「はい」
「なぜ」
「——誰かが美味しいと言ってくれる顔を見るのが、好きだから」
セレナが、少しだけ止まった。
何かを考える顔をした。
「——そう」
それだけ言って、出ていった。
扉が閉まった。
応接間に、私とアルヴェルトだけが残った。
「——大丈夫か」
「はい」
「嘘をつくな」
「……怖かったです。彼女の言っていることは、間違っていないから」
アルヴェルトが私の隣に来た。
「俺は守る」
「そう言ってくれるのはありがたいです。でも——」
「でも?」
「セレナ様の言う通り、あなたが守り切れない状況が来るかもしれない。それは事実だと思います」
「——来させない」
「来ないとも言い切れない」
アルヴェルトが、少しだけ顎を引いた。
「……そうだな」
「だから私は、自分でも考えます。守ってもらいながら、自分でも動く」
「無謀なことはするな」
「しません。でも——」
「でも?」
「二百年前のリリアは、全部一人でやろうとして、消耗しきって終わった。私は違う結末にしたいです」
アルヴェルトが私を見た。
長い沈黙の後、言った。
「——俺に、何をすればいい」
「今は——」
私はアルヴェルトを見た。
「今日の昼食に、何が食べたいか教えてください」
「……は」
「食べたいものを作ります。今日は普通に、美味しいだけのものを」
アルヴェルトが、一瞬、固まった。
それから——口の端が、ほんの少し動いた。
「……スープがいい」
「どんなスープですか」
「温かいやつ」
「それは全部温かいです」
「——具が多いやつ」
「分かりました」
私は部屋を出た。
廊下を歩きながら、胸の中を整理した。
セレナの言葉が、まだ耳に残っている。
選択肢は、あなたが思っているより少ない。
でも——ゼロじゃない。
選択肢がゼロになったとき、人は動けなくなる。
まだある。まだ、私には動ける余地がある。
「ぐるるっ」
パフが袖から出てきた。
「怖かった?」
「っぐ」
「私も」
でも包丁は、手の中にある。
それだけは、誰にも取れない。
シーン4:厨房封鎖の前夜
夜になった。
夕食の片付けが終わって、ミオと二人で厨房に残っていた。
明日の仕込みを確認している。ミオがメモを見ながら、材料の在庫を棚で調べている。私は明日のメニューを頭の中で組んでいた。
「リリア様、セレナ様って——どんな人でしたか」
「怖い人でした」
「悪い人?」
「……違うと思います」
「違うんですか」
「正しいことを言っていた。ただ——正しいことの言い方が、刃になる人でした」
ミオが考えた。
「正しいことの言い方が刃になる、か。なんか分かる気がします」
「そうですか」
「学校でいました、そういう子。嘘は一つも言わないんだけど、言い方で刺してくる子」
「そういう人は、案外——傷ついている場合が多いです」
「セレナ様も?」
「お兄様のことがあるから」
「……そうか」
ミオが棚から缶を取り出した。
「豆の在庫、少ないです。明後日の仕入れまで足りるかな」
「レンズ豆で代用できます。同じ棚の上段に——」
廊下から、足音がした。
複数の、重い足音。
軍靴の音だ。でもいつもの衛兵とは違う。足音の間隔が、統率されすぎている。訓練された隊列の音だ。
「——ミオ」
「はい」
「パフを抱いていてください」
「え、でも——」
「今すぐ」
私はパフをミオに渡した。
包丁を持った。
料理用の包丁だ。武器じゃない。でも今、これ以外に持てるものがない。
厨房の扉が、外から叩かれた。
「——エルフェン令嬢はおられますか」
知らない声だった。
「います。誰ですか」
「グランディア城警備隊です。本日より、厨房区画の立入制限を実施します。関係者以外の立入を禁止します」
「私は関係者です」
「令嬢の立入については——追って連絡があります」
追って連絡。
つまり今は入れない、ということだ。いや——今ここにいる私を、外に出させようとしている。
「誰の命令ですか」
「——城主アルヴェルト・グランディア様のご命令です」
私は一瞬、止まった。
アルヴェルトの命令。
昼にあれだけ話して。守ると言って。具が多いスープを食べたいと言った人間が——
「確認したいのですが、アルヴェルト様に直接話せますか」
「現在、旦那様は来客中でご多忙です」
来客。
「——来客は、誰ですか」
「それはお伝えできません」
ミオが私の袖を引いた。
振り向くと、ミオが窓を指していた。
中庭に面した窓。その向こうに、人影が見えた。
黒い服。複数人。城の外壁沿いを、静かに動いている。
衛兵じゃない。動き方が違う。
「——ミオ、裏口から出られますか」
「出られます。でも——」
「静かに。道具だけ持ちます。大きな荷物は要らないです」
「どこに行くんですか」
「アルヴェルト様を探します。直接話します」
「危なくないですか」
「扉の前にいる方が危ない」
ミオが頷いた。
私は最小限の道具をエプロンのポケットに押し込んだ。包丁一本、小さなスパイスケース。
裏口の鍵を開けた。
外に出た瞬間、冷たい夜気が体を包んだ。
中庭の影に人影があった。
さっきの黒い服の人物だ。
一人が、こちらを見た。
目が合った。
次の瞬間、その人物が動いた。
「——走って!」
ミオの声より先に、私の体が動いていた。
城の壁沿いに走る。
足音が追ってくる。
一人じゃない。二人、いや三人の気配が後ろから来ている。
角を曲がる。東棟への渡り廊下。屋根付きの通路。夜は魔法灯が灯っている。
「——止まれ」
前から声がした。
渡り廊下の向こうに、人影。
挟まれた。
後ろから三人。前に一人。
私は包丁を持ったまま、立ち止まった。
「——エルフェン令嬢。大人しくしていただければ、傷はつけません」
前の人物が言った。
声が、女性だ。
「——どこに連れていくつもりですか」
「安全な場所です」
「安全かどうかは、私が判断します」
「お嬢様、状況が分かっていますか。あなたは今、四対一です」
「分かっています」
私は頭の中で、厨房のレイアウトを思い出した。ここは厨房じゃない。でも——
手の中に包丁がある。
指先に、電流が走った。
「——ぐるるるっ!!」
ミオの腕の中でパフが、棘を全部立てながら叫んだ。
その声に驚いて、後ろの一人が足を止めた。
その一瞬。
渡り廊下の奥から、足音が来た。
一人分の、速い足音。
「——っ」
前の人物が、そちらを見た。
「何をしている」
アルヴェルトの声だった。
黒い軍服のまま、剣を腰に帯びたまま。来客の最中だったはずなのに、こちらに来ている。
「——旦那様、これは」
「俺の婚約者に、何をしている」
「御命令通り、厨房区画からの移動を——」
「俺はそんな命令を出していない」
静寂。
前の人物が、固まった。
「——何だと?」
「厨房封鎖は、俺の命令じゃない。誰に指示された」
沈黙。
その沈黙の重さが、全部を語っていた。
城の内側から、誰かが動いた。
アルヴェルトが剣を抜いた。
「——答えろ」
人影が、散った。
暗闇の中に、溶けるように消えていった。
渡り廊下に残ったのは、私とミオとアルヴェルトだけだった。
「——怪我はないか」
アルヴェルトが来た。
「ありません」
「ミオは」
「だ、大丈夫です……っ」
ミオが震えながら答えた。パフをぎゅっと抱いている。パフは棘を立てたまま、まだ警戒している。
「——すまない」
「何がですか」
「城の中に、もう一人内通者がいた。厨房封鎖の偽命令を出した者が」
「分かりました」
「分かりました、ではない。危険だった」
「でも——」
「何故、裏口から出た」
「扉の前にいる方が危ないと判断したので」
「——判断が、速い」
「料理をする時と同じです。考えるより先に、手が動く感覚があるので」
アルヴェルトが、私を見た。
その目に、何かがあった。
さっきセレナに見せた目とは違う。もっと直接的な、もっと近い何か。
「——今夜は俺の執務室に来い。朝まで、離れない」
「それは」
「護衛だ。他意はない」
「分かりました」
ミオが「わ」と言った。
私とミオが同時に彼を見た。
「——ミオも来るか」
「い、行きます!!」
「ぐるるっ」
パフも来る気満々だった。
アルヴェルトが先を歩き始めた。
私はその後について歩きながら、思った。
今夜だけで、二回、この人に助けられた。
昼は言葉で。夜は、体を動かして。
守ると言った言葉が、本物だったことを——今夜初めて、実感した。
「……ぐる」
「うん、知ってる」
執務室の灯りが、廊下の向こうに見えた。
嵐は、まだ終わっていない。
むしろ、今夜が始まりだった。




